12.キラルの双子
日曜、約束通り二人はサトコの叔父を訪ねることにした。
休日ということで早朝は避け、午前十一時に駅で待ち合わせる。そのまま二人一緒に電車に乗りこみ、揺られること二十分弱で目的地に到着した。
「ここで合ってるんだよな?」
駅名の書かれた看板を見上げながら黎也が言う。サトコの叔父が住むという町は黎也達のそれより、さらに長閑で人の気配も少なかった。車通りもなく、駅前には申し訳程度の交番があるだけだ。
「うん。私も来るの久しぶり……ここからちょっと歩くんだ」
電車内で眠りそうになっていたサトコは一度伸びをし、それからゆっくりと歩き始めた。黎也もそれに並ぶ。
「どんくらい?」
「えっと……十五分くらい」
「ふうん」
サトコは少し申し訳なさそうに言ったが、その程度の距離ならば毎日徒歩で通学している黎也には短いくらいである。それに今日は先日と違い、しっかり睡眠をとったので体調も万全だ。むしろその面ならば、先刻から眠そうに目を擦るサトコのほうが黎也には気にかかる。
『……寝不足かな、トーコ』
レイも同じ事を思ったらしい。歩みは止めないまま、サトコはついにふわぁと大きな欠伸をした。緊張感の欠片も見られないその様子に小さく笑って、黎也は口を開く。
「寝てねェの?」
「!」
問いかければ何故かサトコはぎょっと身体を強ばらせて、次の瞬間には勢いよく首を横に振った。ぶんぶんと音がしそうだ。
「ね、寝た! ばっちり!」
心なしか赤くなっている目が全てを語っているというのに、一生懸命否定するサトコを黎也の胡乱気な瞳が見つめる。
一体夜中何をやっていたのか、満足に寝ていないのを彼女が必死に隠そうとする理由が黎也にはわからない。
『心当たりは……ないことも、ない』
「何か言ったか?」
『いや』
――知らないのは黎也だけだ。
サトコは先日、レイからある頼み事をされている。何故彼があんなことをサトコに言ったのかはわからない。わからないからこそ、サトコは夜な夜な一人考え事に更けって睡眠時間を減らしている。
もし君が、本当に黎也の為に何かしてくれるなら――
黎也に思わせてほしいんだ。レイなんかいなくても平気だ、って。
考えても、あの言葉の示す意味をサトコは測りかねていた。確かに須賀黎也は「レイ」という存在に依存している部分がある。それはきっと、必然のことだったのだ。
黎也が大人になる過程で、レイの存在は確実にネックになるだろう。レイが彼の自立を望む気持はわからなくもないが、何故それを自分に言うのか――サトコにその答えは見つけられなかった。
「……そういえば、須賀くんの誕生日っていつ?」
不意に思い立って尋ねれば、今度は黎也が表情を無くした。
……なんで? 固い声で問われて、サトコは僅かに怖じ気付く。何か不味いことを聞いただろうか。
「あ、いや、その……何となく知りたくて。私、四月四日なのね。早いでしょ?」
レイに彼の誕生日が「トーコと同じゾロ目だ」と教えられたことは話せない。二人きりのあの会話は、黎也には内緒にしなければいけないからだ。どう説明したものか、とサトコが考えあぐねていると、黎也が渋々口を開く。
「三月……三日」
「さんがつみっか?」
ぽつりと零された言葉がサトコの脳内でちゃんと漢字変換されるまでに、少し時間がかかった。本当にゾロ目だ。思った次の瞬間、サトコの脳裏に何かが引っかかる。これ、何の日だっけ?
「あ、雛祭りだ」
「~~~~~っ、言うな!」
それから黎也の機嫌は一気に下降した。雛祭りの生まれ。男なのに。実はこれこそが、幼少期からの黎也のコンプレックスである。
人前でレイと会話することを厭わなかった彼が、唯一気にしている事だと言っても良い。
『あはははは、ついに言ったな』
「聞かれたから仕方なく、だ!」
『でもお前、友達には今まで誰にも教えなかったじゃん。トーコは良いんだ』
「たまたまだっつーの……!」
反対にレイは上機嫌で、聞こえる声もどこか楽しげである。サトコそっちのけで逃げるようにレイと話しながら、黎也は早足で歩いた。ここから先は一本道だと聞いたので、迷う心配はないだろう。一刻も早く目的の家に着きたかった。
「で、でもさ、須賀くん誕生日まだなんだね」
『トーコより一年近く遅いからね』
「ってことはレイも同じ日が誕生日?」
『たぶんねー』
「す、須賀くん待ってよー」
『黎也のやつ、聞こえないふりしてる』
「ねぇ、毎年誕生日って二人でお祝いしてるの?」
懸命に追いかけながら話しかけてくるサトコにレイが答えるが、黎也が通訳しないのでどちらも一方通行だ。『無視すんなよ』と二度ほど文句を言われたが、黎也はどちらにも応えなかった。
『――黎也、早いって!』
レイの声で黎也ははっと我に返る。
いつの間にか早足が過ぎて駆け足の状態になり、サトコと距離が空いてしまったらしい。そんな黎也に、後ろから大きな声が飛ぶ。
「そしたらさ、今年の誕生日は私もお祝いするね!」
息を切らしながらサトコが言った言葉に、思わず黎也は振り返った。視線の先に、少し小さくなったサトコが見える。にこりと笑った彼女を黎也はそのまま見つめていたが、次の瞬間決まり悪そうにふいと視線を反らしてしまった。
「……トーコが《神様》に連れて行かれてなければ、の話だろ」
「う、ひ、ひどい! その通りだけど!」
『おーい二人とも、ここじゃない?』
最終的に鬼ごっこと化していた道程は、レイの一言で終了する。
顔を上げた黎也の眼前に、黒い表札が掲げられていた。【安芸宮】という珍しい名は間違いなく、サトコの親族のもの。
* * *
「サトちゃん、よく来たね」
「お久しぶりです」
久々に見る叔父を目の前にして、サトコが少し緊張気味に挨拶する。サトコの父の実兄にあたる彼――安芸宮聡と名乗った――は背の高い優しげな男で、初対面の黎也も快く家に向かい入れた。事前に訪問の連絡はしてあったらしいが、サトコが自分のことを何と言って説明したのかはわからない。余計な事は言うまいと口を噤んで、黎也はおとなしく勧められたソファーに腰かけた。
「ウーロン茶で良い? サトちゃんコーヒー飲めたっけ」
「あ、飲めないです。ウーロン茶が良いな」
「了解。お友達もそれで良いかい?」
「は、ハイ」
固い声で返事をすると、頭の中でそれを笑うレイの声が響く。流石に聡の前でレイと喋るわけにはいかず、黎也は文句の言葉をぐっと飲み込んだ。
「――で、サトちゃん。何か聞きたいことがあるんだって?」
「うん」
聡が飲み物を手に戻って来て、早速本題に入ることになった。サトコは一度静かに深呼吸すると、意を決したように口を開く。
「あのね、ラップトップのことなの。お父さんがおじさんから貰って、私にくれたやつ」
「ああ、あれ?」
サトちゃんまだ使ってたのかい? 聡は驚いたように目を丸くした。
「中学生になったら新しいの買ってもらうって約束だったろう?」
「うん、えっとそれは……その、結構気に入ってて」
捨てるのもったいないし、と言えば聡は納得したようだった。物を長く使うのは良いことだ、と笑う。
「で、あれがどうした? とうとう壊れたか」
「ううん、まだ使える。……そうじゃなくて、ちょっと聞きたいことがあって」
そこでサトコは言葉を区切った。緊張しているのが傍から見てもはっきりとわかる。
「あのラップトップの、前の持ち主について聞きたいの」
「前の持ち主?」
聡は暫し目を瞬かせていたが、やがて一つの事に思い至ったのだろう。ああ、と声を上げた。
「ミサキさんのことか」