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10.キラルの双子


今よりずっと小さかった頃の黎也には、自分を取り巻くありとあらゆる音の中で、レイの声しか上手く聞き取れない時期があった。頭の中がレイの声でいっぱいになって、自分の考えなのかレイの意見なのか、一時は判別がつかなくなったほどだ。

それは幼い黎也がそうであったように、レイもまた子供特有の高い声をしていた時代。自分の中に直接響く彼の声だけが鮮明で、他の音は全て黎也にとって雑音も同然だったのだ。


『れいや。おれの声は、うるさい?』

「そんなことない。おれは、レイの声がいい」

『でも、だめだ。れいやは、他の人の声もきかなくちゃ』

「おまえだけでいいのに」

『おれは、おまえが困るのはいやだよ』

「おれはべつに平気なのに」


黎也が声変わりを迎えると同時にレイの声も低くなり、その頃から黎也の中で彼の声は次第に目立たないものになっていった。それは黎也が他人の声に耳を傾ける術を会得したからかもしれないし、レイ自身が、黎也の邪魔をしないように注意を払うようになったせいかもしれなかった。


「昔はお前、もっとうるさかったのにな」

『うるさくないって言ったくせに』

「馬鹿、冗談だって。でもお前本当に、大人しくなった」

『大人になった、って言ってよ』

「俺がじーさんになったら、お前の声もしわがれたジジイみたいになんのかな」

『……さーね。そうなんじゃない?』


黎也の背が伸びれば、レイもまた同じだけ成長した。黎也が笑えばレイも笑い、悲しめば同じ顔をした。

お互いがお互いだけを見つめて生きてきた、十四年と数か月。二人は双子よりも近い存在で、けれどけして同一のものではない。

そんな自分たちを、いつしか彼らはキラルと呼ぶようになった。


(昔はもっと、レイだけだったのに)


黎也の世界には彼しかいなかったのに。

年を重ねたくさんの人間との出会いを繰り返すうちに、どうしても黎也がレイだけを見つめる時間は減っていった。

レイはそれを喜ばしいことだと感じていたが、黎也は違う。変人と言われようと、必死でレイとの会話を続けようとした。


黎也は怖かったのだ。会話が減ればその分だけ、レイを感じる時間が減ってゆく。自分しか理解してやれない彼の存在が、どんどん希薄になってゆくようで。


(なぁ、レイ。俺がお前を証明しなきゃ、お前はどうなる)








* * *







「ふわあああぁぁ……」

『……マヌケな顔』


授業終了のチャイムが高らかに鳴り響く。同時に涙を浮かべながら大あくびをした黎也に対し、苦笑交じりの声がかかった。


「うっせー……つーか誰のせいだと思って……」


首をポキポキと鳴らし、次いで目をこする。一連の動作をひどく緩慢に行った黎也の顔には、ありありと睡眠不足が見て取れた。

昨日はレイと二人、映画のDVDを夜通し見ていたために一睡もしていない。いつもなら夜更かしするといっても、必ず数時間は睡眠をとるのだが――なぜか昨晩に限ってレイが妙に張り切って、黎也を寝かそうとしなかったのだ。夕食後から見始めて、鑑賞した映画の数は結局四本にも及ぶ。

寝不足のままフラフラと登校した黎也は、授業中に足りない分を取り返そうと試みたのだが(睡眠学習は立派な勉強だ、とは黎也の口癖である)レイに妨害されて居眠りは叶わなかった。


「もー何なんだよお前……学校でくらい寝かせろよ……」

『授業中に寝たらまたペナルティーが増えるぞ。こないだの歴史の課題、あれまだ手つかずじゃん』

「どうでも良いし……。あーあ……くそ、眠い」


通常より数段頭の回転が遅くなった状態で、それでも黎也は律義にサトコの家に向かう。辿り着いた時にはもう瞼が半分落ちかかっていたので、先に帰宅し黎也を迎えたサトコはひどく驚いたようだった。


「いらっしゃ……どしたの、須賀くん」

「んー。なんでもね……」


おじゃまします、と口の中でもごもご呟いて黎也は玄関に靴を脱ぐ。亀のスピードで靴を揃えてからサトコの部屋へ向かったが、階段を上がるときに一度足を引っかけてつんのめった。


『……重症』

「須賀くん、大丈夫?」


二人分の声が聞こえたが、黎也はそのどちらにも返答をしなかった。する余裕がなかった、とも言う。

……中学生の身に徹夜は厳しい。











「お父さんが仕事から帰って来たときに聞いてみたの。このラップトップは親戚から貰ったもので、やっぱり前に持ち主がいたんだって」


オレンジジュースのパックとコップを二つ部屋に持ち込んで、片方を差し出しながらサトコが言う。黎也はそれを受取って、中身が注がれるのをぼんやりと見ていた。レイがラップトップに“入った”のを確認し、一気にジュースを喉に流し込む。冷たさと甘味と酸味の三重奏が少しだけ、ぼやけた頭をすっきりさせてくれるような気がした。


「前の持ち主ってのは、その親戚?」

「ううん、なんか誰かからの預かり物だったみたいで……お父さんもそこまでは知らないらしいんだけど」


そんなに知りたければ親戚のおじさんに直接聞いておいでって言われちゃった。サトコが呟くと、黎也は小さく唸る。


【レイの発言】:預かり物なのに、トーコが貰っちゃって良かったの?


画面に表示された疑問はもっともで、ちょうど黎也も同じことを考えていた。しかしサトコは迷いなく一つ頷いて見せる。


「よくわかんないんだけど、良いんだって。しばらく預かってたんだけど、預けた本人が引き取りに来なかったみたいで」

「それで貰って良いってか? やけにテキトーだな……」

「預かる時に、最初からそういう約束をしたみたい。詳しくはおじさんに聞いてみないとわかんないんだけど」


【レイの発言】:それじゃあ、聞きに行こうよ


軽やかな音をたてて表示された文章に、サトコは目を瞬かせた。黎也も一瞬驚いたが、すぐに納得する。レイの言う方法が一番確実で手っ取り早い。


「そうだな……そのおじさんとやらは、前の持ち主を知ってるってことだろ?」

「たぶん。《神様》が約束した相手っていうのも、前の持ち主で間違いないと思う」


昨夜のチャットで《神様》に尋ねた内容をサトコは口にする。サトコと自分が六年の付き合いになると言った《神様》は、実際サトコとは出会ってまだ四年に満たない。空白の二年分はおそらく、前の持ち主と過ごした時間だ。


「……一つ不思議なんだけど。前の持ち主も“トーコ”って名前だったのかな……?」


“待っていたよ、トーコ”

最初に《神様》に言われた言葉をサトコは思い出す。考えてみれば最初から、彼は“トーコ”に語りかけていた。サトコがそのハンドルネームを使ってチャットにログインする、それよりも前から。

話しかけられているのは自分だと信じて疑わなかったサトコは、だからこそ《神様》との交流を続けてきた。でももし、最初から彼が違う人間を相手だと思っていたのなら。サトコを“トーコ”と間違っているのだとしたら――。 


「――やっぱ行こう。それで確かめようぜ。他に方法ないし、時間もあんまりないし……」


約束の日まで一か月を切ったことは黎也も気が付いていた。悠長に構えている暇はない。本当にサトコを“連れて行かれて”しまっては洒落にならないからだ。

瞬間、カチ、とまたラップトップから音がする。


【レイの発言】:そのおじさんの家はどこにあるの?


「えっと、たしか……」


レイからの問いを読んでサトコが答えた場所は、黎也の住むこの場所から電車で五駅ほど離れた小さな町だった。行こうと思えばすぐにでも可能な距離だ。しかしこの辺りは電車の本数が少ないため、授業終了を待ってから向うのは時間的に少し難しい。


「早い方が良いな。次の日曜とかどう? そのおじさんも、平日だと仕事とかあるだろーし」


俺とレイも一緒に行くからさ。黎也が笑って言うと、サトコはぱっと嬉しそうな表情を浮かべた。


「ありがとう!」

「おー。じゃ、決まりな」


言った瞬間、かくんと黎也の頭が下がる。


「……須賀くん?」

「わり、俺もう無理……」


話が一段落ついたところで一気に力が抜けたのだろう。限界、と呟いた黎也はずるずると壁にもたれて座り込んだ。それを見たサトコは何事かと慌てたが、五分寝かして、と小さく言われてほっと息を吐く。


「あの、布団使う?」

「いや、ここで……レイ、五分経ったら起こせ」

『五分で起きれるわけないだろ……』


呆れたように言ったレイの言葉はもう黎也に届いていなかった。落ちるような速さで眠りに引き込まれた彼の、両肩が穏やかに上下する。すうすうと寝息が聞こえてきて、サトコは小さく笑った。


「そんなに眠かったのかなぁ……?」

『ま、俺のせいなんだけどね』


サトコに聞こえないことを承知でレイが呟く。それから彼は囁くように、黎也、と眠る少年を呼んだ。


『黎也、寝たの?』


返事がないことを確認してからレイはサトコに目をやる。そうして、予てから彼が一人考えていたことを実行に移した。

カチ、と小さな音がしてラップトップの画面が更新される。急に表示されたメッセージにサトコは驚いたようだったが、黎也を起こさないように気を使ったのだろう、無言で画面の前に座り込んだ。


【レイの発言】:トーコ。ちょっと話さない?



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