炎に狂う。
炎ノ中デ馬ハ踊ル。狂ッタヨウ二。
狂イ続ケルコトヲ望ンデイルヨウ二。
彼女ノ目カラ流レ落チタ雫ヲ知ル者ハ、誰モイナイ。
幸せな日常が崩れ去るのは、いつも一瞬だ。
「修学旅行、自由行動あるんだって!」
「え、うっそ、ヤバ!どこ行くどこ行く?」
「その土地の産土神様にまず、お参りに行くのは絶対でしょ。で、その後何できるかな?」
「ねね、スイーツ巡りしない?」
「最高じゃん!やろやろ!!」
きゃぴきゃぴと話しながら通り過ぎていく人々を、私はどこか冷めた目で眺めていた。
つい数週間前まではあの中に私も混ざっていたのだと思うと、吐き気がする。
ため息をついて、私は歩き出した。
この国の名は■■。数百年ほど前、この国に感銘を受けた外国人が「幸せの国」と呼び始めてから、この国の政府も「ここは『幸せの国』である!」というのを前面に押し出すようになっていった、らしい。
生憎と私は数百年前から生きているわけではないので、実際の所はどうなのかは分からないのだが。
こんな社会の中でのんびりと何も考えずに「幸せである」といえるようだったらどれほどよかったことか。
だが生憎、私はもうそんなことを言えるような人間じゃなかった。
この社会は「幸せの国」。裏を返せば「不幸」な人間は異物でしかなかった。もし私が「不幸だ」と声に出していたならば一瞬で腫物を扱うかのような扱いを受けていただろう。ここは、そんな世界だった。
先程も言ったが、私はつい数週間前までは彼らの中の一人だった。だが、今はどうだろうか。断定できる、私は決して幸せではない、と。どれもこれも全部私が悪いのだが。
私には今年で六年目となる習い事がある。簡単に言うと月に一度、日帰りの林間学校のような事をやっているクラブだった。その月によって野外料理をしたり、山に登ったりと様々なことをする、そんな所だった。
あの日も、私はいつもの通り六年間そのクラブで共に過ごしてきた彼と共にいた。あの日は野外料理で私たちが得意である火の番ではなく料理の方の役割を担ったため、大変だった。あいつはこれであっているか、と心配そうに私に聞いたが、いや知らねぇよと返した。私はそっちじゃなくて別のレシピの方をやってんだよ、とそう思いながらも、あいつに頼られるのは嫌じゃなかった。
梅雨が終わり、蝉がやっと鳴き始めた初夏の事だった。
料理が一段落した時、急にあいつが話を切り出した。
「そうか、もう俺がいるのもこれで終わりなのか。」
「そうだな。」
何を今さら言っているのか、と呆れた目で見ていると、あいつが真剣な顔を私に向けた。
「ありがとな」
一瞬、何を言われたか分からなかった。あいつが、真面目な顔で、私に話しかけるなんて、今までになかったから。
「俺さ、お前がこのクラブに入ってきたときはまだまだ分かんないことが多かったんだ。
そんな中で、やっていけたのはお前がいたからだ。あんがとな」
「......お前、熱ないか?」
やっと出てきた言葉は、そんなかわいげのない言葉だった。
おいちょっと、それは言いすぎだろ! と隣で叫ぶあいつをほっときながら、私は別の方向を向いていた。今、私は絶対に見せられないような顔をしているってわかっていたから。
一緒にいるのもこれで六年目という事で、あいつには絶対に面と向かっては言ってやらないが、私はあいつの事を勝手に相棒だと思っていた。勝手にそんな風に思っていたが、もしかしたらあいつにとっては私もただの友人の一人でしかなかったのかもしれない。だが、あいつといるときは楽しかった。その日も簡単なあいさつで別れを告げ、私は帰路に就いた。
家に帰った後、クラブでの疲れを癒すために私は早めに布団の中にもぐりこんだが、眠気は一切なかった。何も考えずに瞼を閉じてぼーっとしていると、不意にあいつの顔が浮かんできた。火をつけようと試行錯誤する真剣な顔、クラブでのムードメーカーな気質や私に向けている、恐らく信頼と呼べる何か。ふと、彼がもう今年でいなくなってしまうというと思い出してしまい、嫌だと強く思ってしまった。あいつがいないクラブなんて想像できない。だってあのクラブに入ってからずっとあいつと共にいたんだ。なのに、それも今年で終わってしまうのかと思うと嫌だという思いが強くなった。あいつの大学は県内らしいが、それでも今までのあの距離感、相棒としての信頼は私に置かれなくなってしまう、そんなのは嫌だった。
私を置いていかないでほしい、そう思ったとき、電流が走ったかのような感じがした。頭には一言、「恋」という文字が浮かんでいた。その時、少し納得してしまった。私があいつには相棒としての親愛を持っているとばかり思っていたのに、蓋を開けてみればそれはただ単なるあいつへの好意と、独占欲じゃないか。そう分かってしまったとき、急に吐き気がした。吐くのは気合で抑えたが、自然と涙が出てきた。
昔から私は泣き虫で、どんくさくて、馬鹿だった。簡単なことで涙を流して、運動も何もできなくて、自分はすごいのだ、と思い込んでいるだけのただの凡人だった。いや、凡人以下と言うべきか。そんな人間があいつに、相棒としてならまだしも、好意を寄せる? 馬鹿らしい、身の程をわきまえろ。あいつにはお似合いの子がいるじゃないか。私なんかが入る隙間なんてない。
これは前回のクラブでの活動の時だった。このクラブを主催しているところは夏休みや冬休みと言った長い休みの時にキャンプも行っていた。そしてあいつは私と違ってキャンプも多く行っており、そのキャンプにもある程度参加しているメンバーが言うには彼はそこでも人気者だそうだ。
キャンプがあるという事は、そのキャンプだけ参加する人もおりある女の子、仮にその子をAとするが、その子は私のように月一のクラブには来ないがキャンプにはほとんど参加している子だった。月一のクラブの子でもキャンプにある程度参加していた子が言うには、キャンプの方であいつはAちゃんとまるで夫婦のように仲がいいらしい。実は、私はあいつが珍しく参加しなかったキャンプでその子、件のAちゃんに会ったことがあった。
彼女は私よりも年下だが、私よりもよっぽど女の子らしく、かわいらしく、運動もできた。私とは真逆の人間だ。あいつが好意を寄せるとしたらあんな子なんだろう。そう自然と思ってしまうほど、二人は私から見てもお似合いで釣り合っていた。私なんかがあいつの横にいるよりかはよっぽど、あいつは幸せになれる、そんな感じだった。ははは、もう笑ってくれ。私は人生全てで負け組じゃないか。どうせ何もできない、何も成し遂げることが出来ない、そんな人間が、私だ。
実際はあいつに恋人がいる。その恋人は、あの、Aちゃんだった。私があいつへの恋心を自覚した後の活動日だった。あいつが私に周りに隠れてスマホのホーム画面を見せてきた。そこにはあいつとあいつの恋人のツーショットがあった。
「おい~、水くせぇぞ、いつからだよ。言ってくれたら祝ってやったのによぉ。」
と、いつもと同じような雰囲気であいつをからかう、そんな私をあの時、きちんと演じきれていただろうか。
あの時分かった、私はあいつの相棒ですらない。聞いたら、もう何か月も前から付き合っていたらしい。私は、恋心を抱いている相手としても、相棒としても、失格だ。あいつの変化に気が付けない私はやはり、あいつの隣に立つべきじゃない。それに、あいつに恋人がいてもいなくても、あいつの本当の隣に私が立つことは、出来ない。
私がこの恋心を捨てるのは早かった。そうだ、私ごときが思い上がるな。あいつのそばにいるだけでも幸せなのに、それ以上何を望む? 大丈夫、今まであいつをそんな目で見たことはなかった、大丈夫、私はあいつへのこの不要なものを捨てられる。大丈夫だ。そう、信じていたのに。
ある日のことだった。夏の終わりごろだっただろうか。まだまだ夏の暑さが残っていて、夏休みも終わりかけだったか。
その日は珍しく夏休み中なのにクラブの活動があった。珍しく、あいつが残っていたので絡みに行こうと部屋の中に入ろうとした時、声が聞こえた。思わず立ち止まってしまった私の声に聞こえてきたのは、確か二つ下の女の子の声だった。
「先輩の事が好きです‼ 付き合ってください!」
えっ、と漏れてしまった声は誰にも聞こえていないだろうか。あいつが丁寧に断っている声を後ろに私は足音を立てないようにして急ぎ足でその場を立ち去った。
嫌だった、あいつがさらに、また誰かと付き合うのは。あいつのそばには今度こそ、ずっと私がいたかった。そう思ってしまった自分に愕然とした。私は今何を思っていた? こんな要らないものなんて捨てると、そう決めたはずじゃなかったのか? そう決めたはずなのに、なんで私は、あの女の子に、嫉妬しているんだ?
私は馬鹿か。未だに、あいつが私に恋心を抱いているかもしれないという、そんな甘い幻想を抱いていたのか。そんなこと万が一にも有り得ないというのに。そんなことも私は分からないのか。そんな簡単な現実の認識すらできないのか。
はは、私は、こんな醜い私はこの世に必要か? あいつが笑って生きている、こんな美しい世界に、こんな汚い私が存在していて本当にいいのか?
私が男に生まれていれば、そうしたら、あいつと本当の相棒に成れたのか? どうやっても女と男には差が出来る。筋力も、体力も、運動神経も、全て男が女に勝っている。男に生まれてきたら、あいつと同じように動けていて、あいつに置いて行かれることなんてなかったのだろうか。あいつ一人に、無理をさせることなんてなかったのだだろうか。私が男に生まれていれば、そうだったら私はあいつに、無駄な希望なんて持たなかったのに。
いつの間にか、日々がだらだらと過ぎていった。一体、あの日から何日過ぎたのだろう。あぁ、もうどうでもいい。成績も、大学も、未来の自分も、全部全部全部全部、どうでもいい。
昨日、私は何を食べたのだろう、過去の事が何も思い出せない。食事をしても味がしない、朝が来てほしくない、人と関わりたくない。そんな中でも、クラブの活動だけは、それだけはまだ楽しめていた、のかもしれない。分からない、自分が何かとても気持ち悪い何かに思えてきた。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。
気持ち悪い。
そんな風に私が思っていても、世間は何事もないかのように回っていく。クラブの仲間たちは私と違って、光の中にいる。あいつも、その中で笑っている。そんな中、変わったのは、変わってしまったのは、私だけだ。私が変わってしまったからもう、誰も私の事なんて見ていない。私は、こんな幸せな世界に必要ない。そう、言い切ってしまえるのに時間はかからなかった。
学校に行きたくない。どうせ、何をやっても変わらないというのに、何を教えるのだか。勉強を頑張る? 部活で思いっきり青春をする? 成績が落ちた、提出物が出ていない、そんな風に怒鳴る担任をどこか冷めた目で眺めていた。さぼっている? あぁそうさ。何をやっても意味がないじゃないか。これだからお前は? そうだな、私は何で生きているのだろう。
本当に何で私は生きているのだろう。私の全てを否定している担任の怒鳴り声をBGMに窓から眺めた秋晴れの高い青空に、トンビが飛んでいた。
鳥になりたい。鳥になって、どこか遠い世界に行って、それで、それで、それで......。何をしたいんだ? 私は。
ただ、鳥が羨ましかった。空を自由に飛んでいて、どこまでも行ける。人間のこんなしがらみからも全部抜け出したい。空を飛ぶのは楽しいんだろうなぁ。いいなぁ、羨ましいなぁ。人間に生まれるのは決して幸せなんかじゃない、動物に、いや、植物に生まれた方が幸せだった人間が、私以外にもいるかもしれない。......いや、この「幸せな国」で、そんな事を考える人なんていないか。
こんなくそったれな世界だが、唯一、共感できる考えがあった。「死は悲しむことではない」。死んだ人はカミサマの世界で幸せに暮らすんだ。そんな風になりたければ、この人生を幸せにしろ。そんな考えがこの国にはあった。
故人がカミサマの世界に行くのは眉唾物だ。ただ、死は決して忌避されるものではない。この考えには同意だった。死とは、人間が平等に与えられた人生のリセットボタンだ。今まで積み上げてきたものはなくなるが、逆に言うと、今までのろくでもないことしか出来なかった自分がいなくなる。これから自分が恥の上塗りをすることもなくなる。素晴らしいことじゃないか。こんな自分が生きていて人様に迷惑をかけることもない。ただ、そのボタンを私はすぐに押せなかった。私は、自分自身は消えてほしいほどに憎いが、こんな私と共にいてくれた友人たちは幸せになって欲しかった。あいつも、もしかしたら私が死んだら悲しんでくれるかもしれない、それはそれで嬉しいが、私はあいつに私のことなど忘れて幸せになって欲しかった。あいつや、私の大切な友人たち、そして私の両親。彼らには悲しんで欲しくなかった。だけど、自分と関わった人全員の記憶を消すことなんてできない。私が何もしないまま、季節は秋へと進んでいった。
そんなある日、とある噂が私の耳に入った。校舎裏の、古びた祠に逢魔ヶ刻にお参りに行くと、祭られているカミサマが一つだけ願いをかなえてくれる。
もしそれが本当だとしても、きっと願ったものはただでは済まないだろう。でも、それでいい。私と言う異物の存在を忘れて、彼らが幸せになる、そんな素晴らしいことがあってもいいのだろうか。その日、私は授業中もずっと、その祠の事について考え続けていた。そして学校が終わったら誰にも見られないようにしながら祠へと向かった。
その祠は扉が外れかかっていて、色褪せていた。石には苔が生え、周りには雑草が伸びていた。いかにも放置されていたといわんばかりの様子だったが、そこに何かがいる、という事は分かっていた。
「カミサマ、カミサマ、どうか、お願い聞いてくださいますか」
私がそう願うと、一陣の風が私のスカートを揺らした。秋虫の鳴き声が急にぴたりと止んだ。
ーーー人間よ。お前は何を望むーーー
突如、人間とは思えない、底冷えのする恐ろしく無機質な声が私の頭の中に響いた。
「私は、わたしは......。どうか、この無意味な人生に関わった全ての人間から私の記憶を消していただけませんか?」
ーーーそれ相応の対価は必要だと、分かっているのだろうなーーー
えぇ、それぐらいわかっています。それでも、どうか、こんな人生に関わらせてしまった彼らが幸せになって欲しい。ただ、その一心でここまで来た。どうか、どうか、ご慈悲を。
ーーーそうか、対価は ーーー
意外だった。そんなものでいいのか。それならば、どうぞ。もう、私には必要のないものだから。
だから......。
ちょうど昇ってきた太陽の光が私の影を地面に落とした。錆の浮かんだ手すりを乗り越え、一瞬、無重力状態に放り出された私の体は、すぐに重力に従って下へ下へと落ちていった。秋らしい明け方の冷たい空気をまとった風が私の頬を切り裂く。最近、雨が多かったが、珍しく今日はきれいな青空だった。なのに、なぜか私の顔にだけ雨が降ってきた。何でだろう、世界はこんなにも美しいというのに。
あぁ、足が、手が、崩れ、空気に溶けこんでいく。溶けて、溶けて、消えて。
真っ暗で、何も見えない中で、唯々願う。
あぁどうか神様。彼らの、あいつの行く末に幸多からんことを。




