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この対称性は優しい暴力である。

「第3審査室」と銘打たれたその部屋は、 鏡面ホールの広大さとは対照的に、 意図的に狭く、 圧迫感を感じさせる設計だった。

天井の隅には監視カメラの赤い点滅灯が不気味に光り、 無機質な白色の壁と床が冷たさを増幅していた。長い金属製のテーブルを隔てて、 ヴィクトルは一人、 椅子に座っていた。


テーブルの向こう側には、 政府系の理事、クロウが待ち構えていた。

整ったスーツに身を包み、 銀縁の眼鏡をかけたその男は、 冷ややかな笑みを浮かべていたが、 目は氷のように冷たかった。

権力の匂いが、 消毒液の匂いに混ざって漂っていた。


「ハーゲン博士。」 クロウの声は滑らかで、丁寧すぎるほどだったが、 その底には侮蔑が透けて見えた。 「どうやら近頃…少々、危険な思想の森に迷い込まれているご様子で?」


クロウは手元のタブレットを軽く叩いた。

ヴィクトルの私室のモニターに表示されていた論文タイトル――『鏡面パラドックス連鎖…』――のスクリーンショットが、 テーブル上の大型ディスプレイに映し出される。

『パラドックス』『崩壊』『固定』という言葉が、 赤いアンダーラインと共に強調されていた。


「『パラドックス』? 『存在論的崩壊』?」 クロウは鼻で笑った。

「そしてこの『固定』とは? 博士。 我々GMIが、 莫大な予算と世界の期待を背負って生み出そうとしている『絶対的な成果』を、 自ら疑うとは? いや、 貶めるとは?」


「疑うのではありません、 クロウ理事。」

ヴィクトルは平静を装い、 低く落ち着いた声で応じた。 「完成させるための提言です。 現在のプロトコルでは、 AとBの相互干渉が理論上、 不可避であり、 それが―」


「『相互干渉』?」 クロウは掌をパッと前に突き出し、 ヴィクトルの言葉を遮った。 その動作は威嚇的だった。

「博士。 我々は神でも創造主でもない。 忘れたか? 我々が創っているのは『道具』だ。 ただの道具に過ぎないのだよ?」


クロウの声は急に低く、 鋭くなった。 身を乗り出し、 ヴィクトルを射抜くような視線を向ける。


「結果を予測し、 資源配分を最適化し、 紛争の火種を事前に消し去るための…高度な『鏡』だ。 その鏡が、 勝手に暴走したり、 崩壊したりするなどというのは…」 クロウはゆっくりと首を振り 、憐れむような笑みを浮かべた。


「…老いた賢者の、時代遅れの妄想もいいところだ。」


一瞬の沈黙。 部屋の冷気がヴィクトルの肌を刺す。

クロウはさらに声を潜め、 囁くように続けた。


「…しかしな、博士。 その『妄想』が、 プロジェクトの純粋性を傷つけ、 世界から集められた莫大な予算と、 かけがえのない期待を危うくするとなれば…話は別だ。 」


「『テロリズム』というものは、 時に…爆弾や銃ではなく、 危険な『思想』という形を取ることもある。」 クロウの目が細くなった。

「博士の『懸念』が、 不幸にも…そう解釈される可能性があることくらい、 賢明な貴方なら、 とっくにお気づきだろう?」


言葉の刃が、 冷たい空気と共にヴィクトルの心臓を貫いた。

テロリズム。

その非難が現実のものとなる可能性が、 老科学者の背筋に冷たい汗を走らせた。 クロウは優雅にタブレットを操作した。

次の瞬間、 ディスプレイには新しい画像が映った。 研究所の外、 人気のないカフェのテラスで、 ヴィクトルが誰かと向かい合っているスナップ写真だ。

相手の顔はぼかされているが、 カメラやメモを持っている様子から、 ジャーナリストと推測できた。


「ご自身のためにも…しばらくの『休息』が必要かもしれんな。」 クロウの声にはもはや偽装の丁寧さすら消えていた。

「『論文』なるものの存在も、 理事会は…当然、 把握している。 その…危険な思想の結晶が、 外部に漏れるようなことがあれば…」


「結果は、 貴方が最も恐れている事態を、 はるかに超えるものになるだろう。」


クロウはそれ以上言わなかった。

無言の脅迫が、 監視カメラの赤い点滅と共に、 ヴィクトルを静かに締め上げた。 老科学者は拳を握りしめ、 爪が掌に食い込むのを感じた。抵抗はもはや無意味だった。

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