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第3話 「流れる雲と、心に咲く花 (前編)」

サッカー部の健太と達也が雨降って地固まるように絆を深めてから数週間。


2年B組の教室には、初夏の爽やかな風が吹き込み、生徒たちの間には期末テストを乗り越えた安堵感と、間近に迫った夏休みへの期待感が漂っていた。


道真みち まことは相変わらず窓際で昼寝を決め込み、橘凛たちばな りんは、そんな真の寝顔を(無意識に)眺めては、小さくため息をつくのが日常になりつつあった。


しかし、そんな穏やかな空気の中で、一人だけ、まるで梅雨空のように心を曇らせている生徒がいた。


鈴木遥すずき はるか


クラスでも明るくおしゃれなグループの中心的存在で、いつも笑顔を絶やさなかった彼女が、最近はめっきり口数も減り、伏し目がちになっていることに凛は気づいていた。


以前、遥は他校に通う一つ年上の彼氏のことを、頬を染めながら嬉しそうに話していたものだった。


「遥、最近元気ないけど…何かあったの?」


昼休み、一人で机に突っ伏している遥に、凛が心配そうに声をかけると、遥はゆっくりと顔を上げた。


その目は泣き腫らしたように赤く、無理に作った笑顔が痛々しい。


「…ううん、なんでもないよ。ちょっと、寝不足なだけ」


そう言って誤魔化そうとする遥だったが、やがてこらえきれなくなったように、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。


「…彼にね、振られちゃったんだ。夏休み、一緒に旅行行こうねって、約束してたのに…突然、『他に好きな人ができた』って…」


しゃくりあげながら語る遥の言葉は、聞いている凛の胸まで締め付けた。


あんなに幸せそうだった遥が、こんなにも深い悲しみに沈んでいる。


それからというもの、遥はまるで抜け殻のようになってしまった。


大好きだったおしゃれもする気になれず、食事も喉を通らない。


夜も、彼との楽しかった思い出ばかりが頭を駆け巡り、なかなか寝付けない日が続いていた。


スマートフォンのSNSを開けば、元彼の楽しそうな日常が目に飛び込んできて、そのたびに胸が抉られるような痛みを感じる。


授業中も、ふとした瞬間に涙が溢れそうになり、必死で堪える毎日だった。


「どうして…? あんなに『ずっと一緒だ』って言ってくれたのに…何がいけなかったんだろう…」


凛や共通の友人たちが「元気出して」「時間が解決してくれるよ」と慰めても、遥の心には届かない。


「今はそっとしておいてほしい」


「こんな気持ち、誰にも分からないよ…」


そう言って、彼女は自分の殻に閉じこもっていくばかりだった。


道真も、以前の太陽のような明るさを失ってしまった遥の姿を、静かに気にかけていた。


彼女が、「変わってしまった現実」を受け止めきれず、「変わらないでほしかった過去の幸せ」に必死にしがみつこうとして苦しんでいることを見抜いていた。


ある日の放課後、凛が「遥のこと、本当に心配で…なんて声をかけたらいいのか…」と真に相談を持ち掛けた。


「ま、失恋ってのは、風邪みたいなもんだ。特効薬はねえけど、こじらせると厄介だからな」


真はそう言うと、一人教室の窓辺で夕焼けを眺めていた遥の隣に、いつものように音もなく近づき、そっと腰を下ろした。


「よお、鈴木。なんか、世界で一番不幸なヒロインみたいな顔してんぞ」


遥は、驚いて真の顔を見たが、すぐにまた俯いてしまった。


「…ほっといてよ」


「そりゃ無理な相談だな。同じクラスのダチが、そんな雨漏りみてえな顔してたら、気になるだろ、普通」


真は、遥の悲しみを茶化すでもなく、かといって安易に同情するのでもない、不思議な距離感で続けた。


「そっか…それは、キツいよな。胸にぽっかり穴が開いたみてえで、息するのも苦しいだろ?」


その言葉は、遥の心の最も柔らかい部分に、そっと触れたようだった。


彼女の瞳から、また涙が溢れそうになる。


「でもさ、遥」真の声のトーンが、少しだけ穏やかなものに変わる。


「人の気持ちってのは、空を流れる雲みてえなもんなんだよな。ずっと同じ形してるわけじゃねえ。風が吹けば形を変えるし、時には雨を降らせたり、虹をかけたりもする。昨日まで真っ青な空だったのに、次の日にはどんより曇ってるなんてことも、ざらだろ?」


遥は、黙って真の言葉を聞いていた。


「昨日まであんなに大好きだったものが、今日はなんだかそうでもなくなったり、逆に、全然興味もなかったはずのことに、急に心を奪われたりする。それって、誰にでも、いつだって起こりうることじゃねえかな」


「…でも、あんなに、永遠だって、信じてたのに…」


絞り出すような遥の声に、真は静かに頷いた。


「ああ、信じるよな。その時は、本気でそう思うもんだ。でもな、桜の花って、すげえ綺麗だけど、いつまでも満開のままじゃいられねえだろ? ハラハラと散っていくからこそ、その一瞬の美しさが胸に焼き付くし、また次の春が待ち遠しくなるってもんだ」


真は、窓の外、遠くに見える公園の桜並木に目をやった。


今はもう、青々とした葉桜になっている。


「大好きだった思い出も、無理に忘れようとしなくていい。それは、遥の心の中に咲いた、綺麗な花みたいなもんだ。でもな、その花をずっと手の中に握りしめてたら、いつか萎れて色褪せちまう。心のアルバムに大切にしまって、時々そっと取り出して眺めるくらいが、一番綺麗なのかもしんねえぜ」


真の言葉は、遥の心にゆっくりと染み込んでいく。


「変わっちまったもんは、どんなに願っても、元には戻せねえ。それは、確かに悲しいことだ。でもな、遥。変わっていくからこそ、新しい風も吹くし、新しい花も咲く。新しい出会いも、そして、新しい自分も見つけられるんじゃねえかな」


真はそれ以上何も言わず、ただ静かに夕焼け空を眺めていた。


遥も、俯いたまま、真の言葉を胸の中で何度も繰り返していた。


すぐに涙が止まるわけではない。


心の痛みも、そう簡単には消えないだろう。


それでも、真が語った「流れる雲」や「心に咲く花」というイメージは、頑なに過去に囚われていた彼女の心に、ほんの小さな風穴を開けたような気がした。


(変わっていくからこそ…新しい私が…?)


それはまだ、か細い光だったが、暗闇の中で見つけた唯一の道しるべのように、遥の心に微かな希望を灯し始めていた。



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