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第23話 「散りゆく花びらと、心に灯る温もり (前編)」

噂話の一件が静かに収束し、2年B組の教室には以前のような落ち着きと、どこか互いを思いやるような温かい空気が戻ってきていた。


秋も深まり、窓から見える木々の葉が赤や黄色に色づき始める頃、生徒たちは間近に迫った期末テストや、少しずつ具体的になってきた進路について、それぞれの思いを巡らせていた。


道真みち まことは相変わらず窓際でうたた寝をし、橘凛たちばな りんは、そんな真の姿を、以前よりもずっと穏やかな気持ちで見守ることができるようになっていた。


しかし、そんな平穏な日常の中で、一人、深い悲しみの淵に沈んでいる生徒がいた。


動物好きで心優しく、少し引っ込み思案な桜井葉月さくらい はづきだ。


彼女には、幼い頃から家族同然に過ごしてきた愛犬の「ココ」が高齢で、最近めっきり体調を崩していた。


葉月は毎日学校から帰ると、ココのそばに寄り添い、必死で看病を続けていたのだが…。


その知らせは、ある月曜日の朝、担任の山田先生からクラスに伝えられた。


「桜井さんの愛犬が、週末に亡くなりました。しばらく学校をお休みするとのことです」


教室は一瞬にして静まり返り、生徒たちの間には動揺と、葉月を思う沈痛な空気が広がった。


特に、同じグループでボランティア活動を共にした凛や一条茜いちじょう あかね鈴木遥すずき はるかたちは、葉月のココへの深い愛情を知っていただけに、その悲しみを思うと胸が痛んだ。


数日後、ようやく登校してきた葉月の姿は、痛々しいほど憔悴しきっていた。


目は泣き腫らし、顔色も悪く、大好きだったはずの友達と目を合わせようともしない。


食事もほとんど喉を通らず、夜も眠れない日が続いていると、心配した彼女の母親がこっそり凛に話してくれた。


部屋に閉じこもり、ココとの思い出の写真や動画ばかりを繰り返し見ているのだという。


「どうして、もっと早く気づいてあげられなかったんだろう…」


「あの日、もっとたくさん遊んであげればよかった…」


「ココがいない生活なんて、もう考えられない…」


後悔と自責の念、そしてどうしようもない喪失感が、葉月の心を支配していた。


凛や茜、遥たちは、何とか葉月の力になりたいと思ったが、どんな言葉をかければいいのか分からず、ただ遠くから見守ることしかできなかった。


「頑張って」という言葉はあまりにも無力で、「元気出して」という言葉は残酷にさえ感じられた。


下手に慰めようとすれば、かえって彼女を傷つけてしまうかもしれない。


クラス全体が、葉月の深い悲しみにどう寄り添えばいいのか、戸惑っていた。


「桜井さん…本当に辛そうで…私たち、何もしてあげられないのかな…」


放課後、凛が真に相談すると、真はいつものようにお菓子を齧る手を止め、静かに窓の外に目をやった。


そこには、一人、力なくトボトボと帰り道を歩く葉月の後ろ姿が見えた。


「ま、時間が薬って言うけどな。その薬が効くまでには、結構な時間がかかることもある。特に、心の傷が深けりゃ深いほどな」


その翌日、真は、中庭のベンチで一人うつむいている葉月を見つけた。


彼女の足元には、ココがよく遊んでいた小さなボールが、まるで持ち主を待つかのように寂しげに転がっている。


真は、何も言わずに葉月の隣にそっと腰を下ろした。


葉月は、真の気配に気づいたが、顔を上げる気力もないようだった。


「桜井」


真は、静かで、そして優しい声で言った。


「…辛かったな。ずっと一緒だった家族がいなくなるってのは、胸にぽっかり大きな穴が開いちまうみてえに、どうしようもなく寂しくて、苦しいよな」


その言葉は、葉月の心の奥底に、そっと寄り添うように響いた。


今まで誰にも理解されないと思っていた自分の悲しみを、この人は分かってくれているのかもしれない。


そう思った瞬間、堪えていた涙が、また止めどなく溢れ出した。


真は、泣きじゃくる葉月の背中をさすることも、無理に言葉をかけることもしなかった。


ただ、静かに、彼女の悲しみが少しでも流れ出るのを待っているかのようだった。


やがて、葉月の嗚咽が少しだけ小さくなった頃、真は再び口を開いた。


「でもな、桜井。どんなに愛おしい命も、いつか必ず終わりが来る。それは、どんなに俺たちが願っても、決して変えることができない、この世界の大きな約束事みてえなもんなんだ。春にどんなに美しく咲き誇った桜の花だって、いつかはハラハラと散っていく。どんなに楽しかったお祭りだって、いつかは終わりの時間が来ちまうんだ」


真の言葉は、厳しくも優しい真理を、葉月に伝えていた。


葉月は、涙で濡れた顔を上げ、か細い声で言った。


「…分かってる…分かってるけど…でも、やっぱり悲しいの…ココがいないなんて、考えられない…」


「ああ、そうだよな。悲しくて当たり前だ。考えられなくて当然だ」真は、深く頷いた。「無理に忘れようとしなくていい。悲しい時は、思いっきり悲しんでいいんだ。その悲しみも、ココが桜井にとって、どれだけ大きな存在だったかっていう証なんだからな」


真の言葉は、葉月の心にどんな変化をもたらすのだろうか。


深い悲しみの淵にいる彼女が、再び顔を上げ、一歩を踏み出す日は来るのだろうか。


凛や茜、そしてクラスの仲間たちは、ただひたすら、葉月の心が少しでも癒えることを願いながら、彼女を見守り続けるしかなかった。


そして真は、そのための「カギ」を、また一つ、葉月の心にそっと手渡そうとしていた。


それは、形あるものの「無常」を受け入れ、それでも心の中に灯り続ける「変わらない温もり」に気づくための、大切なカギだったのかもしれない。




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