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第2話 「絡み合う糸と、一筋の涙 (後編)」

道真の言葉は、松井健太の心に重く、そして深く突き刺さった。


「本当に…先輩だけのせいじゃ、なかったのか…?」


その問いが、頭の中で何度も繰り返される。


真が置いていったスポーツドリンクの冷たさが、やけに手のひらにリアルだった。


その夜、健太は眠れずに、地区大会の試合の録画を何度も見返した。


最初は、やはり相田達也のあのパスミスばかりが目に付いた。


しかし、真の「蜘蛛の巣の糸」という言葉を思い出しながら、何度も、何度も、角度を変えて見ているうちに、今まで気づかなかったものが見え始めた。


相手チームの巧みなプレッシャー、中盤での自分自身のポジショニングの甘さ、そして、声を掛け合っていたはずなのに、どこか噛み合っていなかったチーム全体の細かな連携ミス…。


それら一つ一つは小さな綻びだったかもしれないが、確かに敗北という結果に繋がる無数の糸の一部だった。


(俺も…俺だって、もっとやれることがあったはずだ…)


自分の視野の狭さ、そして憧れていた先輩一人に全ての責任を押し付けていた幼稚さに気づき、健太の胸は締め付けられるような痛みに襲われた。


一方、真はあの日、健太に声をかけた後、一人グラウンドで黙々とボールを蹴り続ける達也のもとへも足を運んでいた。


「よお、キャプテン翼も真っ青なシュート練習だな」


「…道か」


達也は汗を拭いもせず、力なく笑った。


「見てたのか。情けないだろ、後輩にあんな態度取られて…全部、俺のせいなんだけどな」


「全部、ねえ…」


真は達也の隣に座ると、空を見上げた。


「一つのミスが、そんなに万能だとは思えねえけどな。お前があの時、どんな思いで、チームのために必死で走ってたか。そして今、何をすべきか。そっちにも、ちゃんと目を向けてやったらどうだ?」


達也は言葉に詰まった。


「絡み合った糸ってのはさ、時には誰かが勇気を出して、そっと解きほぐしてやらなきゃ、もっともっと複雑にこじれて、最後には切れちまうこともあるんだぜ」


真の言葉は、達也の心にも静かに響いていた。


翌日の部活動。


健太は、練習中も達也の姿を目で追ってしまっていた。


その表情は以前よりもずっと硬く、どこか疲れているように見える。


自分の一方的な態度が、どれだけ彼を苦しめていたのだろうか。


そう思うと、胸が張り裂けそうだった。


練習の合間、給水所で達也と二人きりになる瞬間があった。


健太の心臓が、早鐘のように鳴り響く。


今しかない。


でも、言葉が出てこない。


その時、ふいに達也が口を開いた。


「松井…昨日の練習試合の動き、よかったぞ。あの角度からのシュート、いい武器になる」


それは、以前のような親しげな口調ではなかったが、確かに健太のプレーを認める言葉だった。


その一言が、健太の心の最後の壁を壊した。


「達也先輩っ…!」


健太の声は震えていた。


練習を終え、部員たちが帰り支度を始める中、健太は達也の前に走り寄り、深々と頭を下げた。


「先輩…俺…俺、ずっと勘違いしてました! あの試合、先輩だけのせいじゃなかった…俺も、チームも、もっとやれることがあったのに…なのに、先輩一人を責めて…本当に、本当に、ごめんなさいっ!」


堰を切ったように溢れ出す言葉と共に、健太の目からは大粒の涙が止めどなく流れ落ちた。


その純粋な後悔と謝罪の言葉は、周りで帰り支度をしていた部員たちの足をも止めさせた。


達也は、健太の震える肩を黙って見つめていた。


そして、ゆっくりと手を伸ばし、その肩にそっと触れた。


「…顔を上げろよ、松井」


健太が涙でぐしゃぐしゃの顔を上げると、達也の目もまた、赤く潤んでいた。


「俺も…悪かった。お前の気持ち、ちゃんと受け止めようとしなかった。キャプテン失格だ。…でもな、松井。お前があの時流した涙も、今こうして謝ってくれたその気持ちも、絶対に無駄じゃない」


達也は、健太の肩を強く掴んだ。


「負けたのは、めちゃくちゃ悔しい。でも、この悔しさがあるから、俺たちはまた強くなれるんだ。そうだろ? 一緒に、また全国目指そうぜ、健太!」


「…はいっ! はいっ…!」


健太は、何度も頷きながら、しゃくりあげた。達也が差し出した手を、力強く握り返す。


その瞬間、二人の間にあった冷たい溝は完全に消え去り、熱いものが込み上げてくるのを、お互いに感じていた。


「よーし! いいぞ、お前ら!」


突然、野太い声が響いた。


見ると、キャプテンをはじめとする上級生たちが、涙をこらえながらも笑顔で二人を取り囲んでいた。


「よく言ったな、松井!」


「達也も、一人で抱え込みすぎなんだよ!」


「これでこそ、俺たちのチームだ!」


誰からともなく、輪が広がり、健太と達也の肩を叩く音が響く。


その輪の外では、凛がそっと目頭を押さえ、真はいつものように少し離れた場所から、満足そうにその光景を眺めていた。


夕焼けがグラウンドを茜色に染める頃、そこには以前と変わらない、いや、以前よりももっと強い絆で結ばれたサッカー部の姿があった。


健太と達也は、ぎこちないながらも笑顔でパスを交換し、そのボールを仲間たちが追いかける。


「道君…ありがとう」凛が、真の隣に歩み寄り、小さな声で言った。


「俺は何もしてねえよ。あいつらが、自分で絡まった糸を解いただけだろ。ま、ちょっとだけ、引っ張る方向を示したかもしんねえけどな」


真はそう言ってニヤリと笑うと、グラウンドで躍動する彼らに向かって、小さく手を振った。


人の心は時にすれ違い、複雑に絡み合う。


しかし、ほんの少しの勇気と、相手を思う誠実な心があれば、その糸は解きほぐされ、より強く、そして美しい絆へと織り直されていくのかもしれない。


2年B組の、そして道真の「心のカギ」を巡る物語は、まだ始まったばかりだ。



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