第19話 「見えないタスキと、繋がる笑顔 (前編)」
秋も深まり、文化祭や体育祭といった大きな行事を終えた2年B組の教室には、どこか落ち着いた、それでいて確かな充実感が漂っていた。
道真は相変わらずの飄々とした態度で窓際の日向を陣取り、橘凛は、そんな真の姿を、以前よりもずっと自然な、そして温かい眼差しで見守るようになっていた。
一条茜もまた、クラスの中心で明るい笑顔を振りまきつつ、時折見せる素顔の魅力で、皆を惹きつけていた。
そんなある日、学校から地域貢献活動の一環として、週末に行われる近所の「ふれあい公園」の清掃活動と、隣接する高齢者施設「陽だまりの家」での交流会へのボランティア参加が呼びかけられた。
2年B組からも、凛や茜、中村健太、鈴木遥、そして以前は引っ込み思案だった小野寺静香など、数名の生徒が参加することになった。
もちろん、真もいつの間にかそのリストに名前を連ねていた。
「えー、週末まで学校行事かよー」
「ボランティアって、何すんの? めんどくさそう…」
生徒たちの中には、正直なところ、あまり乗り気でない者も少なくなかった。
活動当日。
秋晴れの空の下、生徒たちは二手に分かれた。
公園清掃組は、思った以上のゴミの量にうんざりしながらも、黙々と落ち葉や空き缶を拾い集める。
高齢者施設組は、どこか緊張した面持ちで「陽だまりの家」の門をくぐった。
施設の中では、車椅子に座ったお年寄りや、談話室で静かにお茶を飲むお年寄りが、生徒たちを穏やかな笑顔で迎えてくれた。
しかし、いざ交流となると、生徒たちはどう接していいものか戸惑ってしまう。
中村は、持ち前の明るさで場を盛り上げようとするが、お年寄りの反応は薄く、どこか空回り。
静香は、緊張で言葉も出ず、ただ俯いているばかりだ。
茜も、いつもより少しぎこちない笑顔で、お年寄りに話しかけてはいるものの、なかなか会話が続かない。
凛は、そんな皆の様子を見ながら、どうすれば打ち解けられるだろうかと気を揉んでいた。
一方、公園清掃組は、黙々とゴミを拾い続ける真の姿があった。
時折、通りかかった近所の人から
「ご苦労様、綺麗になるねえ」
と声をかけられると、真はニカッと笑って「どういたしまして!」と返す。
その単純なやり取りが、他の生徒たちの心にも、ほんの少しだけ温かいものを灯した。
「なんか…『ありがとう』って言われるの、ちょっと嬉しいかも」
遥が、ポツリと呟いた。
高齢者施設でも、少しずつ変化が訪れていた。
静香が、おずおずとスケッチブックを取り出し、窓辺に座る一人のおばあさんの似顔絵を描き始めたのだ。
最初は遠巻きに見ていたおばあさんだったが、完成した絵を見て、「まあ、私かい? こんなに綺麗に描いてくれて…ありがとうねえ」と、顔をくしゃくしゃにして喜んでくれた。
その笑顔を見た静香の頬も、ほんのりと赤く染まった。
中村も、お年寄りの一人が昔やっていたという将棋の話に興味を示し、ぎこちないながらも盤を挟んで向き合うと、意外なほど話が弾んだ。
活動の合間に、休憩していた生徒たちのもとへ、真が缶ジュースを差し入れにやってきた。
「よお、みんな、お疲れさん。一見、地味な作業かもしんねえけどさ、こうやって俺たちがちょっと汗かいて、誰かのために時間を使うことで、この公園が気持ちよくなったり、ここのじいちゃんばあちゃんたちが、ほんの少しでも笑顔になったりする。それって、なんか、すごくいいことだと思わねえか?」
生徒たちは、真の言葉に静かに頷く。
「『情けは人のためならず』って言うけどよ、あれって結局、巡り巡って、いつか自分に温かいもんが返ってくるって意味だろ? 誰かのためにやったことってのは、気づかねえうちに、自分自身の心もポカポカにしてくれてるもんなのかもしんねえぜ」
真は、空を見上げて続けた。
「俺たちが今こうして、当たり前みてえにここに立ってんのもさ、誰かが道を作って、家を建てて、ご飯作ってくれたりしたおかげなんだよな。全部、目に見えないところで、いろんなもんが複雑に絡み合って、支え合ってんだよ、きっと。この世界はな」
真の言葉は、生徒たちの心に静かに染み込んでいった。
自分たちの小さな行動が、誰かの役に立ち、そしてそれがまた自分たちの心を満たしてくれる。
そんな「見えない繋がり」を、彼らは少しずつ実感し始めていた。
交流会も終わりに近づいた頃、一つの出来事が起こった。
いつもは窓の外をぼんやりと眺めているだけで、ほとんど口を開くことのなかった小林トメさんというおばあさんが、生徒たちが歌う童謡を聞いているうちに、突然、堰を切ったように昔話を語り始めたのだ。
それは、トメさんが若い頃、大好きだった絵を描いていたこと、そして、ある出来事がきっかけで、絵筆を折ってしまったという悲しい思い出だった。
「あの頃は…本当に、絵を描くのが楽しくてねえ…でも…」
そこまで話すと、トメさんの目から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。
そして、言葉に詰まってしまったのだ。
生徒たちは、その突然の涙にどう対応すればいいのか分からず、戸惑ったように顔を見合わせた。
しかし、彼らはもう、ただ傍観しているだけの存在ではなかった。
これまで地域の人々と触れ合い、真の言葉に耳を傾けてきた経験が、彼らの心に小さな勇気と、そして深い共感を育てていた。
このおばあさんの心の奥に隠された想いに、彼らはどう寄り添うのだろうか。
そして、この出会いは、彼らに何をもたらすのだろうか。