第14話 「移りゆく季節と、変わらぬ想い (後編)」
道真の「川の流れ」という言葉は、佐藤美咲の心に静かな波紋を広げ続けていた。
「変わっていくのが、当たり前…」
その言葉を何度も胸の中で繰り返すうちに、今まで頑なに「変わらないでほしい」と願っていた自分の心が、少しずつ解きほぐされていくのを感じていた。
それは、親友・伊藤彩華の変化を否定するのではなく、まずありのままに受け入れてみようという、小さな勇気の芽生えだった。
美咲は、以前のように彩華のSNSを見ては落ち込むのではなく、そこに映る彩華の生き生きとした表情や、新しい仲間たちとの楽しそうな様子を、少しだけ客観的に眺められるようになっていた。
「彩華、本当に楽しそうだな…」
そこには、寂しさだけでなく、親友の新しい輝きに対する、ほんの少しの眩しさも混じっていた。
ある日、美咲は勇気を出して、彩華が夢中になっているダンスチームの話題を振ってみた。
「彩華…この前のダンスのイベント、すごく盛り上がってたみたいだね」
「えっ、美咲、見てくれたの!? そうなの、もう最高でね!」
堰を切ったように話し出す彩華の表情は、本当に楽しそうで、その輝きに美咲は胸がチクリと痛むのを感じながらも、相槌を打ちながら耳を傾けた。
一方の彩華もまた、美咲の元気のない様子を気にかけ始めていた。
ダンスに夢中になるあまり、美咲との時間が減ってしまっていたこと、そして、美咲がどこか寂しそうな表情を浮かべることが多くなったことに、ようやく気づき始めていたのだ。
「もしかして、私、美咲に寂しい思いをさせてた…?」
その思いは、彩華の心に小さな罪悪感と戸惑いを生じさせていたが、どう切り出していいものか分からず、かえって美咲に対してぎこちない態度を取ってしまうこともあった。
そんな二人の微妙な空気を察した橘凛と鈴木遥は、何とか二人が自然に話せるきっかけを作れないかと考え、週末に「ちょっと早めの夏休み計画&勉強会」と称して、数人の友人を集めて凛の家に集まることを提案した。
その勉強会の途中、凛と遥がさりげなく席を外し、美咲と彩華が二人きりになる時間が訪れた。
気まずい沈黙が流れる。
先に口を開いたのは、美咲だった。
「…彩華」
その声は、震えていた。
「私ね…最近、彩華がダンスに夢中になって、私とのこと、もうどうでもよくなっちゃったのかなって…すごく、寂しかったの。置いていかれるみたいで…怖かった…」
堰を切ったように溢れ出す美咲の言葉と共に、その瞳からは大粒の涙がこぼれ落ちた。
彩華は、美咲の涙と、初めて聞くその痛切な思いに、胸を強く突かれた。
そして、自分の無神経さと、親友を深く傷つけてしまっていたことに気づき、たまらない気持ちになった。
「美咲…ごめん…! 私、全然気づいてあげられなくて…! ダンスに夢中になって、美咲のこと、ちゃんと見てなかった…。本当に、ごめんなさい…!」
彩華の目からも、涙が溢れ出した。
「でもね、美咲。私にとって、美咲が一番大切な友達だって気持ちは、今も昔も、全然変わってないよ! 本当だよ!」
「…本当?」
「うん、本当! ただ…私、新しいことにも挑戦してみたかっただけで…美咲を傷つけるつもりなんて、全然なかったの…」
二人は、泣きながら、お互いの気持ちを確かめ合うように、言葉を重ねた。
その時、部屋の隅で漫画を読んでいたふりをしていた真が、いつものように飄々と口を挟んだ。
「ま、川の流れは変わっても、そこに流れてる水そのものが、いきなり泥水になったり、蒸発してなくなっちまったりするわけじゃねえだろ? 友情ってのも、案外そんなもんなのかもしんねえな。形が変わったり、流れの速さが変わったりしても、その奥にある、お互いを思いやる気持ちっていう水の源泉は、そう簡単には枯れたりしねえもんさ」
真の言葉は、涙に濡れた二人の心に、温かく染み込んだ。
美咲と彩華は、顔を見合わせ、そしてどちらからともなく小さく吹き出した。
涙の跡が残る顔に、ようやく笑顔が戻ってきた。
「そっか…そうだよね」
美咲が呟く。
「これからは、前みたいに毎日ずっと一緒ってわけにはいかないかもしれないけど…それでも、私たちは親友だよね」
「うん、もちろんだよ! これからも、ずっと!」
彩華が力強く頷く。
二人の間には、雨上がりの空にかかる虹のような、清々しくて、そしてより一層深まった絆が生まれていた。
それは、変化を受け入れ、それでも変わらない想いを確かめ合った、少しだけ大人になった二人の、新しい友情の始まりだった。
数日後、美咲は、彩華が出場するダンスの発表会に、手作りの応援うちわを持って駆けつけた。
ステージの上で生き生きと踊る彩華の姿は、本当に輝いていて、美咲は心からの拍手を送った。
彩華もまた、客席の美咲を見つけると、最高の笑顔で手を振った。
そして、発表会が終わった後、彩華は美咲に、美咲が好きだと言っていたアーティストの新しいCDをプレゼントした。
「今度、一緒にライブ行こうよ!」
その言葉に、美咲は満面の笑みで頷いた。
教室の窓から、そんな二人を眺めていた凛は、胸が熱くなるのを感じていた。
そして、隣で相変わらずのんびりと空を眺めている真に、小さな声で言った。
「人の心って、本当に変わりゆくものだけど…でも、変わらないものも、確かにあるんだね」
「ま、そういうもんだろ」
真は、空を指さして言った。
「雲は形を変え続けるけど、その向こうにある空の青さは、ずっと変わらねえ。それと一緒よ」
人間関係は、季節のように移り変わっていく。
しかし、その変化を恐れず、相手を尊重し、誠実に向き合う心さえあれば、友情という名の花は、形を変えながらも、いつまでも美しく咲き続けるのかもしれない。
2年B組の生徒たちは、また一つ、大切な「心のカギ」を手に入れたようだった。
そして、彼らの日常には、一条茜という新しい風が、さらに大きな波紋を広げようとしていた。