プロローグ
夢でヒントを得たお話です。
楽しんでいただけたら幸いです。
よろしくお願いいたします!
「フローラ・アグニス公爵令嬢! 貴様の悪行もここまでだ! 婚約を破棄する! そしてカメリアと婚約する! 僕は真実の愛を見つけたんだ」
卒業パーティーで、私の婚約者のアーロン殿下が大声で宣言される。
彼は、真面目で金髪碧眼の麗しい王太子だ。
彼の隣には、私の義妹カメリアがいる。
華奢で可憐なピンクブロンドと紫紺の瞳の少女。
まるで小説の挿絵のような、美しく絵になる2人だ。
彼らの後ろには側近候補たちがいる。
暑苦しい2人に冷水を浴びせかけるように、私は冷たい声で言い放つ。
「まあまあ、正義ぶっちゃって。非力な淑女をよってたかって断罪なさるなんて、さぞかし気持ちがいいのでしょうね?」
「ふざけるな! 誰が非力な淑女だ!」
「お義姉さま! お願いです! 罪を認めて下さい!」
さらに暑苦しく2人は言い返してきた。
2人はひしっと抱き締めあう。
「カメリア!」
「私はアーロン様のためなら、命だって惜しくありません!」
ここが公の場所だってことを、忘れているのかしら。
後ろで控えている側近達よ。
感動して涙を流すのはお止めなさい。みっともないから。
殿下とカメリアは、この断罪が成功すると信じて疑っていないのね。
脳内お花畑ですか?
「……ふふっ」
私は、ある物を取り出す。
奇妙に歪んだ金色の時計に見えるものだ。
「これが何か分かるかしら?」
「それは、国宝の……!」
アローン殿下が叫びました。
「そう、『時戻しの秘宝』。使用者を過去に一度だけ戻す魔道具よ」
「貴様……!」
私は、『時戻しの秘宝』を発動させる。
空間に巨大な時計が現れた。
時計の針が、高速で逆回転に回り始める。
「私は過去に戻ってやり直させてもらうわよ! 貴方達はここで後悔しているがいい! ざまあですわ!!」
世界が闇に包まれる。
私は、無数の時計の空間を渡っているのを感じた。
(断罪劇30分前に前世の記憶が戻って良かったわ。ここは、小説「花乙女と貴公子達」の中ですわ。私は断罪されて国外追放されてしまう悪役令嬢。なんて酷い! 憎たらしいわ! 慌てて国宝を盗み出しちゃったけど、別にいいわよね)
あまり覚えてないけれど、私の前世は漫画や小説オタクの日本人女性、青海 有明(あおみ ありあ)だった。
前世の記憶によれば、私は小説の中の悪役令嬢。
義妹を苛めぬいた罪で断罪される。
苛め抜いた記憶は、ちょっぴりある。
そして、カメリアと王太子は結婚してハッピーエンド。
しかし、そうはさせません!
原作改変してやります!
だんだん流れていく世界が、真っ暗になってきました。
私の意識も、遠くなっていったのだった。
★★★★★
目が覚めると、私は狭く薄暗い部屋の中にいた。
過去の自分の部屋ではない。
メイド部屋のようだ。
窓から見える庭には、見覚えがある。
ここは、間違いなくアグニス公爵家のようだ。
机の上には、薬瓶と手紙が置かれている。
手紙の中には、唯一の家族であった父が亡くなったことが書かれている。
封筒の中には、子爵家をあらわす指輪が入っていた。
手紙の女性は、入院した父へ仕送りをしていたらしい。
薬瓶は空である。
手元には、涙で滲んだ文字の紙があった。
それには、
『人生に疲れました。お許しください。 ローズマリー・ハービー』
と書かれてる。
ふと鏡を見ると、知らない女性が映っていた。
私は、慌てて鏡をよく見ようと覗きこむ。
……これは誰?
カサカサの肌、ボサボサの茶髪、石榴石の瞳の下には黒い隈。
目元が腫れている。泣いていたのだろう。
これが私……?
幼いフローラの体じゃない!?
……時戻りは失敗したようだ。
別人の体に、私の魂は入ってしまったのだ!
「あ、ああああ……! 何を間違えちゃったのー!?」
ローズマリーの声が、屋敷中に響き渡ったのだった。
「何事ですか!? ローズマリー!」
「メ、メイド長!?」
ずっと公爵家に仕えていたメイド長が、ローズマリーの部屋に飛び込んできた。
記憶にあるより、かなり若い。
ここは、過去のアグニス公爵家で間違いないようだ。
「そうです! 頭でも打ちましたか? 朝っぱらからこんな大声を出すなんて!」
「も、申し訳ありません……?」
フローラは、メイド長に叱られた。
大声で叫んで、屋敷の人達を驚かせたからだ。
「今後は気をつけなさい! 家族を亡くして気落ちするのは仕方ありませんが、公爵家の皆様を驚かせたりしたら、罰せられますよ!」
「は、はい……」
メイド長は注意をすると、部屋を出ていった。
ローズマリーの中身が、未来のフローラお嬢様だとは夢にも思わないのだろう。
(メイド長ったら、あんなに怒らなくてもいいじゃない。ああ……私はフローラなのに。言っても信じてもらえないわよね。辛いわ)
ローズマリーであるフローラは、部屋の中をグルグルと歩き回る。
なんとか考えをまとめようとした。
(回帰に失敗したのは、何がいけなかったのかしら……。それに別人の体で大丈夫なの? 拒否反応が出たら、すぐに死んじゃうんじゃないかしら……?)
気落ちしている時間はないと思った方がいい。
早急に現状を把握して対策を練らないといけない。
フローラは荒れた手を見る。
しくしくと痛む。
魔力で治癒できないか試してみると、肌は綺麗に治った。
(魔力は回帰前と同じように使えますのね。よかったわ!)
続いて髪を癒して、ツヤツヤにする。
部屋を探してみると、少しばかりの化粧品とヘアブラシが見つかった。
(安っぽい化粧品ですわ。無いよりマシですが……)
眉を整え、薄く紅を唇に塗り、髪を綺麗に1つに束ねる。
持っているメイド服の中で一番良いものに着替え、エプロンをつける。
鏡に向かって微笑む。気合いをいれた。
(これでいいわ。化粧と服は女性の戦闘服! そして女性の美しさは総合力! 言葉、所作、姿勢、笑顔で作り上げられるものなのです!)
部屋の中を調べると、机の上に薬瓶があった。
瓶の中には毒薬の匂いがして、空っぽだった。
この体の主は、薬を飲み干して昏倒したらしい。
私は、その体に入ってしまったようだ。
ローズマリー本人の魂を感じることはない。
私は青ざめた。
この体は毒を飲んでいたらしい。
(大丈夫なの!? 今は無事に動けているけれど、後遺症とかないでしょうね!? 不安しかありませんわ!)
それから、部屋の中を調べてこの体の情報を得る。
ローズマリー・ハービー。15歳。
子爵令嬢で、アグニス公爵家のメイド。
家族はいない。
それが、私。
この体で、出来ることをやっていくしかないようだ。
リンリンリン!
メイドを呼ぶベルの音が、鳴り響いた。
住み込みで公爵家の下働きをする者が、メイド。
侍女や侍従は、公爵家の人の身の周りを世話する者を意味する。
続いて、侍女の甲高い声が聞こえてきた。
「ローズマリー! フローラお嬢様の部屋に来なさい!」
「……! はい!」
中身がフローラであるローズマリー。
メイドは、働かなくては叱られる。
鞭で叩かれることもある。
渋々と、フローラの部屋へと駆けつけた。
見慣れた扉を開けると、自分の専属侍女が幼いフローラの腕を掴んで叩こうとしていたのだ。
ローズマリーは驚愕した。
「この……! 公爵令嬢のくせに! いつまでおねしょをするの!?」
「うわあーん!」
「ちょ、ちょっと待って! 叩かないでよ!」
ローズマリーは、思わず侍女の手を掴んだ。
叩かれる恐怖を思い出して、魔力で身体強化もしていた。
侍女は、痛みで悲鳴をあげた。
「痛い! やめて! 離して!」
「離したら、叩くでしょう!」
「分かった! 叩かないから離して! 腕が折れちゃう!」
「約束よ!」
「分かりました。お願い……」
ローズマリーは侍女の手を離した。
幼いフローラは、怯えて泣いている。
サラサラと流れる紅玉の髪、深緑の瞳の美少女。
(さすが幼い私! 愛らしい美少女だわ)
私は、もう一人の自分、幼いフローラを抱きしめた。
フローラの服は濡れていて、おねしょの匂いが気にはなったが。それがどうした!
幼い子どもはおねしょがをするのが、当たり前なのです!
幼いフローラは泣き止んだ。
びっくりした目でローズマリーを見つめている。
ローズマリーは一瞬焦った。
(回帰前の自分は、メイドに当たり散らすのが当たり前だった。今の私はメイドのローズマリー! もう一人の自分に罵倒されたら、生きていけないわ!)
……フローラはおずおずと幼い手を私の体にまわし、ぎゅっと抱きついてきた。
ふわりと無邪気に笑ってくれた。
私は心からほっとしたのだった。
(そういえば、おねしょをなかなか卒業できなかったわ。おねしょする度に侍女に叩かれていたわね。人のいない所で悪口も言われていたわ。それが哀しくて悔しくて、大きくなってからメイドや侍女達に当たっていたのよね……)
このままでは、幼いフローラは自分と同じ道を辿るだろう。
(……これは、あの侍女をなんとかしないといけませんわ!)
ローズマリーが侍女を睨むと、侍女は震え上がった。
「メイドのくせに、身体強化魔法を使うなんて……!」
「何か?」
「いいえ!?」
侍女は慌てて部屋を出ていった。
(そういえば、侍女やメイドで身体強化魔法を使う者はいません。警護用の戦闘侍女ならともかく、身体強化は高位貴族や騎士団・魔法師団の専門でしたわね)
私は幼いフローラを見つめる。
フローラは恥ずかしそうに笑っていた。
もう気持ちが落ち着いたようだ。
「おはようございます。フローラお嬢様」
「おはよう……、ローズマリー 。たすけてくれてありがとう。あとはよろしくね」
フローラは、困ったような怯えた顔で浴室へと走っていった。
他の侍女がフローラを風呂にいれて着替えさせる。
(あとはよろしくねって何をかしら?)
ローズマリーが部屋を見渡すと、フローラのベッドには大きな水溜まりができている。
メイドになったフローラの最初の仕事は、幼い自分のおねしょの後始末だった。
回帰前の公爵令嬢フローラは、汚れ仕事などやったことがない。
ローズマリーはへなへなと力が抜けて、床に座り込んでしまった。
フローラは浴室で体を洗われながら、抱き締められたことを思い出していた。
抱き締められるのは、あんなにも気持ちがよくて暖かくて安心するものなんだ。
彼女は、父母にも侍女にも抱き締められたり手を繋がれた覚えがない。
ずっと、やり場のない寂しさを抱えていた。
ローズマリーは、おねしょをしても怒らなかった。
また彼女に抱きしめられたい、とフローラは思ったのだった。
ローズマリーは、濡れたシーツと布団を前に眉が八の字になっていた。
メイドの仕事は、なんとなく分かる。
この体が覚えているのだろう。
分からないことがあれば、他のメイドに聞くことにすればいい。
匂いが部屋にこもらないように、窓を開けて風通しをする。
シーツと布団を取り替える。
洗って干して乾かして倉庫に入れるまでが、メイドの仕事だ。
洗濯担当のメイドは、おねしょのシーツを見ると困った顔をした。
ローズマリーは不思議に思って聞いてみた。
「どうかしたの?」
「おねしょの匂いって、なかなか取れないのよね。だからって何度も洗ってると、生地を傷めてしまうのよ。それで高級なシーツが駄目になったら、私が怒られるのよ。私が悪いわけじゃないのにね」
彼女はため息をついた。
「お嬢様は幼いから仕方ないけど、叱られるのは辛いわ」
「そうだったの」
まさか自分のおねしょが、そんな問題になっているとは知らなかった。
(おねしょの匂いって取れないのね。知らなかったわ。おねしょの匂いをとるなら、確か前世の知識で対処方法があったはず! 思い出すのよ、私!)
「そうだわ! 重曹よ! 重曹を使えば匂いはとれるわ!」
「重曹? お料理に使うやつ? 」
彼女は不思議そうに、ローズマリーに聞き返す。
「そうよ! 重曹とぬるま湯に1~2時間つけてから、いつもの洗濯をすれば匂いはとれるわ!」
「それが本当なら、やってみなくちゃ!」
彼女は喜んだ。
怒られずにすむし、何度も洗う手間が省ける。
「古い重曹を、台所からもらってきて掃除や洗濯に使えば楽になるはずよ」
「いいわね! 古い重曹なら、料理人達も文句を言わないと思うわ」
その後、ローズマリーはメイド達に囲まれた。
メイド達は、重曹の使い方をいろいろと知りたがった。
彼女は、仕事の空き時間にメイド達に教えることになったのだった。
(重曹で、入浴剤やクレンジングオイルも作れたわね。いろいろとメイド達の環境改善したいわ)
メイド長にもとても喜ばれて、ローズマリーは褒められた。
「ありがとう。ローズマリー。あなたのおかげで、仕事が楽になったわ。あなたが何か困ったことがあったら相談してね。出来る範囲で手伝うわ」
「ありがとうございます。メイド長」
ローズマリーは、公爵家で味方を手に入れることができたのだ。
(1人で戦うよりも、味方になってくれる人がいるのは心強いわ)
回帰前に、たった1人でパーティで吊るし上げられた事を思い出す。
嫌な思い出だ。
小説では、フローラはそのまま側近達に縛り上げられて国外追放されてしまう。
父である公爵は、仕事一筋で滅多に家にいない。
母である公爵夫人は、気鬱の病で公爵家のことは執事長に任せきりだった。
自分の専属侍女は恐くて、相談できる人はいなかった。
(この体でどこまで出来るか分かりませんが、もう1人の幼い私を守ってあげたいわ)
中身がフローラであるローズマリーは、拳を握り片腕を高く掲げて誓う。
(原作改変して、私ももう1人の私も幸せに生きます!)
その後、フローラ付きの侍女は気分が悪いといって、部屋に引きこもってしまった。
掃除をしていたローズマリーは、メイド長に呼び止められる。
「ローズマリー。フローラ様を世話する侍女が決まるまで、お嬢様の世話をお願いするわ。他の侍女は、皆仕事があって出来ないのよ。あなた、フローラお嬢様に気に入られたみたいだしね」
「はい。喜んでやらせていただきます!」
ローズマリーにとっては、願ったりかなったりだ。
公爵家の者を世話するのは侍女の仕事である。
だから、メイドである自分がフローラお嬢様に近づく方法がないか、考えていたところだったのだ。
(これで幼い私を思う存分、大切にして可愛がれますわ!)
昼食の時間が近づいてきた。
ローズマリーはウキウキした気分で、フローラの好物をワゴンに載せた。
好物を食べさせて、フローラを喜ばせたかったのだ。
フローラの部屋へワゴンを運んで行くと、フローラは部屋に居なかった。
しばらく待ってみたが、フローラは部屋に戻ってこない。
思えば、フローラは幼い頃から自分の部屋で一人で食事をとっている。
両親と食事をするのは、誕生日の時くらいだった。
心配になったローズマリーは、フローラを探しにいくことにした。
やがて庭の奥で、座り込んでいるフローラを見つけた。
フローラは、雑草をちぎって食べている。
ローズマリーはその姿を見て驚いた。
(何故草を食べているのです!? そういうものに興味がある年頃なのかしら。でも小さな淑女としては駄目な行為です!)
ローズマリーは頭に血が上って叱ろうとしたが、何とか思いとどまった。
(怒鳴っては駄目よ! 幼い頃、怒鳴られるのが一番嫌いだったじゃないの! 自然に触れるのは成長にいいのよ。こういう時は数字を数えるといいのだわ。123456……!)
……だが、駄目だ!
幼くても公爵令嬢が雑草を食べているなんて知られたら、令嬢失格とみなされる。
ローズマリーは、嫌な汗が背中を流れた。
しかし、幼い頃から否定されたり怒られてばかりだった哀しく辛い思い出が甦る。
な、なにか、フローラの気持ちを否定しない言い方をしなければ!
「お嬢様、草はどんな味がしますか……?」
「おいしくない。にがくてしぶい」
「庭に生えてる草は、食べるとお腹を壊しますよ。ペッと吐き出しましょうね」
「ペッペッしたよ。ローズマリー」
「美味しい昼食がありますよ。口をゆすいでいただきましょう」
「うん! もうくさたべないよ。おなかこわすのやだ」
ローズマリーは、フローラの返事が嬉しくて、心の中で小躍りしたのだった。
天使のようにあどけない笑顔で笑いかけてくれる。
フローラは、ローズマリーに懐いてくれた。
ローズマリーも幼いもう1人の自分に愛しさを感じていた。
2人は、仲良く手を繋いで歩きだした。
突然、幼いフローラは手を離して走り出す。
「うんちー」と奇声を上げている。
虫のウンチを見つけて夢中になったらしい。
ローズマリーの記憶にはない動きだった。
彼女は驚きで顔面蒼白になってしまった。
(私はこんなお子さまでしたの!? 信じられないわ! ああああっ! やめてー! 触らないで! そして虫を手掴みで握らないでぇぇ! )
ローズマリーは虫が苦手だ。
しかし子どもの頃は違っていたようで、虫が大好きらしい。
泣きながら、フローラから虫を手放させてハンカチで彼女の手をふく。
「フローラお嬢様……。アレを触ってはいませんわよね?」
「ツンツンしたー」
ローズマリーは声もなくゆっくりと倒れた。
後で、何度も何度も何度も手が赤くなるまで洗ったのだった。
フローラが部屋に入ると、少し冷めた昼食が用意されていた。
フローラは、大好きなものばかりが並んでいることに感動した。
いつも嫌いな緑のお野菜や酸っぱいものを、体にいいからとイヤイヤ食べていたのだ。
「全部食べていいの?」
「はい。フローラ様の好物ばかりですよ」
「うれしい!」
「美味しいですか?」
「うん! ぜんぶ、だいすきなもの!」
フローラはあまりに嬉しくて、大切によく噛んでゆっくり食べることにした。
対照的にローズマリーは段々と焦ってきてしまう。
下働きの仕事は、時間が決まっていることが多い。
主人の食事が終わった後の片付け、食器洗い、それから自分達の食事である。
フローラがゆっくり食べると、彼女の食器洗いを自分がやることになり、自分の食事もなくなってしまうのだ。
(急かしては駄目! フローラは美味しく味わってるの。彼女を信じて待ってあげる方が大事よ!)
ローズマリーは目に涙を浮かべて、笑顔でフローラの食事を見守った。
あの専属侍女は、フローラが時間通りに食べないといつも怒っていた。
その理由が、ローズマリーは分かってしまった。
(悔しいけれど、ちょっとだけあの侍女を許してあげましょう。ほんのちょっぴりだけね!)
フローラは綺麗に全部食べて、とても満足して幸せそうだった。
お腹がいっぱいになったのだろう。
ソファに座ってうとうとしている。
ローズマリーは、彼女にブランケットをかけて食器をワゴンで運び出した。
(食事はもう残っていないわよね。公爵令嬢だった頃に比べると粗末な食事だけれど、食べられないのは辛いわ……。フローラが幸せそうだったから、まあいいわ)
肩を落として台所に入ると、一人前の食事が台所に置いてあった。
小さなメモが、メイド長の字で書かれている。
『ローズマリーへ。お疲れ様』
ローズマリーは、熱いもので胸がいっぱいになった。
時間がないので、急いで口に運んで食べる。
瞳から熱いものがこぼれた。
(今日の食事はちょっとしょっぱいわ。でも、こんなに食事が美味しいと思ったのは初めてだわ)
フローラは偏食が多かった。
ローズマリーはフローラの食事に頭を悩ませる。
料理人に頼んで、苦手なものを小さく刻んで混ぜたりしてもらった。
(私、こんなに偏食でしたかしら? これではいけないわ。こんな食生活をしていたら、健康と美容に良くないですわ。人は食べたものでできているのです)
「フローラ様。一口でいいですから、全部食べてみましょう。体にいいですから」
「……うん。からだにいいの?」
「はい」
フローラは、渋い顔をしながら一口ずつ料理を食べる。
料理人が健康を考えて子どもの舌にあわせて作った料理だ。
不味いわけがない。
フローラはの好き嫌いは減っていった。
食わず嫌いもあったのだろう。
「フローラお嬢様、いい子ですね」
「いいこ。はじめていわれた。うれしい」
フローラは照れ臭そうに笑う。
ローズマリーも嬉しくなって、微笑んだ。
(この子をたくさん観察して才能を伸ばしてあげたいわ。そして、私とは違う未来を、切り開いていけるようにしてあげたい)
ある日、ローズマリーはメイド仲間と賄いを食べながらお喋りをしていた。
そこへ侍女長がきて、ローズマリーを呼び出したのだ。
「ローズマリー、話があるの。ちょっと来てちょうだい」
「は、はい!」
他のメイド達は、心配そうに見ている。
ローズマリーが侍女長について部屋に入っていくと、侍従長が待っていた。
(何かよくない話かしら? フローラが草を食べていたのがバレた? 服を泥だらけにして遊んでいたのを見守っていたのがバレた? 駄目だわ。心当たりしかない)
ローズマリーは、フローラを守り育てたいのだ。
クビになったら、彼女を守れなくなってしまう。
頭の中は焦りまくっているが、表情には出さないのが貴族のマナーだ。
ローズマリーは、微笑を浮かべて丁寧にお辞儀をする。
侍従長と侍女長は彼女の美しい所作を見て、ハッとなった。
(まるで一流の淑女の立ち居振る舞い! こんな娘だったか?)
咳払いをして、侍女長が言う。
「……侍女に手をあげたそうね」
フローラの専属侍女が言いつけたらしい。
クビが近づいてきた。
しかし、言わなければいけないこともある。
「はい。フローラ様を叩こうとしていたのでお止めしました。何度も叩かれている様子でした」
「……!!」
侍女長は、顔色をさっと赤くした。
侍女が公爵令嬢に手をあげることは、許されない行為だ。
次に、侍従長が質問者してきた。
「身体強化魔法を使ったそうだね? 見せてくれないか?」
「はい」
ローズマリーは、身体強化を使ってみせた。
部屋にあった大の男が2人かがりで動かす彫刻を、持ち上げてみせる。
侍従長と侍女長は息を飲んだ。
ローズマリーの心の中は、悩みまくっている。
モブのメイドになってしまったが、幼いフローラの傍に居て守ってやりたい。
フローラはあまりにも無防備で無力で、悲劇の未来が待っている。
できればクビになりたくない。どうしよう……。
その時、部屋の中へフローラが走ってきた。
ローズマリーを見ると、嬉しそうに彼女のスカートの裾を掴む。
はにかみながら言った。
「あのね。ローズマリー。いっしょにあそぼう」
侍従長と侍女長は驚いたが、フローラの嬉しそうな様子を見て微笑んだ。
「お嬢様……。ローズマリーが気に入りましたか?」
「うん。だいすき! ずっといっしょにいるの」
侍従長はフローラの言葉に頷いた。
「メイドにしておくには惜しいな。鍛えれば、モノになるだろう。そう思わないかね」
「ええ。フローラお嬢様の侍女見習いにして使ってみましょう」
「……! ありがとうございます!」
ローズマリーは、頭を下げて感謝した。
メイドから、フローラの侍女見習いになれたのだ。
「お嬢様、ずっと一緒にいられますよ」
「やったあ」
花のように笑うフローラを見て、ローズマリーは胸の高ぶりを押さえられなかった。
こんなにも無邪気に笑っていられた頃もあったのだ。
(必ず幼い私を守り抜いて、断罪回避してみせます!)
専属侍女だった女性は、侍女見習いに降格した。
一から学び直しになり、給料も下がる。
ローズマリーは、彼女に恨まれているかもと思っていた。
ある日思いきって彼女の部屋を訪ねると、どうしてあんなことをしたのか聞いてみた。
彼女は語った。
「私もああやって育てられたのよ。叱られるのが嫌で、頑張って専属侍女になれるくらい良い成績をとった。私は他にやり方を知らない」
「 そうだったの。もし、あなたが幼い自分に会うことができたら、同じように叩いて泣かせたいと思うの?」
「……それは……いやよ。また同じ目にあうなんて!」
彼女は哀しげに苦しそうに言った。
私は彼女に古紙の束を渡す。
回帰前の出来事をメモしておこうと集めていたものだ。
「人には言えないことを、これに書けば気持ちを整理できるはずよ。日記療法というの。きっと他のやり方を見つけられるようになるわ」
「……やってみるけど期待しないでよ。変な子ね。私にこんなことしたってお金にならないわよ」
「ええ。そうね」
彼女が本当に日記療法を実行するかは分からない。
ただ、彼女はまた同じ目にあうなんて嫌だと言った。
少しだけ自分と同じ境遇だと思ったのだ。
だから、ほんのちょっとだけ次へ進む手伝いをしただけである。
数ヶ月後、彼女は公爵家を辞めると挨拶に来た。
「公爵家の侍女を辞めるの。あなたには世話になったから、挨拶にきたの」
「そう。次にしたい事は見つけられたの?」
「私、同じように苦しんでる人達の助けになりたいの。そういう助け合いをする団体を作ることにしたのよ」
「凄いわね」
「そうでしょう! それからね。日記を書いて泣いていたら騎士団の方が声をかけてくれて、お付き合いが始まって……結婚するの」
もじもじと照れながら、羨ましい報告をいただいた。
うまいことやりましたね!
「とにかく、あなたには感謝してるわ! 元気でね!」
「お幸せに!」
笑顔で去っていく彼女を見送る。
ローズマリーも自然と笑顔になった。
(私の専属侍女はずっと独身だった。これは、原作は変えられる、ということよね。さあ! どんどん原作改変してやりますわ!)
その後ローズマリーは、侍女長と侍従長から鬼のように厳しく、侍女としての仕事を教えこまれるのだった。
(王妃教育よりも厳しいかも!? 負けませんわー!!)
ローズマリーは正式に、フローラに付いて働けるようになった。
今日は、社会見学で教会にフローラとやってくる。
壁と天井には美しい天使達の絵画が飾られ、窓には色鮮やかなステンドグラスが入っている。
荘厳で大きな教会だ。
フローラが無邪気に、ローズマリーの耳元でささやく。
「あのね。わたしね、てんしさまのうまれかわりなの」
「わあぁ!」
ローズマリーは、慌ててフローラの口をふさいだ。
教会でしていい発言ではない。この世界では、天使は敬う存在だとされている。
神への冒涜ともとれる発言だった。
周りを見回すと、幸いなことに人影はなかった。
フローラは不機嫌な顔をした。
「信じてくれないの?」
「そういう事ではないのです」
貴族は、足の引っ張りあいをする者が多い。
公の場での発言は、幼い者でも容赦してくれない。
「ここでは神官様のお話を聞いて、静かにしているのが礼儀なのですよ」
「どうして?」
「どうしてでしょうね。不思議ですが、そういものなのです」
「ふうーん。分かった」
フローラは退屈そうに静かにしている。
やがて時間が経って太陽の光がステンドグラスに当たり、美しく輝きだした。
フローラはもっとよく見たくなって、突然椅子から飛び降りるとステンドグラスの近くへ走っていく。
ローズマリーはその時、寄付金の書類に書きこんでいて見ていなかった。
一瞬の出来事だった。
フローラは勢いあまって、ステンドグラスを割ってしまう。
数人の神官達が、悲鳴を上げて気絶した。
ローズマリーは、騒ぎに気づくと流れるような五体投地をして教会側に謝罪をした。
幸いフローラに怪我はない。
そして、公爵家に事情を話して弁償してもらうことになった。
ローズマリーは、監視不行き届きとして酷く怒られた。
彼女は痛む胃をさすりながら、夜に部屋で絶叫したのだった。
「私あんな子だった!? 痛いよ、痛すぎるぅぅ!」
ローズマリーは泣きながらベッドに突っ伏した。
幼い私には、自分を守る知恵を身につけていってほしい。
婚約破棄されて断罪されてほしくない。
王妃以外のやりたいことを見つけて、幸せに生きてほしい。
それができるまで、私が幼いフローラを守ってあげたい……だけど思ったより大変だわ。
ローズマリーは、なかなか眠れずにベッドの上でゴロゴロと体を動かした。
子育てってこんなに大変なの?
いいえ! 絶対に負けませんわ!
ここからがスタートです。
ローズマリーは気合いを入れ直して、ベッドの上で仁王立ちになった。
片腕を天へ高く掲げて、あらためて宣言する。
「さあ! 原作改変して、私ももう1人のフローラも幸せになります!」
お読みいただき、本当にありがとうございます。
ブックマークや、下の⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎にて評価いただけると嬉しいです。執筆のモチベーションがあがります。
よろしくお願いいたします。