悪役令嬢物語が魂に刻まれている
※いじめに関する表現があります。苦手な方はご注意ください。
高熱にうなされ、生死の境をさまよった十五歳の夏、アルテミシアは思い出した。
ここが前世で読んだ「なんらかの漫画」に酷似した世界であることを。
(覚えてない! 乱読派だったから、同じようなの、たくさん読んでる……! ああ~初手で詰んだ)
思えば異世界転生、悪役令嬢ものがことに好きだった。
常時二〇~三〇の連載を追いかけていたし、生涯で読んだ作品数でいえば、そのジャンルだけで一〇〇は下らない。
大まかな流れ、特に出だしはかなり似通っている。
だいたいにおいて、現代日本から転生したヒロインは「悪役令嬢」なるポジションに収まっているのだ。しかしその世界は、建前の上では「正ヒロイン」のために作られているがゆえに、悪役令嬢たる主人公は身分も能力も容姿も優れていながら窮地に陥れられ、断罪されてしまう。
その来るべき破滅回避が、悪役令嬢の最初の目的となり、物語の方向性が定まるのだ。
一方の、正ヒロイン。
さして身分が高いわけではないが、「性格の明るさ」「物怖じしない態度」「庇護欲をそそる容姿」「聖女特有の希少性の高い能力」等、愛される要素を持ち合わせていて、「攻略対象」なるイケメンを次々に落としていくのだ。その中には、悪役令嬢の婚約者である王侯貴族の青年も含まれていて……。
普通ならただの「略奪愛」になるところ、悪役令嬢があまりにも悪であるがゆえに「あれは浮気じゃない」「しょうがない!」と全方位丸く収まる空気に持っていかれてしまうという。
作品によってはいくつかのアレンジ設定はあるが、転生者である「悪役令嬢」同様、正ヒロインもまた転生者のパターンも多い。
世界についての知識を有しており、「攻略対象」を落としつつ「悪役令嬢」を陥れるなどやすやすとやってのける。ずるくて小賢しくあざとい。
そんな彼女に籠絡される攻略対象者たちは、往々にして凡庸だ。自分の婚約者を差し置き、「おもしれー女」にはまり、場合によっては「婚約破棄」もするくらいなのだから。
(「悪役令嬢もの」の場合は、それで構わないのよ。そんな男たちなんて目じゃないほどの、きらめく救済イケメンが現れて、「正ヒロイン」にも「攻略対象者」にも華麗なるざまぁをしてくれるから)
なのだが。
記憶を取り戻して三日後。
いかにも物語の舞台となる王立貴族学院の入学式で、総代挨拶をしている第二王子エルマーという、遠目にも絶世の美貌の青年を見てアルテミシアは頭を抱える。
(間違いなく「なんらかの漫画」で見たことがある。ヒーローかどうかまでは思い出せないけど、モブではないわ。絶対に公爵令嬢レベルの婚約者がいる……!)
現在のアルテミシアの身分は子爵令嬢。
しかもつい最近までは、自分が貴族の血を引くなど知らずに下町で暮らしていた。
かつて子爵家のメイドをしていた母が、子爵のお手つきとなり、それを嫌った奥方に追い出されてひとりで産み育てた子、それがアルテミシアだ。
流行り病で母を亡くし途方に暮れていたところで、突然現れた子爵に引き取られた。
そして、娘のひとりとして学院に通わせてもらえることになったのだが――
(どこかで見たことあるのよ、この設定。貴族社会においては決して高いわけではない身分、しかも庶子。持ち前の明るさで現在の境遇をものともしないけど、実は家の中では奥方と義姉たちにいじめられ、義兄にはいやらしい目で見られている。しかも、引き取られて教育を受けさせられている理由が最悪。この子爵家が金銭的援助を受けている変態伯爵のもとへ娘を嫁がせるという約束があって、本当なら義姉の役目だったそれを同じ「子爵令嬢」なら、とアルテミシアへと押し付ける目的で……!)
この状況の中、アルテミシアにできることといえば、卒業までの間に自立できる能力を身に付けて、家から自由になる道筋を見出すこと。
なのだが。
アルテミシアは、学生用とは到底思えないゆったりとした椅子の並ぶ講堂で、三席ほど向こうに座るひときわゴージャスな金髪巻き毛で吊り目の美少女の様子をうかがう。
公爵令嬢、セレスティーヌ。
その名前を聞いた瞬間、いくつかの漫画のコマが脳裏に蘇ってきた。
彼女こそ、悪役令嬢。この物語の本来の主役。
そして自分はといえば。
(これはどう考えても「悪役令嬢」ではなく「正ヒロイン」に転生してしまっている、ってことよね)
悪役令嬢ものが好きで、悪役令嬢に感情移入して読み続けてきた前世の自分からして、正ヒロインなどただのお色気担当、清純なふりをしただけのぶりっこ。
他人の婚約者に色目を使うな。
そんなのどう控えめにみてもしょうがなくない、浮気で不倫で略奪だ……!
と、ごく普通に嫌っていた。
いざその立場になってみれば、正ヒロインにもまた事情があることはよくわかるのだが、それでも男に頼る前にできることがあるだろう、と思ってしまう。
前世ではバリバリ働いて稼ぐ独身社畜だった血が騒ぐ。
(ただし仕事は事務全般で、料理は不得意、手作り石鹸や化粧品なんてものとも縁がなく、農業等異世界でチートできる知識もない。ここが「なんらかの漫画」までは思い出したけど、先の展開もヒーローたちも正直ぼやっとしか思い出せない……!)
転生意味なし、詰んでる上に正ヒロイン。
それでも、この物語がなぞるであろうテンプレに関する知識があるだけ、マシかもしれない。
その一、「攻略対象」には近づかない。悪役令嬢とその取り巻きに目をつけられないようにする。
その二、もし物語の強制力で接触が避けられない場合は、絶対に彼らに好かれないように行動する。もちろん嫌われようと奇行に走ったあげくの「おもしれー女」枠もごめんだ。
その三、悪役令嬢を全力応援する。要するにそこの恋愛がうまくいけば、無関係な平民同然のモブに火の粉は飛んでこないはず。
(「正ヒロイン」が転生者ってことは、だいたい「悪役令嬢」も転生者よね。あちらにうまいことこの世界の知識+チートがあれば、断罪破滅回避目的で私のことは無視してくれるんじゃないかな。私は私で子爵家脱出計画のために、勉強に励みます!)
悪役令嬢転生者説に淡く期待をかけて、入学式を終えた。
そして学生生活が幕を開ける。
期待はすぐに裏切られた。
* * *
ほんの少し、席を離れて戻ってきたらすでに事件の後。
びりびりに破かれた教科書。水に濡れた鞄。机の上に花を活けた花瓶でもあれば完璧だっただろうか。
(悪役令嬢物語名物「日本の小中学校レベルのいじめ」……! 王侯貴族のいじめにしてはスケールがちゃちだと思っていたけど、実際やられると胃にくる……!)
入学して数日、生徒たちとは必要最小限の会話しか交わさず、目立たぬようにいつも隅の席に座るようにしていたというのに。
気付いたときにはすでに、公爵令嬢セレスティーヌのいじめの標的にされていた。
理由は、出自。
街場で育って、最近貴族に引き取られただけの平民という事情が知れ渡っていて、ご令嬢方からはいっせいにそっぽを向かれていたのだ。
その状況で、アルテミシアはぴんときた。
ここで男に助けを求めてはいかん、と。
(婚約者たちが平民出身の同級生をいじめているとあらば、正義感の強いご令息方々が私の味方になってくれるかもしれない。席を離れるときは教科書を守ってくれて、お昼は一緒にランチを食べて、女子トイレの個室に押し込まれてバケツの水をかけられないように、トイレの前で出待ちまでしてくれたりして……!)
それはそれで楽そうだなと思うものの、アルテミシアの前世が叫んでいる。とんだ地雷女だ、と。
さらに、婚約者がいる状態でその行動を選ぶ男たちなのだとしたら、やっぱり思慮が足りないとしか思えない。そんな男を頼って良いものかと。
良くない。
少なくともアルテミシアが男でその立場だったら、いじめられている側を守るより先に、いじめている側を潰しに行く。卒業の式典まで待って婚約破棄を宣言するのではなく、気付いて証拠を掴んだらその場で潰す。いじめの断罪は、恋愛とは無関係でも成り立つのだから。
「あらぁ、汚い教科書。それになんだか臭いわ。平民の匂いがする」
破かれた教科書を手に黙り込んでいたアルテミシアのそばで、声が上がった。
ちらっと目を向けると、どこぞのご令嬢である。
よく手入れされた焦げ茶色の髪に緑色の瞳で、前世でいうところのアイドルのように可愛らしい。
名前はたしかデイジー。その他にも三名。
セレスティーヌはといえば、少し離れたところで、横目でアルテミシアを見ながら口元に笑みを浮かべていた。
ははぁなるほど、とアルテミシアはひとり頷く。
(自分では手をくださず、取り巻きにすべてを任せて高みの見物。こんなに入学早々いじめを始めるなんて、セレスティーヌの中に転生者はいないの? というか「婚約者に近づかれてむかついた」でもなく、純粋にただただ平民由来の子爵令嬢が気に入らないだけでいじめを始めたってこと? この国きってのお金持ちが集まって、日本の小中学生が考えつくスケールの小さいいじめを? あなたたち、権力の使い方間違えているでしょう?)
教育の敗北ね、としみじみしながらアルテミシアは教科書を目の前のデイジーの鼻先につきつける。
「平民の匂いってどういう匂い?」
「やだぁ。あなたと口をきくわけがないでしょう。汚いの、近づけないでくださらない?」
嫌味ったらしく笑いながら、教科書を叩き落とされる。ぱさり、と乾いた音が響いた直後。
アルテミシアは握りしめた鉄拳を振りかざした。
(反撃されないと高をくくっているのも、いまのうちだけよ!)
はっきりと喧嘩を売られたからには、躊躇なく買うまで。
その思いで、相手の頬に拳をめりこませようとした。
そこで、時が止まった。
* * *
「殴……らないだろう、いきなり殴るのはなしだ。それは、暴力だよ!?」
指の一本までぴくりとも動かない中、誰かがしゃべりながら近づいてくる。
ひょいっと伸ばされた手がアルテミシアの手首を掴んで、デイジーの頬から離した。
その瞬間、魔法が解けたように、ぱっと体が動けるようになる。
アルテミシアは、横に立った相手を見上げた。
輝く黄金の髪。長いまつげに縁取られた透き通る青の瞳に、彫りの深い白皙の美貌。
すらりとした頭身のバランスは黄金比で、背が高い。
「エルマー殿下。時を止める魔法なんてお持ちなんですね」
「うん。一日一回しか使えないし、持続時間も長くないけど。さすがに暴力は見過ごせない。相手は怪我をするし、君は退学だろう」
無言のまま、アルテミシアは落ちた教科書を拾い上げ、エルマーがよく見えるように広げて見せた。
「これは暴力ではないんですか。なぜ彼女たちは、こんなことを他人にして許されると思い違いをしているんです? そして、一日一回時を止められるあなたは、なぜまずはこれを止めませんでしたか? 彼女たちを野放しにして、したり顔で私に『暴力はいけない』と説教している自分に疑問を感じないんですか?」
感情を抑えようとしているが、声が震える。
エルマーはけぶるような青を細めて、何か言おうとしたように唇をかすかに開いたが、すぐに引き結んで押し黙った。
言い返せないのか、とアルテミシアはなかば納得しつつ顔を背けた。権力構造にすっかり組み込まれた王侯貴族は、何かと感覚が違うはず。これまで、教えてくれるひとも周りにいなかったに違いない。
(責めてばかりでは、彼も変われない)
チートこそないが、前世で生きた分の経験がプラスしてあるアルテミシアは、年齢以上の分別があるつもりだった。
大人として、エルマーを諭す。
「いじめをした側がお咎め無しで、反撃した側が過剰防衛を責められるのはおかしいです。それでは、やった者勝ちではないですか」
「暴力はすべてを壊してしまう。壊す前なら取れた方法も、壊してしまえば二度と選べない」
なかなか、見どころのあることを言っているかも? と、一瞬考えた。
だが、もう一声欲しい。
「話になりません。その正論は、誰も救わない。第一、正論パンチかますなら、ただのクラスメイトである私ではなく、まずはあなたの婚約者様にどうぞ」
身分だろうか、それとも正ヒロインらしくそれなりに愛らしいこの容姿のせいだろうか。いずれにせよエルマーは「言いやすい」相手を選んで、説教してきたのだ。そこは、自覚しておいてほしい。
もはや顔を見ることもないアルテミシアに対し、エルマーが硬い声で問いかけてきた。
「婚約者をしつけるのは、男の役割だという意味か?」
(違う!)
瞬間的に沸点に達したアルテミシアは、厳しいまなざしをその美貌に向けた。
「男でも女でもどちらでも良いんですけど、生涯一緒に歩むつもりなら、わかっている方がわかっていない相手に教えてあげるべきなのでは? と私は言っているんです。この場合『たとえ平民が気に入らないからといって、いじめて良い道理はない』と懇切丁寧にセレスティーヌ様に教えて差し上げてください。そうでもしないと、悪化しますよ。そのうち私を階段から突き落としたりと、後遺症が残るほど洒落にならない事件を起こします」
悪役令嬢ものの定番。ダイレクトに、暴力によるいじめへと発展していくのだ。
一歩間違えれば死人が出たかもしれない、という段になってようやく悪役令嬢の婚約者は怒りを強め婚約破棄を言い放つ。
世界観的に「婚約を破棄されてしまえば女性としての価値は地に落ちる」そういう背景あっての仕返しなのだろう。
そうでなければ「自分と婚約破棄されることが大ダメージだと信じ切っている男」など、痛すぎる。
言うだけ言ったアルテミシアは、そっと息を吐き出した。
いじめにやり返すために鉄拳をふりかざし、啖呵をきって王子様を叱り飛ばす。疲れた。
(これだけ言っても、わからないかも……。わからなくても良いけど、自分がわからないだけの事実を棚に上げて、私を「おもしれー女」扱いするのはやめてください。それ、言われる方は全然面白くないから)
さすがに、言われたわけでもないのでこれを苦情として本人に言うのは自意識過剰というものだろう。胸の内でぶつぶつと呟くに終わったが、聞こえるわけもないのに「わかった」という呟きが耳をかすった。
慌ててアルテミシアがエルマーに顔を向けたところで、ふいっと周囲の空気が切り替わった。
時間が動き出す。
「あ、あら……?」
状況がわかっていないデイジー。
眉をひそめて睨んでくるセレスティーヌ。
エルマーは落ち着き払った態度で教科書を手に掲げ、居並ぶ令嬢たちを見回して厳粛な声で告げた。
「よくもこんな意地の悪いことを思いつくものだね。しかも、考えただけではなく実行に移すだなんて。この件は私がいま確認した。証拠もここにある。なお、親に泣きついてもみ消すだとか、噂にならないように手を回すといった逃げ道は、私が全力で全部ふさいでおく。逃げも隠れもしないように」
「殿下……!」
それまで余裕を見せていたセレスティーヌが、カッと目を見開いて声を上げた。
美しい顔が怒りに歪んでいる。
ちらりとだけその顔を見てから、エルマーはアルテミシアを振り返った。
「私自身は、彼女たちが直接手を下すところは見ていない。止められないで済まなかった。だが、君にわざわざ嫌味を言いに来たところはこの目で見た。あれは、犯行の自白のようなものだ。君はどうする、彼女たちに謝って欲しいか?」
なるほど、とアルテミシアはそこで得心をする。
(殿下が先程私に反論なさらなかったのは、そういうことですか。見ていたら止めたけど、その場にいなくて、騒ぎが起こるまで気づかなかった、と。もしかして言い争いが始まった時点で、間に入ろうとしてくれていたのかも? その前に私が拳を振りかざしたので、ひとまず時間を止めた……)
当たり前のように、「平民出身だからといって、いじめを受けて良いはずがない」と思ってくれたというのなら、嬉しい。マイナスだと思ったらゼロくらいの話だが、この世界においては貴重な価値観に違いない。
アルテミシアは、エルマーの目をまっすぐに見て告げた。
「形だけの謝罪は不要です。それで終わったことにされたくないので。ですが、殿下が口を挟んでくださったおかげで、取り返しのつかないことも起きませんでした。ですので、私もいつまでも許さないと突っぱねるつもりもありません。心から……謝ろうと思えたときに、謝ってください。思えないなら謝らなくても構いませんが、あなたは一生それを背負うことになります。つまらない理由で同級生をいじめてにやにやしていたアホって事実を。あなたが忘れても、私はこの先もずっと忘れませんから」
途中からは、セレスティーヌに向けて。
唇をかみしめていたセレスティーヌは、無言で背を向けて立ち去った。取り巻きたちも後に続いてばたばたと教室を出ていく。
(誰一人謝らなかった……。こんなものか)
勝利の感慨はなかったが、これで終わるなら上々といったところで、気分は悪くない。
それどころか、気が抜けたのか、ため息をついた拍子に涙が浮かんできた。
「少し、休んだ方が良い。どこかでお茶でも飲んで落ち着いて」
エルマーにさりげなく声をかけられ、アルテミシアは忘れかけていた彼の存在を思い出した。
「結構です! 婚約者のいる男性に近づかれたくないんです! 次はそれを落ち度とし、明確な理由があって嫌がらせを受けるでしょう。私も反撃しづらくなります!」
なぜかふふっと笑ったエルマーは「私には婚約者はいないけど、言っている内容は理解できる」と呟いた。そして、破かれた教科書を丁寧な仕草で集めて重ね始めた。
それは私が、とアルテミシアは慌てて手を差し伸べて、彼の手から教科書を奪い取った。
(凡庸ではないタイプの王子様っぽい! あまり近づかないようにしないと。正ヒロインはたいてい、男で失敗をするんだから……!)
* * *
一ヶ月ほど過ぎたある日、セレスティーヌから謝罪を受けた。
それを皮切りに、意地を張っていた取り巻きたちも謝りにきた。どうしても納得がいかなかったらしいひとりは、隣国に留学すると言って、学院を辞めていった。
アルテミシアはそれとなくセレスティーヌに探りを入れたが、転生者ではなさそうという結論になった。
ただの鼻持ちならない、平民を見下した、高貴なるお嬢様のようだった。
それも、物理ではないにせよ、精神的な意味でエルマーに横っ面を張り飛ばされて、だいぶ考えが変わってきているらしいのが見て取れた。
そのせいか、卒業までの間に、妙に仲良くなってしまった。
こうなってくると、悪役令嬢も正ヒロインもない。
次なる課題は、アルテミシアの実家の事情だった。
「卒業までに、どうにか逃げる算段をしないといけないんです。いっそ、遠くから留学している王族とかいませんかね。侍女に雇い入れてもらって、帰国のときに連れて行って欲しいです。私、成績は優秀なので」
いよいよ卒業という学年になってから、学院のティールームでこっそりとセレスティーヌにだけ打ち明け話をした。逃げる算段がつくまえに、友人知人の口から実家に伝わってしまえば、退学させられ、変態貴族との結婚式まで監禁されるというのも、おおいにありえる。
チートはないが、この世界の住人として、勉強はひたむきに頑張った。
そのおかげで、現在はエルマーとテストのたびに首席・次席を争う中だ。
お茶を飲みながら話に耳を傾けていたセレスティーヌは、簡単なことね、と切り出した。
「ぐうの音も出ないような相手に見初められて、婚約してしまえばいいのよ。お義姉さまの身代わりにあなたを婚約者に仕立てようと画策している子爵夫妻は、正式な婚約までは口約束で娘の名前も年齢もごまかしているのではなくて? あなたが絶対に断れない相手を連れていけば、すでに伯爵と婚約しているだなんて、抗弁もできないはずよ。それで本来の約束通り、お義姉さまに嫁いで頂けば良いのよ」
さすが公爵令嬢は、逃げる云々よりも大胆な策を授けてくれる。
(セレスティーヌさまくらい美人で中身も完璧だったら、それもありえるでしょうが)
入学時の騒動は遠く、いまとなっては「高貴なるものの責務」を強く認識し、美しい心ばえのご令嬢となったセレスティーヌを、アルテミシアは目を細めて見つめる。とてもまぶしい。
「私の場合は、見初められるのが、まず難しいですね! 学院の男性陣はほとんど婚約者がいるか、内定している方ばかりでしょう。トラブルにならないように、私は近づかないようにしてきました。たまに話すのは、エルマー様くらいで。勉強の話だけですが」
悪役令嬢によるいじめを入学早々に解決したとはいえ、前世の知識はおぼろげながらも魂にしっかり刻まれている。
それによれば、いくら学院に「在学時は身分にとらわれず自由にのびのびと意見を言い合い、お互いを高め合う」という建前があっても、決して真に受けてはならないのだ。
裏を返せば、学院の外は言いたいことも言えないガチガチの身分社会ということなのだから。
であれば、卒業後の損得を考えて逸脱をした振る舞いをしないのが「学生としてのあるべき姿」だ。
(安心しきってどっぷり貴族社会の男性とも普通に話していたら、「色目使いの正ヒロイン」ルートに突入するかもしれないし)
平民出身の子爵令嬢として、アルテミシアは分をわきまえ、決して男性たちに近づかないように気をつけてきた。
結果的に、女友達はできたが、男性の知り合いはいない。
ここから相手を見つけて婚約までこぎつけるのは……。
考えるまでもなく諦め「他の方法を」と言っていたところで、エルマーが顔を見せる。
セレスティーヌに目配せで「相談してみたら」と言われ、アルテミシアは眉間にしわを寄せつつ当たり障りなく告げた。
「実家が絶対に反対できない就職先を探しているんです。ものすごいところ」
あはは、と笑ったエルマーは軽い調子で「それなら心当たりがあるよ」と請け合った。
「私たちの切磋琢磨が学院卒業とともに終わるのはもったいない。この後私は、宮廷においては兄を支える宰相となるべく勉強を始めるけど、君もどう? その優秀さで、しかも平民の感覚と貴族社会の慣習を兼ね備えた女性というのは、兄上の治世に画期的な変革をもたらすと私は思う」
アルテミシアは、ふと前世の記憶を探る。
こういう展開になるまんがはどこで読んだかな……と。
おぼろげな記憶を追い始めて、やめておくことにした。
未来はわからない。自分で選んで歩んでいく。どうせチートのひとつもないのだ、この世界の人間として、これからも精一杯生きるのみ。
「いいですね! やってみたいです!」
満面の笑みでアルテミシアはその誘いに応じ、エルマーとしっかりとした握手を交わした。
セレスティーヌはにこにこと笑いながら「そうなると思っていたわ」と呟く。
学院から王宮に勝負の場を移し、筆頭宰相の座をかけて争うライバル二人が、やがて夫婦として結ばれるのは、数年後の話。
★最後までお読みいただきまして、ありがとうございました!
ブクマや★★★★★で応援いただきますと、とても励みになります。
誤字報告等もいつもありがとうございます!
★転移転生ものを読むと、いつも「主人公は前世から有能過ぎる」と思ってしまう作者です。転生後にすらすら設定や攻略法、ストーリー分岐を思い出す記憶力にしても、ストーリーから外れるためのチートな知識にしても……「記憶力怪しい! 知識は一般人! たくさん摂取したから、テンプレなぞるだけならできるかも!」ってならんの? と常々思っていまして。こう、好きが高じてたくさん接していると「見たことあるけどどれだっけ?」って逆に戸惑ったり……
それでは、また次の作品でお目にかかれますように。