悪役令嬢はイケオジ辺境伯に嫁ぎたい
悪役令嬢扱いを利用する強かな女の子を書きたかった筈が、微妙に方向転換しました。愛が重い女の子は可愛い!
「まあ、いじめですか?それは大変でしたね」
それで?と、先を促すように小首を傾げたのはベルフラウ・カンパーヌラ侯爵令嬢。現王妃の従姉妹である母と、この国──アトラベ聖王国の騎士団長である父の間に生まれた彼女は、三人続けて息子が生まれた後に漸く生まれた娘であり、家族から宝物のように大切に育てられた。
そんなベルフラウは、幼い頃に王家から望まれて第二王子の婚約者となったのだが、しかし今、その第二王子から謂れのない罪を被せられようとしていた。
「いつまでもそうして惚けていられると思うなよ……!ベルフラウ・カンパーヌラ。貴様のような悪役令嬢と結婚することはできない。私は貴様との婚約を破棄し、ここにいるコランバイン子爵令嬢と婚約することを宣言する!」
すっかり自分に酔って声高らかに宣言する第二王子を見ながら、扇で口元を隠したベルフラウは、至極つまらなさそうにため息を吐いた。
先程から第二王子の腕にしがみついている幼顔の令嬢が、彼の言うコランバイン子爵令嬢なのだろう。染めたのではないかと思う程わざとらしいピンクブロンドの髪を揺らし、ベルフラウに睨まれているなどと宣っている彼女の気分は、さながら悪役令嬢から虐げられるヒロインといったところだろうか。
──悪役令嬢ね……虐げるも何も、初対面だわ。
よりにもよって、ベルフラウの十六歳の誕生日を祝うパーティーで行われた断罪劇は、実のところ勝手に盛り上がっている第二王子達を除いて、ひどくしらけた雰囲気だ。
それというのも、近頃アトラベ聖王国では娯楽小説──下位貴族の娘と嘲られ、悪役令嬢から様々な嫌がらせを受けながらも、苦難を乗り越えたヒロインが理想の王子様と結ばれるというのが大筋らしい──の流行に伴い、あちこちで似たような騒動が起きているのだ。
そういった噂話に興味のないベルフラウですら、現聖王が嘆かわしいとぼやいていたと父から聞かされ、物語と現実の区別がつかない人間が多いのだなと呆れていたのだが、まさか自分が当事者になるとは。
「つまり、殿下も他のお馬鹿さん達と同じだったということですね」
「ベルフラウ貴様、不敬だぞ……!」
「そうですよベルフラウさま!私への酷い仕打ちは、今すぐに謝罪していただければ全て許してさしあげますから、早く謝ってくださいっ」
謝罪と言われても困るというのが、ベルフラウの正直な感想だ。今の今まで顔と名前すら一致していなかった相手を、一体どうやって虐げるというのだろう。
おおかた件の娯楽小説通りの流れにしたいのだろうが、生憎とそんなものは読んですらいない。
「殿下、私はその方とは今日が初対面です」
「醜いなベルフラウ、そんな嘘をつくとは。貴様がコランバイン子爵令嬢の根も葉もない噂を広めたり、母の形見のブローチを壊したことを、私は彼女から聞いているのだぞ!」
「……はぁ。こうも深刻な精神汚染を起こすのであれば、娯楽小説を規制することを考えた方がよろしいのでは?」
確かに有能ではなかった第二王子は、しかしここまで愚かではなかった筈だ。女癖が悪いのは、初めてのデートにお気に入りのメイドを連れてきた十歳の頃から変わらないが。
今度は隠すことなく深いため息を吐いてから、一度ゆっくりと後ろを振り返ったベルフラウは、笑顔を張り付けて──明らかに目が笑っていないが──こちらを見ている両親と兄達に後は任せたとばかりに微笑んで見せると、第二王子に向き直り優雅に膝を屈めて礼をとる。
せっかくの誕生日パーティーだというのに残念だが、面倒なことは全て家族に押し付けて不貞寝することに決めた。とはいえ、ベルフラウがふてくされている理由は別にあるのだが。
「殿下、婚約破棄については承りました。後のことは、私の両親と話し合ってくださいませ」
「なっ、ベルフラウ!貴様逃げるのかッ!?」
「悪役令嬢、でしたか?せっかくの誕生日に素敵な役をプレゼントしていただきありがとうございました。疲れてしまいましたので、今日は下がらせていただきますね」
本当はパーティーが終わるギリギリまで待っていたかったのだが、部屋に戻り次第着替えて果実水でも持ってきてもらおう。不貞寝から目覚めた時、嬉しい報告があると信じて──
「それでは皆様、ごきげんよう」
ベルフラウがその場を去った後、カンパーヌラ家から第二王子と、その腕にぶらさがっている令嬢への尋問が始まることになるのだが、端役の出番はここまでだ。
また、本日の主役であるベルフラウが姿を消したことで、パーティーは早々にお開きとなった。
◇◇◇◇◇
「ベルフラウ様、プフラオメ辺境伯がお出でになりました。お会いになりますか?」
「……っけほ、会うわ!勿論お会いします。今すぐ支度をするから、少し待っていただいて」
嬉しい報せは、思っていたよりずっと早くやってきた。驚いた拍子に気管に入った果実水でむせながら、やや早口で命じると、自分がふてくされていたことなどすっかり忘れたベルフラウは、夜着に着替えてしまう前でよかったと胸を撫で下ろした。
乱れているところはないか、鏡の前で入念にチェックする。今日のベルフラウは、緩くウェーブした母譲りの銀髪をハーフアップにして、以前大切な人から送られた耳飾りと、同色の髪飾りを身に付けている。
──少しは大人っぽく見えるかしら……?
光沢のある生地で仕立てられたドレスは、波打つドレープが美しい。背伸びをして体の線に綺麗に沿った作りにしてもらったが、いざ見せたい相手に見せるとなると少し恥ずかしい。
ウエストよりも少し高めの位置に装飾を施してもらった結果、平素よりも脚が長く見えることが嬉しくて試着の際など何度もその場で回ってしまった。
「大丈夫、もう十六歳……立派な大人よベルフラウ。きっとあの人の隣に並んだって、親子に見えたりなんてしないわ」
自分にしっかりと言い聞かせ、ゆっくりと瞼を閉じる。次に目を開けた時には、少女ではなく立派な淑女の顔になっていなくてはならない。
控え目なノックに返事をして、向かうのは客間だ。遠い領地から駆け付けてくれたのだから、本来ならばパーティーを楽しんでほしかったが仕方がない。ベルフラウとて、馬鹿に付き合わされた被害者だ。
「スターチスさま、失礼致します」
バクバクと煩い鼓動が聞こえてしまわないよう祈りながら、客間の扉を開ける。艶のある濃灰の髪が見えた瞬間、危うく淑女の仮面が剥がれ落ちてしまいそうになった。
「誕生日おめでとうベル、すっかり遅くなってしまってすまない。また一段と綺麗になったね」
「ありがとうございます、スターチスさま……。遠路はるばるお越しいただけて、ベルは幸せですわ」
耳を擽る声は低く甘く、優しく細められた蒼い目はまるで空のよう。
スターチス・プフラオメ辺境伯。父の元部下であり、今は王都を離れ領地を守っている彼は、ベルフラウの初恋の人であり、今尚恋い慕い続けている相手であった。こうして目の前にすると、多忙な彼は今日は来てくれないのではないかと一人やきもきしていた時間すら、今は愛しく感じる。
「隊長……カンパーヌラ侯爵から聞いたよ。災難だったね」
「ああ、第二王子のことですか?確かに面倒でしたけれど、おかげで晴れて自由の身になれそうですわ。だから私、いっそ感謝していますの」
「二人の婚約は王命だったが、流石に今回ばかりは聖王陛下も庇いきれないだろうね。元々、君の家族は婚約などさせたくはなかったようだし……」
クツクツと喉を鳴らして笑う様子に、胸がきゅうっと締め付けられる。ベルフラウの二十歳上であるスターチス。
年を重ねても、彼のその美貌は増すばかりだ。
性格は穏やかで優しく、面倒見が良くて誰よりも誠実。それでいて、肩幅もあり頑丈な体つきで軟弱さなど微塵も感じさせず力強さに溢れているスターチスは、騎士団長である父と並ぶ剣の腕を持つ。
国内の令嬢のみならず、かつては周辺諸国の姫君達からの求婚すらあったと噂されているが、当のスターチスは誰一人選ぶことはなく、辺境伯となった今も独身だ。
「スターチスさま、我が国では十六歳で成人です。私、大人の女になりました」
「そうだね。私の後を付いて回っていた小さな子が、いつの間にかそんな大人びたドレスを着こなすようになるのだから……私も年を取る筈だ」
「今日は、スターチスさまから戴いた耳飾りを身に付けさせていただいています。とても綺麗な蒼……私の宝物なんですよ」
ドレス姿を褒められたことが嬉しくて、しかしはしゃぐ心を気取られまいとあくまで優雅に回って見せれば、スターチスは感嘆の息を漏らした。
耳飾りと同じ空色の瞳に、ベルフラウはどう映っているのだろう。妹のように可愛がっていた上司の娘のままか、それとも魅力的な異性か。
「十二歳の頃だったか……誕生日の贈り物に私の目と同じ色の石をねだられた時は、肝が冷えたよ」
「ふふ、第二王子曰く私は悪役令嬢だそうですから。昔から悪い子でしたの」
「おや、ということはやはり意味を知っていてねだったんだね?」
本当に悪い子だと言って苦笑するスターチスに、えもいわれぬ興奮を覚えながら、少し顎を引いて上目に様子を窺う。何かをねだる時は、そうするのが有効だと教えてくれた令嬢は誰だったか。
今頃、第二王子とベルフラウの婚約は相手の有責で破棄が認められているだろう。
初顔合わせの日、何故選ばれたのが他の令嬢──ちなみに、後に王太子妃となる公爵家の令嬢だ──ではないのかと泣いて喚かれた時点で、ベルフラウはいつか必ず望まぬ婚約から解放されてみせると決めていた。
誰かを虐げたことなどないが、それが成されるのなら悪役令嬢万歳だ。
「そんな顔をして、ベルは……ベルフラウ嬢は、私に何をねだるつもりなのかな?」
「どうか、私に機会をいただけませんか」
「機会?」
「はい。私がスターチスさまに釣り合う女性かどうか、その目で見極めていただきたいのです」
これはもはや、愛の告白だ。女性側から婚約者にしてほしいとねだるような行いは、他国に比べて女性の権利が認められたこの国においても決して褒められたものではない。
だからこそ、これはベルフラウにとっては一世一代の告白だ。もし肯いてもらえなければ、己の人生など何の意味もないと思う程に。
──私もきっと、第二王子と同じなのだわ。恋慕から身を滅ぼす愚かな女。
悪役令嬢と呼ばれる存在が、元は誰かを恋い慕っていただけなのだとベルフラウは知らない。誰かを想う気持ちは、時に人を狂わせる。
そして、そんなベルフラウを見つめるスターチスの双眸には、空が淀むような欲の色が含まれていることにも気付かずにいた。
「……わかった」
「……!」
「だが、今すぐにとはいかない。第二王子とのことで、暫く君には普段以上に人の目が集まるだろうから」
「はい、それは承知しております」
ぽふり、と。
大きな手がベルフラウの頭に優しく乗せられ、どこか不器用に撫でられる。何年振りだろうか、スターチスにそうして触れられるのは。
「今はまだ、私はこんな風にしか君に触れることはできない。だから、君の周りが落ち着いたら……月に二度二人で過ごす時間を作ろう。手紙ならいくら送ってくれても構わないし、なるべく返せるよう努力しよう」
「月に二度も!?っ……お忙しい中、私に時間をいただけることに感謝致します」
隣国との国境近くのスターチスの領地は、王都から遠く離れている。辺境伯として多忙な日々を送る彼の時間は、それこそ手紙を書く間であっても貴重なものだ。そんな彼を支えられる女性になりたいと思いながら、今この時、間違いなく自分はスターチスを困らせているのだと思うと、ベルフラウの胸はチクリと痛んだ。
「いや、私にとっても今から楽しみなんだ。ベルが思っている以上に、私は君を大切に思っているんだよ」
「はい……はいっ!」
「期間は、そうだね……半年にしようか。その間、私は君を一人の女性として見る。二人の時は、君も自分の心に素直に振る舞ってほしい」
ゆっくりと。一言一言、言葉を選んで大切に紡がれるそれは、ベルフラウの心をあたたかく満たしていく。泣き出してしまいそうになるのを堪え、淑女らしく微笑んで頷いた。
「……とはいえ、これはカンパーヌラ侯爵から許可を貰えたらの話だ。まずは後日、君の父君と話す為にまたこちらに伺おう」
「はい、お待ちしております」
「うん。それでは、今日はそろそろ失礼するよ。慌ただしくてすまないが、どうしても直接君におめでとうと言いたくてね」
スターチスは、かつて幼いベルフラウが彼を『ターさま』と呼んでいた頃のように、破顔一笑すると、綺麗にラッピングされた箱をベルフラウに手渡した。
「改めて、誕生日おめでとう。君にとって、これからの一年が素晴らしいものでありますように」
そう言って部屋を出ていくスターチスの背中が見えなくなるや、まるで腰が砕けたかのように力が抜けてその場に座り込む。
緊張の糸が切れたのだろう。暫し放心していたベルフラウだったが、ふと箱の中身が気になって、部屋に戻るより先に丁寧に包装を解いていく。箱を開けると、そこには──
「ふふ。ありがとうございます、スターチスさま」
空を思わせる蒼色のペン軸を胸に抱く。
装飾品ではないとはいえ、ねだったわけではないのにスターチスの瞳と同じ色をした物を贈ってくれたことに、甘い期待をしてしまうのは良くないことだろうか。彼に書く手紙は、絶対にこのペンを使おうと決めてベルフラウはゆっくりと立ち上がる。
部屋に戻って夜着に着替えたら、今度こそ眠ろう。今夜は素敵な夢が見られそうだ。
アトラベ聖王国において、男性が女性に己の瞳と同じ色の贈り物をするのには、かつて初代聖王が始まりの聖女に贈ったとされるドレスを由来として、昔からこんな意味がある。
いつもあなただけを見つめています。
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