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3-04 花失致死

 恋をすると身体から花が咲く、人間と植物の特徴を併せ持つ異形の生物『花人』。人間の少女の姿をした花人たちは、庭師の管理する『植物園』で暮らし、恋心を育んで花をつける生活を送っていた。美しい花をつけた花人は、太夫と呼ばれ、特別な者しか入ることが許されない花園に迎え入れられる。花人たちは太夫を志し、恋愛を楽しんでいた。

 花人の少女、月華は、初恋の相手である桂花が突如として枯れたことを不審に思い、花園と太夫たちの秘密を調べることに。そして、調査が進むにつれ、彼女は花人の真実と花園の闇を知っていくことになる。

 異形の少女たちの愛憎をめぐるホラー・ミステリ。

 私を咲かせたのは、私の大嫌いなひとだった。

「おめでとう。あなたもようやく恋を知ったのね」

 同季生まれの子に指摘されて、はじめて体の変化に気が付いた。

 右のこめかみ、髪の生え際の産毛に埋もれるようにして、ほんのりと赤く色づいた新芽。指先で撫でると、肌の下にある硬い芯を感じる。

 恋をすると身体から花が咲く。

 私たち花人にとっての宿命的性質は、私にとって恐怖と嫌悪に彩られたものでしかなかった。

 情緒の開花。身体的変化の性徴。身体によって明かされる思慕。

 幼い私は肉体の変貌を止められないことに息を詰まらせた。初恋は日に日に肥大化し、滑らかだった肌を荒らしていく。醜い吹き出物はもどかしい痛みと熱っぽさで主張して苛立たせる。厄介なことに、芽が膨らんでいる真っ最中、この初恋が誰に対するどんな情緒なのか、知ることができずにいた。肉体の変化に心が追いつかず、困惑と色気づいた自分への失望を隠せないでいた。

 わかりやすく動揺する私を周囲は歓迎したが、当の私は彼女ら花人の一員になることなんてまっぴらだった。同季のなかには、すでにいくつも花をつけた気の多い子もいて、彼女たちの羞恥心を忘れ去った言動には呆れかえっていた。はしたなく肌を晒し、芽吹いた花を勲章のように見せびらかす。ふたつも、みっつも、多淫で浮気性な性格を誇ってさえいた。

 恋心の一挙手一投足に気を乱し、制御できない情緒に言動を振り回される。些細な行き違いで感情を暴発させ、なんでもないことで泣きじゃくる。恋のためなら容易に裏切り、傷付け合う。人目もはばからず睦み合っては、次の瞬間に喧嘩別れをはじめる。花盛りを迎えた少女たちの有様は、根腐れでもしているように醜く異常で、狂い咲きにしか思えなかった。

 花は枯れ、生え変わり一層艶やかに、美しく咲き誇る。

 色恋に脳を支配された花人。自分はそうなるまいと虚しい抵抗を繰り返した。

 芽が膨らんでくるたびに、爪で挟み込んで圧し潰す。ぷっくりと血が丸く膨らんで、勢いよく皮膚が破裂する。毛穴から噴火するように、皮膚に埋もれていた蕾が飛び出す。琥珀色の粘っこい血潮が顎から伝い、白いワンピースに糸を引いて汚した。何度も、何度も、何度も、潰した。芽が再生する度に圧し出して、未熟な蕾を千切って捨てた。

 いくら拒絶して突き放しても、恋は私を逃がしてくれない。

 傷付き過ぎた私の肌は、醜い瘤となって隆起した。瘤はかえって芽を守ることになり、鋏で剪定しなければ自力では引き抜くこともできなくなってしまった。刃物を持てない私たちでは、もうどうすることもできない。真夜中、鈍角な鉛筆の先で肌を内側から突き抜くような痛みに揺り起こされる。初恋は自覚を欠いたまま、体のなかで大きく生長していく。

 私は花が咲くのを黙って見守るしかなかった。

「お堅いあなたを咲かせたのはいったい誰かしら。私が咲かせてみせようと思っていたのに」

 十は年上の樹沙が、親指の先ほどの大きさになった蕾をなぞる。痛みに顔をしかめるけど、払いのけるような無礼な真似はしない。花の咲いていない私はちゃんとした花人でなく、名前もないため、ただあなたとだけ呼ばれる。年長の花人の間では誰が私を咲かせるかで競い合っていたらしい。

「はやく認めちゃったほうが楽よ、怖がりさん。他人と繋がらずにいられるなんて甘い考え、通用しないのだから。初々しいのも結構だけれど、貞淑ぶっても私たちは所詮花。色香で誘い、欲望の蜜に溺れる……それが本能」

 花人は、花を咲かせば咲かせるほど上等とされる。花の数とその美しさで上下関係が築かれる。花人は恋を知るほどに美しく咲き誇る。ひとを惹きつけ、魅了する。それが花人という存在だ。もっとも美しい花人は太夫となり、この『植物園』を抜けて『花園』への昇殿が許される。人々に愛される花に。

「私は別に……そんな風になりたいわけじゃ」

 身を引こうとした私の腕を、彼女が掴む。

「逃げないで」

 樹沙の爪が私の顎の線をなぞる。喉を伝い、鎖骨に沿って這う。彼女の頬、そばかすのように咲いた勿忘草の青く小さな花弁たちが吐息で揺れる。

「樹に生る私たちが、どうしてあどけない少女の姿でこの世に産み落とされるのか。考えたことある?」

 襟もとから、人肌の蛇が巻きつくように、私の肌を侵していく。

 身を固くするけど、振りほどいたりできない。樹沙は私よりも格上の花人なのだ。普段は優しい姉のような彼女が豹変する。深緑の瞳が暗い陰りを帯びる。美しい花の下には、香りに誘われ寄ってきた蝶を狩る蟷螂が潜んでいる。花に擬態して、得物を研いで構えている。

「ずるい」

 嫉妬だ。

 激しい情緒が私の身体を襲う。逃げられない。

 諦めて目を瞑った。

「駄目だよ」

 そのとき、濃密な薫りの塊が私たちを窒息させんと取り囲んだ。樹沙が怯えたように息を呑み、私から体を引き剥がした。目を開けずとも、誰が現れたのか明らかだった。格付けの済んでいる樹沙は、口惜し気にその場を立ち去った。

「……桂花」

 私は現れた香りの持ち主の名を呼ぶ。その時はすでに、自分の体の変化に気が付いていた。気付かされた、というべきだろうか。否定しようとしたけれど、体はいつだって正直で。彼女の香りを嗅いだだけで、なんて。

 ゆっくりと首をもたげるように、皮膚の下で縮こまっていた蕾が伸びをする。黄色い花粉を散らしながら、瑞々しく涼やかな甘い芳香を私の影にまとわせる。

 まだ何者でもなかった少女は、否応なく成長させられ、自分のなかに生長した花をみる。私は自らの花に戸惑いを隠せず、受け入れることは容易ではなかった。だって、そんなはずないんだもの。

 花が開く。

 私の恋が自明になってしまう。

 白百合が朝日を浴びたように開き、恥知らずにも、はしたなく彼女を誘う濃厚な薫りを放った。この恋は誰に植え付けられたものか。知りたくもなかった。

 私を花開かせたのは、私がもっとも嫌っていた女だった。

 『植物園』で一番太夫に近いと噂される、最も美しい花をつけた花人の少女。

 全身余すところなく橙の星を咲かせ、他人の香りを塗り潰すように芳香を垂れ流す。関節から生えた花は彼女に杖を突かせ、強すぎる香りは彼女の鼻を役に立たなくしていた。金木犀に覆われる彼女の姿を、私は憎々し気に睨み返していた。

「キレイだね」

 彼女が膝を折り、顔を近づける。地面に膝をついたせいで、彼女に生えていた花弁が千切れて落ちる。また生えてくるとはいえ、ほかの人や大切な物のために咲いた花をないがしろにする行為。それが嬉しいだなんて、ちらとも思った自分に嫌気がさした。彼女といると、いつもこうなってしまうのが嫌だった。彼女に咲いた、私のための花をみるのはもっと嫌だった。

 彼女の右目の瞳。その角膜を突き破って咲いた一輪の、小さな小さな星の花弁。

 桂花が私に恋した証。彼女の視力を奪った花。これまで誰も手に入れる事の出来なかった場所に咲く、彼女にとっての一番星。誰も、そんなところに咲いて欲しいだなんて頼んだ覚えはないってのに。

「あなたのものになんてならない」

 うっとりと淀んだ彼女の、視えもしない眼に見せつけるように、自ら手を伸ばして白百合の花弁を額の皮膚ごと引き千切った。どっぷりとした血が吐き出されて、彼女の花びらに滴が飛んだ。

「私は誰のものでもない。あなたなんかのものになってやらない」

 私のつっけんどんな態度にも、彼女は微笑みを崩すことはない。

「うん、わかってる。そんな君はみたくないから」

 彼女はむせ返る甘い手で、私の頭を撫でた。拒絶も、虚勢も、喜んで噛み締めるように。

「かわいいひと。あなたは月華」

 桂花は私の名を呼んだ。

 咲かせた相手が新たな姉妹へ名付けを行う仕来りだ。

 彼女の喉を鳴らす音がはっきりと聞こえた。沈黙のヴェールと、色味を増した匂いが絡みつく。彼女がいま、どんな眼で私をみているのか、うかがい知ることはできない。覗き込んでも一輪の星が揺れているだけだ。

 この日、私は路傍の草木からひとりの花人となった。

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