第99話
「おっめでとーぅ!」
キョーコのかけ声が、シェアハウスのダイニングに響く。皆が乾杯のしぐさをする。
キョーコ、仙道、五味、大家さん。
梨花は席についた全員の顔を見まわして、最後にお辞儀をした。
「ありがとう、ございます」
「いやー、まさか、まさかだわ。送別会が結婚祝いになるとはね」
キョーコがシャンパングラスを揺らしながら、感慨深げに言う。
「めでたい! でもお兄さんは寂しい!」
と、仙道もグラスをあおる。
「もちろんウェディングドレスは俺作ですよね」
シャンパンそっちのけでスケッチブックを取り出す五味に、キョーコがクギをさす。
「五味くん、押し売りはダメよ」
くすくすと笑いながら、梨花は五味の肩をぽんとたたいた。
「ありがとうございます、五味さんのデザインが嬉しいです。ぜひお願いしたいです────」
「ほら、キョーコさん。聞きました?」
「やだ五味っちのドヤ顔、腹立つわ。私の時もお願いね?」
「当たり前じゃないすか」
「まぁまぁ。いやー、しかし、梨花ちゃんの手料理とも、あと少しでお別れかぁ」
ピィ…………。
仙道の言葉に、黙々と料理を啄んでいた大家さんも、丸い背中をさらに丸くして、しなだれた。
梨花は手を伸ばして、ふわふわの羽をそっと撫でた。
「私も、みなさんが美味しそうに食べてくれるところを見れなくなるのが寂しいです。しばらくは、たくさん作っちゃいそう」
一人分の自炊って、どんな分量だったっけ。
五人分(と、お弁当の分)を作るのが、すっかり身に染みてしまったな。
たくさんタッパーを買って、作りすぎた分は常備菜として保存することになりそうだ。
「寂しいね、本当に。もちろん料理だけじゃなくてさ。ほんと、娘を送り出すパパの気分」
「仙道さん…………」
「せいぜいアニキでしょ」
「キョーコちゃんだって母の心境でしょ」
「まぁね…………」
ピィ!
どかっ! と、勢いよく、大家さんが梨花の膝にやってきた。
「大家さん。お世話になりました。また、会えるのを楽しみにしてます。その時は、たくさんお話聞いてくださいね」
キョーコたちとは、また会える。日本で。東京で。奈良で。神戸で。
でも、大家さんとは────。
もしかしたら、次に会えるのは、ずいぶんと先のことかも。と、思うのだ。
たとえば、この世を最後まで満喫して、おばあちゃんのところに行く途中、かもしれない。
それはコハクとも。そうなるかも。
でも、きっと皆、そばにいてくれる。見えなくても。
梨花はもう、ひとりぼっちじゃない。
どこへ帰ろうとも。
そんな安心感が、梨花の胸の中には芽生えていた。
短い間だったけど、ここは梨花の家。居場所だった。
「行ってきます、ね」
ぎゅう、と、ふわふわのからだを抱きしめる。
黄色い羽が、照れたようにふるっと揺れた。
「あっ。そうだ。退去の日の前日に────。作り置き、多めに作りますね」
料理担当が抜けると、残ったメンバーに迷惑をかけるだろう。
そう思ったのだが。
梨花の申し出に、仙道が目を瞬かせて、ふっと笑った。
「ありがとう! でも、無理しないでね。助かるけど。大事に食べるけど。まっ、そのあとは俺と五味でなんとかするよ。梨花ちゃんが来る前はそうしてたんだし────。元に、戻るだけ」
仙道が自分の言葉を途切らせて、首を傾げた。
「いや、違うな。友達と、思い出と、寂しさが増えただけ、だよ」
「そうね。元通りではないわ」
と、キョーコ。
「ほんと、梨花さんの残したものは大きいっすよ」
と、五味。
「あっ、結婚式は呼んでね?! 何ならエスコートするからね!! 演奏もいる?!」
仙道が目を輝かせて言うと、
「じゃあ私はブライズメイド────♡」
キョーコはグラスを掲げて立候補する。
「もちろん新郎の服も俺が────、あっ、採寸…………。福岡まで行く……か?」
五味まで更なる協力を申し出てくれる。
ピィッ!
三人の声に負けじと大家さんがひとなきすると、何もなかった空中から、色とりどりの花びらが舞った。
「え、大家さん、花降らせられるの?!」
ピィ!
「いや、めっちゃドヤ顔!」
「みなさん気が早い! ちなみに、まだどんなお式をあげるかも決まってないですからね?」
笑いの渦が、寂しさを優しく運んでくれるようだ。それぞれの胸の奥まで。
ああ、楽しいな。笑いすぎて、涙まで滲んでる。
「────でも、嬉しい。この家に住めて、私は幸せでした」
◇
「みんな寝ちゃいましたね」
ソファで横になる男性陣と大家さんに、梨花はそっとブランケットをかける。
珍しくキッチンに立つキョーコが、ホーロー鍋を優しくかき混ぜながら微笑んだ。
「たまご酒、飲む?」
「いただきます」
「はい、ご馳走します」
卵液の入った湯呑みに、キョーコは温めた日本酒を丁寧に注ぐ。
「これだけは、失敗しないのよ。私」
「あ────美味しい」
「でしょ」
ダイニングテーブルで向かいあって、卵酒をすする。
「梶田っちは当面、福岡なのよね?」
「はい。お休みの時に、毎回じゃないけど、帰れる時に帰ってくる感じですね。もちろん、私も会いに行くし」
「しばらくは週末婚か────あ、単身赴任か? ま、それもアリよね」
ふっと、キョーコの視線が遠くを見たのを、梨花は見逃さなかった。
「あっ、透也さんのこと、考えてます?」
「まぁね」
頬を染めるキョーコが可愛い。
近い将来、キョーコもこの家を巣立って新しい家族と暮らすのだ。
変わってゆく。皆、それぞれの人生を生きていく。
「コナに、挨拶したかったな」
もう会えない友人の名が、梨花の口からぽろっとこぼれた。
「階段、無くなっちゃったんだっけ」
「はい。気づいたら、ただの押入れに戻ってて」
おばあちゃんとコハクの思い出の日記を読んだ後。いつのまにか、階段は消えていた。
またいつか、会えるだろうか。
「私も会いたかったな、もう一度」
「です」
きっと彼女は、元気に過ごしているだろう。
空と海の美しい港町で。
◇
「梨花ちゃーん!」
会社の廊下を小走りでやってきた沙月が、梨花のことを呼び止めた。
「やっと会えた。最近、珍しく有休が多いわね」
どうやら、少し前から探していてくれたらしい。
「そうなんですよ、ちょっと仕事が落ち着いたので、この機会にと。実家の片付けをしていて。あっ、沙月さん。今日、夜お時間ありますか?」
梨花としても、沙月と話したいことがあったのだ。
「あるある! なくてもつくる!」
そんなわけで、今夜ふたりで飲みに行くことになった。




