表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
94/100

第94話

 コハクが勝手口から出ていく。


 梨花はまだ通ったことのない、シェアハウスの勝手口。


 ごくりとつばを飲んで、コハクの背中を追おうとする。


 ピィ!


 鋭い鳴き声に梨花が足を止めると、大家さんが梨花の靴を手渡してくれた。


 慌てすぎて、裸足で行くところだった。


「ありがとう────!」

 

 ピィ……!


 梨花が靴を履き終わるのをまって、今度は自分の羽毛をいっぱい、梨花の手に乗せてきた大家さん。


「これ、お守りの……」


 ピィ


 大家さんの小さな黒い目が潤んでいる。


 梨花はふわふわのからだをそっと抱きしめて、もう一度「ありがとう」と言った。


 ────ちゃんと帰ってこれますように。


 その大家さんの思いが、必死さが、泣きたいくらいありがたかった。


 ここに住めなくなっても良い。

 つまり、皆とあえなくなっても良い。そう言ったに等しい梨花の選択、にも関わらず。


 大家さんは、変わらず梨花のことを思ってくれている。


 だからこそ、胸をはる。やるべきことをやる。自分のえらんだ気持ちに、嘘はつかない。




 一歩踏み出すと、そこは広い畑だった。


 馴染みのある野菜や、見たことのない果物。


 旬も何も関係なく、四季折々の恵みが実っている不思議な畑。


 その中を、コハクの背中を追って進む。




「ここだ」


 コハクが足を止めたのは、小さな池のほとりだった。


 鏡のように凪いだ水面を覗き込むと、キラキラと等間隔に並ぶ照明が見えた。


 規則正しく引かれた白線と、そこに並ぶたくさんの車。


 高速道路のサービスエリアだ。


「もうすぐここに着くだろ。ここでそいつを拾って、病院にとべばいい」


 そう、コハクはなんでもないように言う。


 一方の梨花は、自分がのぞんだことなのに、いざとなったら手が震えた。


 ────なんて説明しようか。


 きっと驚くだろう。


 気持ち悪がられるかもしれない。


 ぐるぐると思考がまわる。


 ああ、そうだ、翔太は、コハクの顔も知っている。


 あの時なんて説明したんだっけ、コハクのこと……。


 ────パン!


 突然、自らの頬をはたいた梨花に、コハクが目を丸くする。


「大丈夫か?」


「大丈夫。気合いをいれただけ」


 迷うな。悩むな。そんな事は後でもできる。


 今やる事を間違うな。


「もう大丈夫」


「そうか。これを着ておけな」


 と、梨花に白いレインコートをくれた。

 コハクはいつの間にか装着済みだ。

 梨花も急いで袖に手を通す。


「準備ができたなら、俺の手をつかめ」


 そう言って、コハクが手を差し出した。


 梨花はしっかりと、その白い手を握った。




 コハクと落ちるのは二度目だ。


 そんな事を考えるくらいの余裕はあった。


 飛び込んだ池は冷たくなく、濡れもしない。


 少しの浮遊感ののち。

 

 気がついた時には、サービスエリアの端っこ、植え込みの影に立っていた。


 思ったよりも酷い雨風だ。建物の軒下に身を寄せるが、意味がないくらいに雨粒が吹き込んでくる。


 


「俺はここにいる。先に話を」


「わかった」


 ちょうど、取り出した梨花のスマホが鳴った。


「もしもし」


「いまね、サービスエリアについたから。約束通り電話したよ」


 疲れの滲む声。でも明るく振る舞おうとしている声。

 梨花は胸の奥がきゅう、と縮むような思いを覚えた。


「うん。でね、驚かないで聞いてほしいんだけど、私もこのサービスエリアにいるの」


「────は? いやいや」


「電話ボックスの近く」


 しばらくの沈黙。そして驚く声。梨花を見つけたのだろうか。


「え? 嘘、なんで。あぁもう、雨が邪魔! ────ちょっと待って!」


 バタンという音の後、通話が切れた。


 すぐに梶田が走ってきた。数秒のことなのに、傘の意味もないくらい濡れている。


「抱き、しめたいんだけど、俺びしょびしょだよね……」


 背中を丸めて小さな声で言う。不謹慎だけれど、可愛すぎないか。


「私もびしょびしょ」


 がばっ! と音がしそうな勢いで、梶田は梨花を抱きしめる。


「何がなんだかわからないけど、これ夢?」


 梨花はその問いに答えられず、言葉に詰まった。


 いっそ夢だったらよかった。


 紅子さんが倒れたのも、夢だったら。


 そんな複雑な気持ちが顔に出たのか、梨花の顔をのぞきこんだ梶田の表情が、ふと現実に戻ったように笑った。


 寂しそうに、笑った。


「夢じゃないね」


「うん」


 梨花は思わず叫んだ。自分からふっと離れそうな梶田の手を、ぎゅっと握って。


「夢じゃないよ! だから、紅子さんに会いに行こう!」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ