第90話
「ぜんっぜん、覚えてない」
昨日の事を話すと、梶田がテーブルに頭を抱えてつっぷしてしまった。
「綿貫のことなんて言ってたの、おれぇ」
「お待たせしましたぁ」
タイミング悪くというか、良くというか、ほこほこと湯気をくゆらせたエッグベネディクトが、各々の前に置かれる。
「ほら、美味しそう! 食べよ」
もう少ししたら梨花は帰る。
その前に、ふたりでモーニングを食べに来たのだ。
せっかくだから、さっさと美味しくいただこう。と思うのだけれど。
出来心で、昨日の事を話してしまった梨花にも責任はある。もう少し話を聞こう。
「梨花より全然飲んでないはずなのに……俺屋台じゃウーロン茶だし、部屋飲みも後半ほぼ水だったよね?」
「可愛かった」
梨花はにこにこと言った。
本心だ。
「あぁ……失態……かっこわるぅ」
「私、べつに翔太くんにカッコ良さは求めてないよ?」
そう言うと、がばっと梶田が顔を上げた。
「え? 初耳。それはそれでどうなの? 良いの?」
「たくさんお酒飲めることがかっこいいわけじゃないしね」
「まぁね……」
「ほら、食べましょ!」
冷めてしまっては勿体無い。
「うん────。え、何これうまっ!」
ころころと変わる表情が、子供みたいだ。
そんな気持ちを抱くことで、二人の距離が近づいたことを改めて実感する。
「うん、美味しい」
とろりと流れる卵黄。絶妙な卵の加熱具合と、そこにからまるソースの旨味が最高だ。
梨花はオレンジジュースを一口飲んでから、それにさ────と、思い切って言う。
「いずれ家族になるんだから、かっこつけて強がってばかりいられたら困ります」
梶田の目が驚きに見開かれる。エッグベネディクトを口に運ぶ手が止まる。
「え、それはねぇ、つまり」
「すぐじゃないけど!」
慌てて付け足すように、梨花は言う。
「ゆっくり、タイミングをはかって、進めていけたらと」
「それ以上はストップ!」
今度は梶田が手のひらを見せて、制止する。
「続きは俺からいいたいしアイテムの準備もありますので、一度持ち帰らせてください」
そんなふうに早口で言うので、ふふ、と梨花は笑ってしまった。
「はい。承知しました」
「俺さ、朝ご飯を誰かと食べるのが好きなんだ」
食後のコーヒーにミルクをたらして、スプーンで混ぜながら、何気なく梶田が言う。
「うん。私も」
頷いてから、ふと話したくなった。
あまり人には言わない、梨花の話。
「両親が事故で亡くなってから、食事が口を通らない時期があって。でもおばあちゃんがいつも、一緒にご飯を食べてくれて。少しずつ、また食べられるようになったんです」
かわいそうと思われるのが嫌だった。
申し訳なさそうにされるのが嫌だった。
大好きな両親の話をして、そんな気持ちになるのが嫌だった。
でも、彼には話したかった。
「まだ、知らないことばかりなんだな」
そう、梶田は言う。でもきっと、悲しい顔はしない。気まずい顔もしない。ただただ優しい顔をする。
だから好きになったのだ。
「話してくれてありがとう。今度一緒に、お墓参りに行っても良い?」
「うん。お願いします」
「ご両親にも、ちゃんとご報告しないとね」
必要以上に悲観的にならず、さらりと受け止めてくれる。それで救われる事もある。
話し出したら止まらなくて、本当は誰かに聞いて欲しかったのだと、梨花は今更に気がついた。
「実家ね、いまは誰も住んでないの。でも片付けられなくて。片付けてしまったら、本当にひとりぼっちになっちゃう気がして。でも、一人で住むには思い出が多すぎるから」
「わかるよ」
頷いてから、ちなみに────と、梶田が言う。
「誰かと住む事に、抵抗はある?」
どうだっただろう。
梨花は、シェアハウスに来る前のことを思った。
ずっと、ひとりで良いと思っていた。
またいつか離れ離れになると思うと、最初から近づくのが怖かった。
そして、何より。
「────ひとりでも生きていけるって事が、いつしか自分の支えになってたみたい」
自信、といっても良いかも。
私には何もなくても、私は私だけで生きていける。そんな自信。
「でも、今は違うみたい」
人と暮らす楽しさを思い出した。
同じご飯を食べて、気遣いあって、励ましあって、助け合って。
ひとりよりも心地がよかった。
かといって、自信がなくなったわけでも、自分が流されたわけでもない。
自立したひとりどうしが集まって、暮らしてきたのだ。
「ひとりでも楽しいけどさ。ふたりだともっと楽しい」
梨花の心を読んだように、梶田が言った。
「うん。私もそう思う」
「ありがとう。楽しかったよ」
新幹線のホームで、梶田が笑う。
今度は逆だ。
梨花が新幹線にのり、梶田が見送る。
繋いだ手を、離すのが惜しい。
学生でもないのに。いい大人なのに。
私って、こんかに感情のいきものだったかな? と、梨花は思う。まいったな。
これを離してしまったら、本当に、しばらくのお別れだ。
「近いうちにそっちに行くから」
「うん。待ってます」
一緒だけのハグをして、梨花は笑って手を振った。
自分の気持ちは固まった。
シェアハウスの皆にも話そう。
私、シェアハウスを卒業します。────って。




