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第89話

 起きて、お弁当と朝ごはんを作って、食べて、働いて、好きなひとと話して、晩ごはんを食べて、眠る。


 いつも通りの日常を過ごした。


 この日まで。


 仕事をしながらとはいえ、あっという間にすぎてしまった。


 大事に過ごしたつもりだったのに、ふりかえってみれば、もっと大事に過ごせばよかったと思うのはなぜだろう。


 新幹線のホームに立って、梶田は梨花に言う。


「ついたら電話するね」


「うん」


 保冷バッグごと、梨花は梶田に差し出した。


 荷物になるからやめようかなと思ったけど、梶田は喜んでくれるだろう。


「これ。よかったら。おかずとか、いろいろ」


「ありがとう」


(ほらやっぱり)


 想像よりも嬉しそうに笑ってくれる。


「よいしょ、っと」

 梶田は開いた扉から乗り込んで、通路を塞がないよう、スーツケースを横に寄せ、ホームの梨花を振り返った。


「行ってきます」


 梨花の目頭と首の後ろが、ジンとしびれた。


 気がついたら、梨花も新幹線の中にいた。


「ありゃ」


 くすくすと笑って、梶田が言う。


「ちょっと旅行しますか? お嬢さん」


「あ、なんだろ、つい」


 我慢しようと思ったのに、見上げたら水分が落ちそうで、顔を上げられない。


 梨花の奮闘を知ってか知らずか、明るい声で

「いいじゃん、やってみたかったんだよね。ドラマみたい」

 と言い、梶田は梨花の頭を引き寄せて、自分の胸に埋めた。


「弾丸ツアーも楽しいよ?」




          ◇




 窓の外の景色が流れだす。


「もう降りられないね」と、楽しそうに梶田は言う。


 垂れそうな鼻水を必死にすすって、


「体が、勝手に」


 梨花は照れ隠しの言い訳をした。


「俺は嬉しいけど」


 ああ、また目頭が熱くなる。

 わざと強がるように、梨花も笑った。


「いいや、明日は仕事休みだし。旅に出ます」


「よし! そうと決まれば、まずは車掌さんをつかまえよっか」




 梨花の分の料金を支払って、自由席に移動する。


「お。あいてるよ。いこ」


 一緒にお弁当を食べながら、梶田が今日泊まる予定のホテルを梨花も予約した。

 博多の観光情報をチェックしながら、晩ごはんの相談をする。


 明日には梨花だけが帰らないといけないから、行きたい場所のすべてをまわることは出来ないけれど。

 ほんの少し先の未來を、あれもこれもとたくさん話した。


 せっかくできた一緒にいられる時間を、笑って過ごしたい。

 その想いは、ふたりとも同じだった。




          ◇




「やっぱり屋台は外せないよね」


「ラーメン食べたい!」


 荷物をホテルに置いて、当然ながら何も準備していなかった梨花のお泊まりセットも買った。


 シェアハウスの皆にも、今日は帰らない旨を連絡した。

 がんばれ! と、テンション高めのキョーコの返信に、元気をもらう。


 あとは、楽しむだけだ。

 

「ラーメンは締めだね。まずはおでんか、串焼き。どう?」

 梶田の提案に、梨花は子供のようにハイハイと手を上げた。


「両方!」


「ぷはっ。了解!」






「観光かい?」


 恰幅の良い屋台の主は、手際良く鉄板の上の串焼きをひっくり返しながら聞いてきた。


「はい」と、梨花。


「お客さんたち、もってる空気感が一緒だね。夫婦は似てくるってよく言うけど、あれは一緒のもん食ってるからなのかねぇ」


「そうなのかな? そう言ってもらえて、嬉しいけど。大将のところはどう?」


 梶田が否定もせずにそう聞くと、大将はがははと笑って、


「うちんとこか? かぁちゃんどころか、犬まで似てるな。はい、お待ち。明太ネギ巻きと、ホタテと、センマイね」


 明太子と山盛りの刻みネギを豚バラで巻いた串、ホタテをシンプルに塩胡椒でいただく串、センマイは自家製タレと七味の風味が食欲をそそる。


「うまっ」

「ビールが進んじゃう」


 こんな感じなのだろうか。

 もちろん今日は特別なのだけれど、もしこちらに梨花も越してきたら、と。

 どうしても、もう少し先の未來を想像してしまう。


 大将おすすめの串を何本か食べて、また次の屋台に行く。


 


 おでんも、ラーメンも美味しかった。


「はー。お腹いっぱいすぎて」


 お腹をさすりながら、梨花は幸せな気分で空を見た。


 大丈夫。この空と、東京の空と、ちゃんと繋がってる。


 そっと、梶田が梨花の手をとった。


「ね、ちょっと梨花の部屋で飲み直そ」


「じゃあコンビニ寄りましょ」


 離れがたいのは、お互いさまだ。




 チェイサーもしっかり用意して、お酒はほどほどに、とりとめない話をする。

 明日は休みだ、帰り道に寝ればいい。だから、時間は気にしない。


「お茶、いれる?」


 話の切れ目で立ちあがろうとした梨花の手をとって、梶田がひきとめる。


 そしてそのまま、ポケットから出したプラスチックの指輪を、梨花の右手の薬指にはめた。


「これ、出店で買ったおもちゃだけど。本番は、また、ちゃんとするから」


 そのまま梨花を抱きすくめて、子供のように小さな声でお願いする。


「俺がいなくなっても、綿貫にはなびかないで……」


 思いがけない言葉に、梨花は思わず笑ってしまう。


「酔ってる、ね? 綿貫くんも、もう私には興味ありませんって」


 笑い飛ばす梨花に、むぅ、と、拗ねた顔をする。やはり子供になっている。


「そんな事ないの、梨花がいちばんわかってるでしょ」


「綿貫くんはいい後輩だよ」


「知ってる。いい奴。だから気になるだけ。わかってる」


 わかってるといいながら、いやいやをするように首をふる。


「あ、そうだ、あと五味さんに伝えてほしいんだけど」


「ん? うん」


 ここで五味さん? と、梨花が不思議に思うと、


「いつか、梨花とリンクコーデの服、俺にも作ってほしいな……とか……実は思ってて……五味さんの服、梨花にいつもめっちゃ似合っててセンス良いから……もちろん言い値で買うから……」


 と、梶田はボソボソと言った。


「ふふ。喜びますよ、きっと」


 梨花は笑ったのに、梶田はその顔をみて眉をしかめる。どうしよう、可愛いぞ。


「んー。よそ見しないで待っててね?」


「大丈夫、待ってます」


「んー、もう一声」


 くすくすと笑う梨花。本当に可愛いから良いのだけれど、明日、当の梶田は覚えているのだろうか。

 覚えていなかったら、教えてあげよう。そして少し、からかってみよう。


 梨花よりひとまわり大きな肩に手を伸ばし、今度は梨花が抱き寄せて、よしよしと髪を撫でて、優しくささやく。


「翔太を、待ってる」


「約束ね」


 首を少し持ち上げると、梶田の腕がするりと梨花を抱きしめた。


 もたれかかる心地よい重さ。肩の力がふっと抜ける。


 あたたかさが嬉しい。愛しさで胸があつい。


 今日がずっと終わらなければ良いのに。


 眠るのももったいないくらい、この瞬間が幸せだ。







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