表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
88/100

第88話

 キャラメルのフレーバーが、ふわっと鼻をくすぐる。


 暖かみのある木のテーブルに、3人分のお茶の準備をして、コナが椅子に腰をかけた。


 コナの店の2階に、キョーコと梨花がやってきての、女子会の日。


 窓の向こうには、運河とゴンドラ。

 そして猫耳、尻尾のある獣人たち。


 もうこの景色にも、驚かなくなった。


「そっかぁ〜。遠距離かぁ」

 コナの柔らかそうな耳が、ピクピクと動く。


「うん……」

 梨花は小さく頷いた。


「さみしいね」


「それで今週は元気がなかったのね〜!」

 ぎゅう、と、キョーコが梨花を抱きしめた。

「ひとりでゆっくり考えられた?」

 今日まで黙っていたことには触れず、優しく問うてくれるキョーコ。


「はい。でも、やっぱり答えはまだ」


「当然よぉ、大きな決断だもん」

 大きな目をさらに大きく開いて、キョーコは続ける。


「梶田っちも、本来なら将来の事はもっとゆっくり話すつもりだったんでしょ、きっと。会社勤めも大変だよね、そういう時は。タイミングを逃すと、まとまるものもまとまらないものね」


 コナが、そっちの世界のお仕事事情には疎いけど、と前置きをして言う。

「梨花は、どうしたい?」


「まずは梶田さんが一度戻ってくるまでに時間はあるから、じっくり考えるよ。でも────」


 と、歯切れ悪く、梨花は言う。

 

「いつかは、と、思っていたけど」


 それはあくまでも、ぼんやりとした将来の話で。


「本当に、今なのかな」


 いざ現実としてやってくると、躊躇してしまう。

 嫌なわけはない。そうではなくて────。


「ひとりぼっちでも、自分だけで立っているのが、唯一のプライドだったのかもしれない」


 自分の気持ちを噛み砕くようにゆっくりと話す梨花の肩を、キョーコが優しく抱いた。


「わかるよぉ!」


「とにかく、いろんな気持ちが入り混じって、混乱してます」


「うんうん」


「いろんな自分がいて当たり前だよ。昨日の自分と今日の自分だって、違うんだよ? 一日分の経験が増えてるんだから」


 尻尾をゆらゆらさせながら、コナが言う。


「ねぇ、梨花。いっぱい悩んで決めたらさ、頑張って選んだ自分を、ちゃんとほめてあげてね」


「────うん」


 梨花の悩み癖を知った上でのコナの言葉が、胸に染み入る。


 もし未来の自分が後悔をしても、過去の自分を否定はしないでおこうと、梨花は思った。


 何度も想像はした。


 仕事を辞めて、知らない土地に行って、自分に何が残るだろう。


 梶田だけを頼りにして生きていくことへの、抵抗がある。

 

 それはまるで、自分が自分じゃなくなってしまうような、怖さ。


 でも、そんな後ろ向きな気持ちが、選んだ道を曇らせてしまわないように。


 それ以上の想像もできない喜びだって、人生には訪れる。


 恐怖から目を逸らす選択ではなく、辛くても歩みたいと強く願えるほうに進めるように。




「肩に力が入りすぎ! 絶対考えすぎてるわよ、梨花ちゃん!」


 ぽん、とキョーコに肩をたたかれて、我に帰る。


「まぁ、急がなくて良いよ。大事なことなんだから」

 と、コナも言う。


「好き同士なんかさ、いつかはおさまるとこにおさまるんだから」

「そうよ、なるようになるもんよ」


 そう、明るく笑ってくれる隣人たちに、梨花は微笑み返した。

「うん」




「────それにねっ、「ひとりぼっち」じゃないでしょう、もうっ!」


「それな」


 先ほどの「ひとりぼっちでも」という、梨花の発言を拾ってきて、キョーコが眉をひそめた。

 それには食い気味にコナも同意する。


「私は梨花ちゃんの決断を、応援する! 私たちがいるから大丈夫よっ! もし梨花ちゃんがシェアハウスから出て行っても、私だって会いに行くからねっ!」


「キョーコさん、ありがとう。私も、いつかそんな時がきても、会いに行きます!」


 そう言ってから、はた、と梨花は気づく。


「もし、シェアハウスから出て行ったら。コナとは、もう会えなくなっちゃうのかな」


 言葉にすると、ざわざわと胸がさわぐ。

 シェアハウスへの道がなくなるということは、大家さんや、コナにも会えなくなるということ。


 いつか会おうねとメールや年賀状では言いながら、実際には何年も会えていない友人や知人も、いる。


 でも、会おうと思えば会えるのと、絶対に会えなくなるのは、意味が違う。


 本当の意味で、世界が違う。


 うーん。と、コナは天井を見て首を傾げた。

 その顔に、さほど深刻な色はない。


「カヨの事を思うと、その可能性は高いねぇ。まぁでも、いずれにしても、その時はいつ来るかわからないよ。梨花だけじゃない。私だって────ある日突然、思いもしない運命が動き出すかもしれないしね」


 そう言って、コナはカラカラと笑う。


「たとえ毎日同じ場所にいるように見えてもさ、私たちは常に変わり続けてるの。だから未来の自分の気持ちは、過去の自分にもわからないんだから。大事なのはさ、その瞬間の自分の気持ちに、ちゃんと耳を傾けてあげて」


 それにね、とコナは続けた。


「私たちの世界の御伽話ではね、みんないつか同じ場所に帰るって言うの。だから、どこに行ったって、お別れじゃないんだ。

 とくにここは港町だからね、一生に一度しか来ない人もいる。どんなに仲良くなっても、二度と会えないってわかってる人もいる。でもみんな、行ってきますって手を振るし、いってらっしゃいって、見送るんだよ」


「────いいね」

 と、キョーコが頷く。


「でしょう? カヨも同じだよ。またこうやって、梨花が新しい縁をつないでくれて、思い出を届けてくれたんだもの。思いは巡るよ」


「そう、そうだったね」

 おばあちゃんが繋げてくれた、コナとの絆。


「そっ。だからさ、会えなくて寂しいと思うなら、それは梨花が私の心に住んでくれた証だから。その気持ちを大切にするだけ」


「ありがとう。素敵な考え。私も、そう思うことにする」

「うん、そうだね」

 梨花が言い、キョーコが頷く。


 コナは照れたように頭をかいた。

「あれ、いいこと言っちゃったかなー! ま、自分が自分である時間は、案外、短いからさ。お互い、頑張ろう」


「うん。約束するね。ありがとう、コナ」


「よしっ! ね、こっちも食べてみてよ。友達の店の新作でさ────」

 そう言って、コナはお茶菓子ののった小皿をテーブルに運んだ。


「ありがとう。いただきます」


 トリュフのような形のスイーツ。


 フォークで割ると、中に詰まっていたのは、白いクリームのような、半解凍のアイスのような────

 まっさらの雪のようにも見えるその中に、小さなオレンジ色の粒。


 それを口に運ぶと、チョコのような甘さと、ミルクの風味が、溶け合って幸せを生む。


「おいしい」


 柑橘の皮のような香りが効いている。


 それは爽やかで、少しだけ苦かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ