第75話
「あっ、友達だ! すぐ戻るね」
コナがローブを置いて立ち上がる。
梨花がコナの向こうを見ると、少し離れた場所で、黒猫耳の女性が手を振っていた。
「うん、行ってらっしゃい」
準備が進むステージのほうをぼんやりと見ながら、キョーコがひとりごとのようにこぼした。
「たとえばね、遠くから見ていれば、その関係に終わりはないじゃない」
「アイドルとファンみたいな距離感で?」
「そそ。でもさ、近くなればなるほど、よくばりになってしまうでしょ」
「わかります、それは」
手が届かないときは感じなかった、生々しい自分の欲深さ。
梨花にも覚えがある。
「仕事としては、手の届かないところに行ってほしいの。私が、足を引っ張りたくない」
そう言うキョーコの真剣な横顔を、梨花は見つめた。
ここのところ、本当に珍しいなと思うのだ。
梨花の記憶の中では、会った時から、キョーコはいつも明るくて、自信にみちあふれてて、前を向いていた。
拗ねた子どものようにひざをかかえるいまの姿は可愛くて、透也にみせてやりたいくらいだ。
彼は、きっと喜ぶだろう。
梨花にとってはキョーコのほうが大事なので、実践はしないけれど。
だからこそ、口くらいは出しておこう。
「キョーコさんは本当に平気なんですか?」
キョーコが形の良い唇を少し尖らせて、上目遣いで梨花をみる。
今日は控えめなメイクだからか、少しあどけなさもあって、なんだか守ってあげたくなる梨花である。
でも、ここは厳しくいくのだ。
「たとえば、お仕事はそうだとしても。プライベートで、透也さんがキョーコさんを諦めて、次の恋に行っても、本当に平気ですか」
キョーコの見開いた目が、恥ずかしそうに瞬いた。
チークの色じゃない赤みが、頬をそめる。
こうありたいと思う自分と、実際の自分は違うものだ。
綺麗な自分でいたくても、泥臭くて自己中なのが人間だ。
それを外に出すのか、内に秘めるのか、選ぶのは個人だけれど。
時には、わがままになるのが相手のためにもなることだってあるのだ。きっと。
それを指摘できるのは、外野にいる友人だろう。
だから、梨花はひきさがらない。
梨花の言葉を噛み締めるような時間をおいて、キョーコは答えた。
「……悔しいけど、腹たつわね」
ぱあっと、梨花は笑った。
「じゃあ、素直になりましょ。透也さんの選ぶ道は、透也さんのものです」
「……うん。あー、でも、今更?!」
と、頭を抱えるキョーコ。
「ジタバタするキョーコさん、可愛いですから。なんでもアリです」
「梨花ちゃん、ひとごとになると強いよね?!」
「それはお互いさまです」
「お待たせー! 何、楽しそうじゃん。────あっ! はじまるよ!」
◇
「メッセージひとつにこんなに悩むの、中学生ぶりよ……」
陰鬱とした気持ちで、ひとりごとを呟く。
花市は楽しかった。
帰宅後の晩ごはんも美味しかった。お土産に購入した食材も使って、今日も梨花がうでをふるってくれた。
いい休日だ。
なのに最高な一日の最後に、こんなにも心臓が痛い。
キョーコは枕に顔を埋めて、ベッドの上でバタ足をした。
半年、彼の誘いをのらりくらりとかわしつづけての現在である。
どんなテンションで文字を綴れば良いのだろうか。
いっそ、電話のほうが良いだろうか。
ちらりと、サイドテーブルの時計をみた。
23時。明日は仕事。彼の予定は知らないけれど。
「びっみょ〜……」
とりあえず、今日送らなくても良いから、内容を考えるだけ考えよう。
スマホを手にとり、メッセージアプリを開く。
運悪く、彼のトークルームを開けた瞬間に、メッセージが飛び込んできた。
────起きてる?
ビクッとしてホームボタンを押す。
すぐにアプリを閉じても後の祭りだ。
既読の文字が、彼の画面にはついているだろう。
「やだもう」
息を整えて返信を打とうとすると、キョーコのスマホが震え出した。
電話────じゃない、ビデオ通話!
「な、なんでよりによって」
あたふたと前髪を留めていたピンをはずして、部屋着のパーカーのフードをかぶる。
これで眉毛はごまかせる。
すっぴんの口もとは袖で隠して、通話ボタンを押した。




