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第72話

「綿貫くんの本配属に、かんぱーい!」


 沙月の音頭に、綿貫が頭を下げた。

「ありがとうございます」


 沙月の馴染みのBAR。

 カウンターに、本日の主役────綿貫を挟んで座る沙月と梨花。

 オリーブをグラスに並べながら、美形マッチョバーテンダーのジンちゃんが「両手に花ね」と呟いた。


「でしょ? ────まさか山田さんが休職とはね。心配だね。梨花ちゃんも、仕事だいぶ増えるんじゃない?」

「大丈夫です、綿貫くんもいままで以上に戦力になってくれてますし。山田さん、体調すぐれないっておっしゃってましたもんね。ゆっくり休んで欲しいです」


「そうね。────綿貫くん、ローテーション中止で支社の配属って急遽決まっちゃったけどさ、本当は他の部署もまわってみたかったんじゃない?」


「まぁ。そういう気持ちも少しだけ。でもじっくり腰を据えて働けるのも良いですね。────せっかくみなさんと仲良くなれたし、すぐ本社に戻るのも寂しかったし」


「ういやつめ〜!」

 沙月が弟にするように、くしゃくしゃと綿貫の髪をかきまぜた。

 もう慣れたものなのか、綿貫は動じない。

「あ、ゴンさん、おかわりください」


「綿貫クンたら、ゴンちゃんで良いのにぃ、はぁい」


「ゴンちゃん、とんぺい焼きも作って♡」


「んもー、沙月ちゃんったら、わがままなんだから。あなたのせいよぅ。うちの店にタレやらソースやら充実してるの」


「ゴンちゃん大好き♡」


「仕方ないわねぇ」

 満更でもない顔で、いそいそと逞しい腰まわりにエプロンをつけるゴンちゃんであった。



          ◇

 


「あっ、キョーコちゃん、5日空いてる?」

 風呂上がりの仙道が、髪を拭きながらカウンター越しに声をかける。

 キッチンにいたキョーコは、コップに牛乳を注ぐ手を止めた。


「空いてるけど、どったの」

 仙道からの誘いとなると────

「ライブ?」


「あー……透也がさ」


 げっ。


 空いていると言ってしまった事をもみけすように、被せ気味に答える。


「あ、空いてなかったわ」

 とぷとぷと、牛乳を注いで、冷蔵庫にしまう。


 仙道は、くすくすと困ったような顔で笑う。

「相変わらずの塩対応だね〜」


「……だって、どこまで本気かわからないのよ。彼」


 キョーコは口を尖らせて、仙道を見上げた。

 べつに、本気で嫌なわけではないのだ。

 それを知っているから、仙道は伝書鳩のような役を請け負ったのだ。

 この優しい同居人は、キョーコが本当に嫌がることは絶対しない。


 仙道のバンドのボーカルである透也は、初対面の時から、キョーコに好意を向けてきた。

 たまにライブに行ったり、仙道もほかのメンバーもまじえて交流しただけなのに、会うたびに、キョーコの事をすっかり気に入っているような発言をする。

 ────でも。


「モテるじゃない。彼」

 わざわざ、奈良と神戸でプチ遠距離になるキョーコを選ばなくても。

 体の距離が心の距離とは言わないが。

 たかが1時間半、されど1時間半、だ。


「誰でもいいわけじゃないよ。────でしょ?」

 それは、キョーコが理想のタイプを語る時の口癖だ。

「透也も一緒だよ」

 そんなふうに言われたら、逃げられないじゃないか。

 

「むぅ。だって、ほら、彼、誰にでも愛想振りまくじゃない」

 そういう商売だと、わかってはいるけれど。

 キョーコはしっかりして自立したように見られがちだけれど、付き合ったら重いのだ。

 パートナーのまわりの女子には嫉妬もするし、自分だけを見ていて欲しい。


「会いたいと思ったら、すぐ会える距離にいられるならまだしも……」

 きっと、透也たちはいずれ東京に行くだろう。

 人気も知名度も上がって、いつかあっちに行ってしまう。

 女性ファンも多いバンドのボーカルと遠距離恋愛だなんて、付き合ったら最後。自分の感情に、振り回される未来しか見えない。


 ────もう半年も、こんなやりとりが続いている。


「まぁね。でも、あいつはパッと見軽いけどさ、ずっと一途なのは、わかってやってよ。実際、他の子のガチな誘いは全部断ってるよ」

 いいながら、仙道はピッチャーからアイスコーヒーをコップに注いだ。今日は徹夜で音作りだろうか。


 新曲はどんな曲だろう。

 仙道の作る曲は、透也の声によく合っている。

 無意識にそんなことを思う自分を、遅ればせながら自覚して、ぐっと、キョーコは言葉に詰まった。


「んー……。いつもみたいに、ライブ。見に行くだけなら」


 元気そうな顔を見て、彼の軽口をあしらって、皆で食事して飲むだけなら。


「あ、いや、海の見えるレストラン貸し切って花火デートしたいらしいけど」


「却下」


 まだ付き合ってもいないのに、プロポーズでもする気か。まったく軽率なのだ、あの美形ボーカルは。


「だよね。さすがにそれはやめとけって言ったんだけど。────でも好きなんでしょ? 透也の顔と声」


 図星を指されて、ぷちん、と、キョーコのなかで何かがキレる音がした。


「だからダメなのよ……! 付き合ったら最後、沼よ沼。浮気されても許す女に落ちぶれちゃいそう」


「友人として弁護させてもらうと、透也は、一途だよ」


「わかってるけどさ……」


 口では誰彼かまわず軽率にほめるけれど、口説かれているのはキョーコだけだと。それは、仙道以外のメンバーからも聞いている。


「ま。キョーコちゃんが本当に嫌なら、無理にとは言わないよ。────そうだ、どんなデートならOKか、相談だけなら? そろそろ、直接連絡するのだけ許可してやってくれない?」


「……だけなら、いいよ」


 

          ◇



「おかえり、梨花ちゃん」


「わっ。キョーコさん」


 キョーコが、珍しく気配を絶ったまま、ソファに転がり丸くなっている。

 背もたれ越しに声をかけられるまで存在に気がつかず、梨花は驚き声を上げた。


「ただいまです。────どうか、しましたか?」


「ううん、ちょっとね」


 キョーコはぼおっと、梨花の顔を見上げてため息をついた。


「人の事は俯瞰できるのになぁー……」


「んん?」


「いや、また話すよ。あれ、これから何か作るの?」


 もそもそと起き上がって、キョーコは梨花の方を見た。梨花の手にはスーパーの袋がある。


「あっ、はい、またシチューですけど」


「と、いうことはっ! 明日、コナちゃんとこいくの?」


「あっ、そうです、そうです」


「私も行く」


「行きましょ行きましょ! キョーコさん、久しぶりじゃないです?」


「うん────。仕事も落ち着いたしね。女子会、したい気分なの」






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