第71話
「浴衣のモニター?」
台所と共有リビングをつなぐカウンターごしに、梨花は聞きかえした。
五味は麦茶を飲みながら頷いた。
「そっす。今度俺の先輩が、若手デザイナー集めて浴衣の展示会イベントするんで。俺も一枚かませてもらってて。展示用のものはもう作り終わってるんだけど、やっぱり実際に着用するものとは違うんだよね。せっかくだからさ、実用的なものも作ってみたくて。よかったら、着心地の感想とかもらいたくて。梨花ちゃんにも一着、試作品として作らせてもらえないかなって」
そんな、梨花に得しかないお話。
「いいんですか……!」
浴衣なんて何年ぶりだろう。
大学の友人と夏祭りに行った時以来じゃないか。
「あっ、でも俺作るだけで、着付けとか手伝いできないけど! ────いや、手伝いされても困るか。ごめんね、モデルさん相手だと普通にデザイナーが着せたりする時もあるからさ」
途中からひとりでツッコミを入れる五味に、梨花はふふっと笑う。
「それは大丈夫! 私、自分で着付けできます!」
「へぇ、すごいっすね」
「おばあちゃんに、教わったので」
「おばあちゃんの技、受け継いでるんすね」
「浴衣の着付けだけですよ? そんな大袈裟なものじゃ」
ころころと梨花が笑うと、
五味はふるふると首を振った。
「どんな技術も、人々の生活から生まれてる。それを繋いでいくことは、大きくても小さくても素敵なことだと思うよ」
「そう……そうかも」
作り手さんが言うと含蓄がある。
「うん」
にっこり笑って、五味は続けた。
「あ、柄の希望あります?」
うーん、としばらく考えたけれど、迷いすぎて決まらなそうだ。
「お任せします」
「了解っす」
◇
曇りだから暑さはマシかなと思ったけれど、蝉の声の響く広場は、しっかり夏の装いだ。
木陰のベンチに座っていても、しっとりと額が汗ばむ。
「花火大会?」
お弁当の卵焼きを飲み込んで、梶田が言った。
「そういえば、去年は会社の屋上で皆で見たよね」
「今年は日曜日だから、一緒に見に行けたらなって。どうでしょうか」
「うん、行こう行こう! 楽しみ」
ところで────と、梶田はスープジャーを持ち上げた。
「そうめんのお弁当って、いいね。ハマりそう」
「スープジャーって万能ですよね。冬はお味噌汁も美味しいし」
「これは、ささみ?」
梶田が、そうめんに添えてあったささみを箸でつまんだ。
「はい。自家製鶏ハムにしたものを、さいて入れました。ミョウガと麺と一緒にどうぞ。つゆは夏野菜をそばつゆで煮てから、冷やしたものです」
「へぇ、そばつゆなんだ」
「そうめんつゆより、少し甘みがあるから。夏野菜と相性いいなと思って」
ふむふむと頷いたあと、梶田はそうめんをつゆにつけて、ちゅるんとすすった。
「んー! うまいっ! しみるよ〜」
ほんとうに美味しそうに食べてくれるから、梨花も嬉しい。
「ささみ、わが家ではもっぱら蒸し焼きにしてたなぁ。この食べ方、新鮮で嬉しい!」
「よかった! ────蒸し焼きですか?」
「うん、塩コショウをして、フライパンで。そんで一口サイズにして、オーロラソースで食べるの。あ、オーロラソースわかる?」
「わかります、ケチャップとマヨネーズですよね」
「そうそう、子供の時は色が変わるのが面白くて、まぜるのが楽しかったな〜」
「わかります! うちはレモン汁いれてました」
「いいね、今度食べてみたい」
「了解です」
梨花はお弁当を持ち上げて、にんじんピクルスをかじった。
小さなお弁当につめたおかずは、卵焼き、いろいろピクルス、茄子をタコキムチと炒めたもの。
夏バテさようならメニューである。
いろいろピクルスはミニトマトと、パプリカ、にんじん、うずらの卵、蒸しエビ。
見た目にも元気が出そうなビタミンカラーにしてみた。
タコキムチはキョーコから韓国土産でもらったもの。
お弁当用に、しっかり加熱が鉄則だ。
トロトロの茄子とタコのコリコリ感がベストマッチで、程よい辛さが元気をくれる。
我ながら、今日のお弁当も美味しい。
「幸せだなぁ」
「そうだね」
「やや、私、口に出てました?」
「うん。ばっちり」
「うわー! 恥ずかしい」
「俺も同じだから、嬉しかったよ」
さらりと言う梶田の顔をちらりと見る。すぐに恥ずかしくなって、梨花はあさってのほうを見た。
「……美味しいものを好きな人と食べる時間って、特別だなって思いました」
そうだよね、と梶田が笑う気配がした。
「しかも俺なんて好きな人が作ってくれたんだよ? あれ、俺の方が幸せじゃないこれ」
「何のマウントですか」
「やばい、ただのバカップルだ! でも良いよね、幸せなんだから」
「ふふ、はい」
ほっこりとした気分で、水筒のお茶をコップに注ぐ梨花。
蝉の音が、パタリと止まった。
────雨が来る?
梨花は厚く立ち込めた雲を見上げて、目を細めた。




