第68話
薄暗いステージの上を、人影が歩くのが見えた。
期待のこもった、ファンの子達の声がとびかう。
ステージ上に、パッと照明があたる。
「こんばんはー! A-CHeRONです!」
明るい金髪の綺麗なお兄さんが、そう言って観客に手を振りながら、マイクスタンドの前に立った。
仙道は向かって右、ギターを持って立っている。
家では気のいいお兄さんだけど、この場で見る仙道はなんというか、艶っぽい魅力をもった男性に見えた。
(────別の人みたい)
梨花はぱちぱちと瞬きをした。
ベースは眼鏡をかけた黒髪のお兄さん。
ドラムは、金髪ベリーショートの女性だった。
「いきなりだけど新曲やります!」
歓声が沸く。
ボーカルの元気な声をトリガーに、仙道がギターを弾きだす。
ベースとドラムも、ギターを追うようにリズムを刻む。
切ない恋に別れを告げて、新しい一歩を踏み出す歌。
曲にのせたボーカルの声は女性のように高音もよく伸びて、とても綺麗だった。
それでいて力強くて、つつみこむように優しい。
イヤホン越しに聴くのとはまた違う。
全身を波のようにつつむ声。
空気の震えが、おしよせる。
(────生の音って、すごい)
気づいたら、梨花の体はリズムをとって揺れていた。
ちらっと綿貫の様子をうかがうと、高くあげた右手を元気にゆらして全身で楽しんでいる。
視界の端に、冨田茉莉花の姿をとらえた。
よかった。具合が悪いわけではなさそうだ。
一心に、ステージを見つめている。
(吸い込まれそうな歌だよね、わかる)
心の中で、冨田に向けて言った。
結果、ただのひとりごとだけど。
このライブが終わったあと、食事にでも誘って、感想をいいあえたら良いのに。
ステージのほうに視線を戻すと、仙道と目があった。彼は梨花たちの方を見て、にこりと笑った。
うっすらメイクもしているのだろうか、妖艶ともいえる口もとに、どきりとする。
「ギターの人だよね。かっこいいね、仙道さん」
梶田の耳打ちに、梨花は頷く。
「本当に。すごいです」
素人の感想だけれど、懐の深いバンドだな、と思った。
アップテンポでキャッチーな曲もあり、
しっとりと聴かせるバラード曲もあり。
力強く響くギターリフに、観客は手を上げて呼応する。
梨花でもわかる。ロック調の曲の盛り上がりは、最高だった。
────あっという間の時間だった。
「ありがとうー!」
そう言って、ステージから去って行くメンバーたち。
すぐに、客席からアンコールと手拍子が始まった。
「アンコールありがとうー!」
戻ってきたのは、ボーカルの彼と仙道。
仙道の手には、小ぶりな笛らしきもの。
「何だろ」
「笛?」
梨花と梶田は顔を見合わせた。
ふっふっふと、綿貫が得意げに教えてくれる。
「龍笛っていうらしいです。仙道さん、アンコールでたまに披露してくれるんですよ。やばいですよ」
「なるほど」
梨花は頷いた。
どうやばいのかは、見て聴いて感じろということかな。
ファンの子達のあいだでは暗黙の了解なのだろうか。
ホールに満ちていたざわめきと歓声が、シンと消えた。
仙道が、横に構えた笛にくちびるを添えた。
よくのびる、しなやかな音がこぼれだす。
笛の音色に魅了されたように立ちすくんだままステージを見守る人々。そのあいだを、ひょこひょこと動くものが見えた。
(────あっ!)
見間違いじゃなかった、やっぱりいたんだ!
ふわふわの三角耳、茶色い体躯。
あれ、でも猫にしたら顔がシャープだろうか。
尻尾も、なんだかふさふさしているような。
梨花は、隣の梶田の顔をこっそりと見た。
龍笛の演奏に耳を傾けている。だけだ。変わりはない。
ああ、やっぱり見えていないのだ。梨花にしか。
(どうしよう)
茶色い獣はひょこひょこと動きながら、ステージのほうに近づいているようだ。
梨花が獣と仙道を見比べていると、仙道が梨花の動揺に気付いたようだった。
そして、仙道は次に獣のことを目で追った。
もう一度梨花に目線を戻し、片目を瞑った。
いいよ、任せて。そう言われた、気がした。
ボーカルの彼が、そっとマイクに手を添えた。
今日、いちばんの高音がのびた。
女性のような優しい声が響く。
笛の音と絡みつくように、ホールの中をうねりとなって流れていく。
鳥肌がたった。
茶色い獣は、ステージの前で立ち止まる。じっとステージを見た後、ひょいと飛び乗った。
(あっ)
大丈夫だろうか、という梨花の心配は杞憂だった。
獣は仙道の足に、すり、と頬擦りしたあと、
ボーカルの彼の足元に伏せをした。