第67話
「ありがとー! またねー!」
「最後まで楽しんでって!」
観客の惜しむ声に手を振り声をかけながら、アンコールまで演奏しきった彼らはステージのそでにはけていった。
会場の照明がつく。
梨花は、つなぎっぱなしだった手を自分から離した。
「もりあがってたね」
と、笑う梶田。
「楽しかったです」
と、梨花も笑い返す。
「次が仙道さんのバンドですね────あ、そうだ、ドリンク」
綿貫たちと出会ったあと、交換するのをすっかり忘れていた。
梨花がバーカウンターの方を見ると、冨田茉莉花の声が肩ごしに聞こえた。
「私も行きます」
にこりと梨花に笑いかける。
「冨田さん。じゃ皆でいきましょっか」
結局、4人揃ってカウンターに向かった。
ライブ前に交換していた客が多いのか、カウンター前の列に並ぶ人は思ったよりも少なかった。
綿貫が楽しそうに言う。
「いまのバンドも、若さが弾けててよかったですね────だけじゃなくて演奏上手いし、声も良いし」
自分も若者じゃないかと、梨花は笑ってしまった。
「楽しかったね。でも綿貫くん、感想がおじさんっぽい」
「うっそでしょ。梨花さん。一周まわって若さ全開っすよ。────あ、ドリンクチケットください。まとめて頼むんで。みなさん、何にします?」
「お、ありがと。俺はコーラかな」
「私は────ジンジャーエールでお願いします」
「えーと。烏龍茶、お願い」
「お姉さん、コーラとジンジャー1つずつ、烏龍茶ふたつ、お願いします」
「はーい。チケットいただきまーす」
大学生くらいだろうか、スタッフの目印になるナイロンジャケットを着た女の子が、手慣れた様子で、プラカップに飲み物を注ぐ。
背中でゆらゆら揺れる長いポニーテールは、先の方だけがピンク色だ。
「お先にコーラとジンジャーエールでぇす」
礼を言いながら、梶田と冨田がそれぞれ受け取る。
「烏龍茶ふたつ、お待たせしましたぁ」
綿貫がふたつ受け取って、梨花にさし出す。
「はい、梨花さん」
「あ、ありがと」
梨花はプラカップを受け取って、乾いた喉を潤す。
何気なくホールの中を見渡して、梨花はあいているほうの手で目をこすった。ありえない見間違いをした気がして。
グループで固まって談笑する女の子たち、その足元に────
────猫?
ふわふわと揺れる、茶色い三角の耳が見えたような。
(……いやいや)
そんなわけない、ライブハウスの中なのだし。
さりげなく様子を伺っても、他の客は気にもとめていないようだし。
(うん、見間違いだな。疲れているのかも)
定時あがりを死守するために、今日は休憩時間も惜しんで仕事していたし────眼精疲労だろう。
「梨花さん? どうかした?」
気遣うような梶田の声に、梨花は慌てて何でもないと手を振った。
「いえ、大丈夫です」
「そう? ならいいけど」
「いよいよかー。今日のセトリどんなかな────」
と、綿貫。
「本当に好きなんだね」
梶田が綿貫に声をかけた。
綿貫のうしろに、わくわくという言葉がとんでいてもおかしくない。
そんな期待っぷりに、少し笑ってしまう。仙道の同居人としては誇らしい気分になる梨花だった。
「セトリ?」
冨田が問うと、綿貫が答えた。
「セットリスト。曲順の一覧表です」
「ああ、なるほど」
「綿貫くんは、あっちに行かなくて良いの?」
ステージ前に、ぞろぞろと人が戻ってきていた。
「行きたいのはやまやまですけど……! 今日はこの格好ですからね。やめときます」
綿貫はスーツの襟をつまんで言った。
「そだね。私もクッキー割れたら嫌だしなぁ」
と、梨花は手に持った差し入れの紙袋を見た。
何より、ファンとしてこの場に来ている人たちに前列は譲ろうと思った。
いうなれば梨花は、同居人の勇姿を見に来たのだ。
「あっ、クッキー。こないだの、俺も食べたかったな。────なんて言ったら、怒られますかね」
と、綿貫。
「ん? ああ、そこまで心が狭くないよ」
恋人の部下にちらと見られて、梶田は苦笑した。
会話の意味を察して、梨花はむずがゆい気持ちを覚えた。なんだか少し居心地が悪い。
「あっ」
冨田の顔色がサッと変わる。
「────ちょっと、ごめんなさい」
そう言って、ホールから出て行ってしまった。
「お手洗いかな?」
呑気に言う綿貫。
そこは、梶田と梨花の関係を察して────ではないのだろうか。
追いかけたほうが良いのか、しかし恋敵に追いかけられたとて嬉しくはないだろう。
梨花が逡巡しているうちに、ホールの照明が落ちた。
わあっ! と、空間がふたたび歓声に満たされる。