第66話
会場のライブハウスは地下にあった。
梨花は梶田の背中を追って、狭い階段を降りる。
今日は動きやすいよう、パンツスタイルにスニーカーで。
ぐるりと見渡したコンクリートの階段の壁には、所狭しとライブや楽曲宣伝のチラシがはられていた。
「再入場の時はこれを見せてくださいね。こちらはワンドリンク無料のチケットになりまぁす」
ピンクと金色半分半分の髪色をしたお姉さんが、チケットをもぎってくれる。
入場券を渡して紙製のリストバンドを付けてもらい、ドリンクのチケットとして半券をもらった。
開演まではまだ少し時間があるけれど、すでにステージの前にはたくさんの人がひしめいていた。
年齢層は若めだけれど、梨花たちのように仕事帰りの雰囲気の人もちらほらと。
「ドリンク先に変えてくる? 開演まであと10分くらいあるよね」
と、梶田。
梨花はカウンターの方を見て頷いた。
「そうですね、終わってからは楽屋に挨拶にも行きたいですし────」
「梨花さん? と、梶田さん」
聞き覚えのある声に振り向くと、綿貫が立っていた。その隣に目線を滑らせ、梨花は言う。
「あれ、綿貫くん。と────冨田さん」
「わー。偶然ですね」
「……こんばんは」
「珍しい組み合わせだね」
と、梶田。
「あ、冨田さんから偶然チケットいただいて。俺、A-CHeRONファンなんで」
「えー! そうなの? 私、仙道さんのお友達で」
「仙道さんって、ギターの? うっそ、まじすか」
あっ、という顔をして、綿貫は冨田茉莉花を振り返った。
「冨田さんのチケットも、梨花さん絡みで?」
「はい。偶然、おふたりでいらっしゃる時にお会いして」
「そうそう、一昨日お茶してたときにね。あとで、仙道さんに紹介するね」
「うわー、嬉しい。でも緊張する」
綿貫は本当に嬉しそうだ。
「はは。仙道さん、いい人だよ。────冨田さんも、来てくれてありがとう。仙道さん、喜ぶと思う」
「いえ……綿貫さんに教えてもらったMVみたら、ちょっと気になっただけなんで」
「見てみたら、やっぱ、よかったっしょ?」
「悪くはなかったです。……『暁』とか、歌声もだけどリズム隊の音がすごく効いてて────」
「へぇ。俺も昨日少し聴いたんだけど、その曲はまだ聴いてないな」
梶田が言うと、冨田茉莉花はその曲を強めにすすめた。
「ぜひ聴いてください。映像も良かったです」
そう言ってから、その様子をにこにこと見ていた綿貫に、じとっとした目線を送る。
「なんですか」
「冨田さん、そっけなさそうに見えて、実はめっちゃ聴いてくれてて嬉しいなと思って。これでもうアケラー仲間だね」
「なんですかそのネーミングセンス。違いますけど、おすすめ曲はまた教えてください」
ぶっきらぼうな言い方が、会社での冨田茉莉花とは一線を画していて、でもこっちのほうが、なんだか自然な様子に見えた。少なくとも、梨花の目には。
「えー? 好きになったくせにー。素直じゃないなぁ」
「……綿貫さんに言われたくありません」
おどける綿貫を流した後、ぽそっとこぼした冨田茉莉花の呟きは、綿貫の耳には届かなかった。
客席の照明が落ちて、前方の客たちが、わっと歓声を上げながら、ステージの方に密集する。
スピーカーからは、優しいギターのメロディが流れ始めた。登場前の曲だろうか。切ないような、あたたかいような、ぽろぽろとこぼれるギターの音を、梨花は好ましく思った。
パッと、照明がステージにあたる。
いっそう大きな歓声があがる。
仙道の姿は、ない。
お辞儀をしたり手を振ったりしながら、出てきたのは、大学生くらいの男の子たち。4人組だった。
最初はロックテイストのナンバーから始まった。彼らのオリジナル曲らしい。
ボーカルの煽りに、前列でリズムに乗る若者たちが手を挙げて応える。
梨花は眩しさに目を細めた。
熱気というか、熱量というか、エネルギーの応酬だ。
学生時代、ライブ好きな友人が、ライブハウスの空間にいると、より生きている感じがすると言っていた。ふとそんな事を思い出す梨花である。
────ジャン!
リズム隊がタイミングを合わせてフィニッシュする。
後方から拍手をしながら、ちらりと隣の梶田の横顔を見る。
「ん?」
と、すぐに見つかってしまい、ふるふると首を振った。
何でもないのだ。
何でもなくても当然のように隣にいる事が、ただただ嬉しいだけの話だ。
そっと、梶田の手が梨花の右手を握った。
梨花も軽く握り返す。
そのまま、2曲目が始まった。
そこから何曲かは、梨花も知っているメジャーなバンドの人気曲のコピーだった。
何度も何度も聞いたことがある。けれど。
叶わない恋の想いや、出会えた喜びを描いた歌詞に、こんなに引き込まれたのは、今日が初めてだったかもしれない。