第65話
「ライブ?」
梨花は頷いて、梶田に説明する。
ふたりはダイニングテーブルに向かいあって座っていた。
テーブルには、梨花の持ってきた料理が並んでいる。
「そうなんです。以前、京都のお店を教えてくれた、仙道さんって人のバンドのなんですけど────。普段は関西で活動されてるんだけど、昨日からライブのために東京に来てて。昨日用事があったのでついでにお茶したら、明日のライブのチケットをくれまして。よかったら、梶田さんと。って」
梶田は破顔して言った。
「ああ! 覚えてるよ、そっか! いいね、せっかくだから行ってみたいな。梨花さんのお友達にも挨拶したいし」
誘っておいて何ですけど、と、梨花は問う。
「お疲れじゃないですか?」
海外出張の後だ。無理はしてほしくない。
「明日は休みだしね。飛行機の中でもしっかり寝たし。そもそも、梨花さんの料理で、元気回復したよ」
と言って、梶田は手に持ったブルスケッタをひょいと上げた。
確かに、顔色も良い。その表情には疲れも見えない。
ほっとして、梨花も笑った。
「じゃあ、お願いします」
「ライブハウスとかいつぶりだろー。楽しみだな」
そういう事になった。
明日は、梨花は朝から仕事がある。
名残惜しかったけれど、食事をとったあと、すぐに帰宅することにした。
玄関で靴を履いて、梶田を振り返る。
「お邪魔しました」
「お料理ありがとう。クッキーも。美味しかった! ごちそうさま」
にっこりと笑ってから、梶田はじっと梨花の目を見た。
「あ。ちょっと待って。忘れもの」
そう言って、のばした手で梨花の髪に触れる。
梶田の体がふっと近づいたかと思うと、梨花の額に、前髪越しに、そっと優しくキスをされた。
そのまま梨花の肩はすっぽりと梶田の腕の中に収まってしまった。
「……うわ、我ながら恥ずかしい」
いま顔見ないでね、と梶田はいうけれど、そんなのお互いさまだ。抱きすくめられた梨花の顔も、大変な赤さだろう。
ひと呼吸おいてから、そっと離れて、梶田は自分の袖で梨花の額をこしこしと拭った。
「これでよし」
その姿がなんだか可愛くて、梨花は笑ってしまった。
「ファンデーション、ついちゃいますよ」
「大丈夫、部屋着だから」
まだ少し赤い顔のまま、鍵をとってくる、と梶田は言った。
「帰りはせめて駅まで送って行くからね。待ってて。そこは譲らない」
「ありがとうございます」
────────
────
──
駅についた。
ついてしまった。
使い古された言葉だけれど、楽しい時間は本当に早く過ぎ去ってしまう。
「明日────」
梶田の顔を見上げて、ゆっくりと言う。
「楽しみにしてます」
「うん、また明日。────あー、やっぱり会社いこうかな」
「ええ?」
「梨花さんに、早く会いたい」
「私もですけど、ちゃんと休んでください。心配するので」
「承知しました」
「おやすみなさい」
「おやすみ。気をつけて」
梨花が見えなくなるまで、見送るつもりだろうか。
改札に入ってからも、梨花が振り返るたびに、梶田はにこにこと手を振った。
◇
明日の朝食の下準備をしながら、梨花は思いを巡らせていた。
(明日のライブ、何か、差し入れしようかな。でも、仙道さんだけならともかく、バンドメンバーさんは初対面なのよね。いきなり手作りのお菓子っていうのも、どうなのかな)
「うーん」
(いっそ花束……?)
子供の発表会じゃないし。ライブ会場じゃ、邪魔かなぁ。
どうしたものかと迷っていると、仙道からメッセージが入った。
『りかちゃん! 明日なんでもいいんだけど、お菓子作ってくれる事ってできる?』
「お。グッドタイミング。クッキー生地なら、冷凍してあるから焼くだけだけど……。焼き菓子だから、常温での持ち歩きも問題ないし……」
その旨を返信すると、すぐに仙道から反応があった。
『ありがとう! 小さな女の子にあげたいんだよね』
(じゃあ、いくつかアイシングしましょうか。簡単なものなら────と)
『1、2枚でも、そういう特別なものがあるとめっちゃ助かる!』
またまたすぐに、そう返ってきた。
仙道からの、急なお願いも珍しい。東京にいる、知り合いのお子さんでも見にくるのだろうか。
「女の子か────」
小鳥やハートや、お花の模様も良いかも。
ラッピングもして、リボンをつけて。
この間100均で買った、水色の袋がサイズ的にもちょうど良い。
考え始めるとどんどんイメージが湧いてきてしまって、楽しくなってきた。
凝りたい。どうせなら凝りたい。
明日も朝から仕事なのが、心底悔やまれた。