第64話
「行き────ます」
と、根負けしたように、冨田茉莉花は言った。
綿貫はにっこり笑って、手を叩いた。
「決まり! とりあえずレジ済まします? 俺も買い物してきますね。終わったら、外で待っててください」
「あ、はい」
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「お待たせしました。あ、気は変わってないです?」
なんだか綿貫が勢いで押し切ったみたいになったので、一応確認を入れる。
冨田茉莉花がうなずいたので、綿貫は次のステップに進む。
「よし! じゃ連絡先交換しましょ。聴いとくべき曲の動画の一覧送っとくんで!」
スマホを出して、メッセージアプリを開いた。
「え? あ、はい」
こうなると綿貫のペースだ。
冨田茉莉花は言われるがまま、スマホを操作している。
(こうしてると、性格キツい子には見えないんだけどな)
綿貫は違和感の正体を探るように記憶をたぐる。
梨花に対する態度だけだ。なんだか引っかかるのは。
さっきの「げぇ」は、綿貫の登場のしかたも悪かったので、聞かなかったことにする。
「よし、じゃ明日よろしくお願いします」
スマホをしまって、綿貫は冨田茉莉花に笑いかけた。
久しぶりのライブだ。明日がとても楽しみになっている。
同じ職場とはいえ、仕事で絡みのない二人が一緒に帰ると、ややこしい勘ぐりをしてくる人間もいそうなので────。
「当日は現地集合で良いかな?」
綿貫がそう言うと、冨田茉莉花は頷いた。
その目には、会社で見る彼女のような自信と目力が戻っていた。
「私のほうが出先から直帰だから、着くの早そうですね。────近くで、待ってます」
────待ってます
(ん?)
彼女の言葉が、綿貫の記憶の中の誰かと重なった。
(誰だっけ)
元カノとか友人とかではなく、もっと通りすがりの誰かのような────。
(ああ、ギャラリーかな)
学生時代、綿貫は地元ではちょっと有名な陸上選手だった。
自慢ではないが、綿貫目当てで観にくる女子もいた。
告白も、時々された。
綿貫は背も高く顔もそこそこで目立つから、付き合えたら楽しそう、その程度のノリの子が多かったと思うけれど。
きっと中には、真剣な子もいたのだろう。
自分の事で精一杯で、当時はすべて断っていたけれど。
その記憶に、重なったのだろうか。
(過去の栄光だな)
陸上もやめたいまじゃ、ただの一会社員。人前では平気なフリして、心の中では失恋を引きずる女々しい男だ。
綿貫は自嘲するように笑った。冨田茉莉花にも失礼だ。
彼女の想い人は、おそらく梶田だろうから。
◇
予定の時間より、少し早く着いてしまった。
梶田が住むマンションの最寄り駅。
もう少し時間をつぶして、10分くらいだったら早く行っても良いかな。いや、せめて5分?
梨花はショーウィンドウに映った姿を見て、なんだかそわそわ落ちつかない自分に苦笑した。
年齢と仕事のスキルだけは積み重ねたけれど、恋愛スキルはゲームにたとえるなら、初期も初期の村人レベルだ。
落ち着けというほうが無理である。
せめてもの応援と、シェアハウスのメンバーからもらったものを身につけた。
今日の服装は、五味デザインの山吹色のコクーンシルエットのスカート。
今日はそれに、手持ちの白Tシャツをインしている。
スカートがハイウエストのデザインなので、実際より腰の位置が高く見えた。
キョーコにもらった、良い香りのヘアオイルもつけてきた。
今日はいまから、タッパーに入れたお料理とクッキーを持って、梶田のお部屋にお邪魔する予定になっていた。
(明日は私は仕事だし、あまり遅くならないようにはするけれど)
なんだか久しぶりにゆっくり会える時間な気がして、早く帰るのももったいない。
ゆっくり休んでほしい気持ちと、長く一緒にいたい気持ちと。
どちらも梨花の本音だった。
少し、駅前の高級食材のお店を見て回ったりして、時間を潰した。
(さて、そろそろいいかな)
迎えに来ると言った梶田の申し出を断ったのは梨花である。
迷子にならないよう、スマホのマップを頼りにして。
いざ、ゆかん。
◇
「梨花さん、ティーソーダで良い?」
「はいっ」
カウンターをはさんだキッチンからは、カラカランという氷の音と、しゅわしゅわという炭酸の音が、続いて聞こえた。
「お待たせ。────駅から迷わなかった?」
チェリー材のダイニングテーブルに、梶田がティーソーダの入ったグラスを置いた。
「大丈夫です。思ったより近かったです。あ、持ってきたお料理、並べちゃいましょうか」
「いっぱい! ありがとう。梨花さんの料理が恋しかったよ────」
家だからだろうか、久しぶりだからだろうか、梶田の少し甘えるような言い方が気恥ずかしい。
「たくさんすぎたかも。今日食べないものは、すぐ冷蔵庫に入れたほうが良いかも知れません」
「明日の分もある? 嬉しい」
タッパーを並べて、子供のように笑う。
少し日に焼けたこと以外、そして少しはしゃいでいること以外、いつもの彼だ。
梨花はなんだか少し、ホッとした。
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