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第51話

「今日から配属されました、綿貫です! よろしくお願いします」


 皆の前で元気に礼をする青年に歓迎の拍手を送りながら、ああ、ゴールデンレトリバーだなと、梨花は思った。


 背が高くて、茶色がかった髪はふわふわとカールして、柔らかそうだ。


 肌も白いし、瞳の虹彩の色も薄い。


 何よりにこにこと人懐っこそうな表情が、レトリバーを想起させた。


「新卒の研修をかねたローテーションで、今月はうちの課だ。嘉洋、頼むな」


「はい」


 ずっとうちの課にいるわけではない。よって、仕事の手順まで覚える必要はない。

 ただし、仕事内容の要点はつかんでいってほしい。

 彼がどの部署で働くにしても、他部署の仕事内容を理解しているかしていないかの差は大きい。お互いに。

 そういうことだ。

 課長の意を汲んで、梨花は頷いた。


 綿貫の前に歩を進め、右手を出す。


「嘉洋です。よろしくね。実務を通して仕事の流れを見ていってらうから、しばらくは私の仕事に一緒についてください」


「よろしくお願いします」


 綿貫はそう言って、大きな手で梨花の手を握り返した。

 尻尾があれば、ぶんぶんと振っていそうな笑顔だった。




「じゃあさっそくーー」


 綿貫と一緒に、本日のスケジュールを確認しようとしたところで、背後から声をかけられた。


「あ、り……かようさん」


 振り向くと、梶田がいた。

 不意打ちの出現に心拍があがるけれど、それを誰にも悟られたくなくて、平静を装う。

 ここはにこりと笑って、会社用の挨拶だ。


「おはようございます」


「おはよう。お取り込み中のところ、ごめんね。ちょっと、嘉洋さんをお借りしても良いかな?」


 後半は、綿貫への声かけだった。


「どうぞどうぞ、メールチェックでもしてますので」


「ごめんね、綿貫くん。ちょっと待ってて」


 梨花は席をたち、梶田について通路に移動した。


「この間の企画書のデータなんだけどーー」


「あ、はい」


「深くまとまってて、よかったよ。ついでに付けてくれた参考データも役立った。クライアントにも好評だったよ」


「よかったです。それでーー」


 じっと、梶田の顔を見た。何かいつもと違う感じがするのは、気のせいだろうか。


「うん?」


「何か、別にお話があったのかなって」


「あ〜、うん。それね。うん」


「?」


 歯切れの悪い梶田に、首を傾げる。


「コーヒー」


 と、梶田はぽそりと言った。


「コーヒー。入れましょうか?」


 飲みたいのだろうか。


「や、じゃなくて、コーヒーの美味しいお店見つけたから、今度の週末行きませんか。ほら、モーニング部の活動として」


「モーニング部ですね。了解です」


 くすくすと梨花は笑った。部員は今のところふたりだけだ。


 しかし、本当にそれだけだったのだろうか。

 さっきの梶田の表情は、もっと何か言いたそうに見えたのだけれど。


(困ったような、相談があるような、そんな雰囲気を感じたけど……本人が切り出さないのに根掘り葉掘り聞くのも無粋よね)


「あ、そうだ、今日はお弁当いらなかったですよね?」


「うん、取引先との会食だからーー」


 そう、残念そうに笑ってくれることを、嬉しく思う。

 梨花は手を振って、仕事に戻ることを示した。


「じゃあ、また明日」


「うん、ありがとう」


 去り際の梶田の顔に、やはりいつもと違う色を感じて、梨花はもう一度、心の中で首を傾げた。


 ……………………

 ………………

 …………



「いまの……営業部の梶田さんですよね」


 席に戻ると、綿貫がそう聞いてきた。


「そうね」


 さすが梶田、顔と名前が売れている。


「いつまでも支社にいるのが不思議な成績だって、本社で噂を聞きました」


「……そう」


 そうなのだ。


 トップクラスの成績を上げる人材は、本社に所属するのが一般的というのがこの会社の社風である。

 たとえ本人の要望があったとしても、いつまでも支社に居続けられるわけではない。それが会社組織というものだ。

 いつか、本社に戻ってしまうのだろうなと、そんな気は梨花もしていた。


 綿貫が、すっと梨花に顔を近づけた。

 小さな声で、内緒話のように言う。


「嘉洋さんと、梶田さんは、お付き合いされているんですか?」


「まさか! めっっそうもない! ありえないです!」


 若者のオブラートにつつまない無遠慮な問いかけを、梨花は慌てて否定した。大きな声になりそうなところを、ぐっとこらえて。


 小声とはいえ、誰が聞いているかもしれないのに、やめてほしい。


「そうですか? お似合いだと思ったんですけど」


「違うから……」


 私が、勝手に意識しているだけで。

 そんな事、いえないけれど。


「さ、仕事しましょ!」


「なんかすみません、変なこと聞いて。あ、そうだ、梨花さん。俺このへんのお店知りたいんで、よかったらランチご一緒してくださいよ」


「いいですよー。まずはこれ、やりましょうね」


 軽く返事して、今日使う資料を綿貫の前にどさっと置いた。


 とにかくこの話題を終わらせよう。

 ランチは、穴場の店に行こう。

 会社の人と、会わなそうな。


 まぁ、でも今日は、お弁当もない事だし。

 もともと、外に出て食べるつもりだったのだ。


 梶田とお弁当を食べはじめてから、ひとりの日はお弁当を作らなくなった。


 ひとりで食べるお弁当は、何だか味気なく思えてしまうから。


(……あれ? 私、綿貫くんに下の名前教えたっけ……?)


 さっき、さりげなく、下の名前で呼ばれたような。気のせい、だろうか。


 企画部の文書は他部署もよく目にするから、どこかで梨花の名前を見たのかもしれない。


 嘉洋という姓は、珍しいし。


(まぁ、いいか)


 穴場だけれど美味しいランチを提供してくれるお気に入りのお店を頭の片隅に思い浮かべながらも、梨花の意識は仕事に没頭していった。

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