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第50話

「かっじったっ君ー」


 背中越しに投げられた、なんだか含みのある声かけに、梶田は胡散臭そうな表情を隠しもせず、振り向いた。


「何その顔」


 やはり。声の主は、駿河沙月だ。


「いえ。なんだか面白そうな顔をされてるなって」


「ふふ。わかってるじゃない。一杯いくわよ」


「え。俺、今日はコミック誌のフラゲ日で」


「帰りにコンビニ寄れば良いでしょ。善は急げよ」


(そこに善はあります?)


 口に出して言えないあたり、何を言っても許されるような愛されキャラには、なりきれない。


 何を演じるにも、中途半端な自分。


 まわりが言うような営業の星なんて、お笑いも良いとこだ。


「駅前のおでん屋台で良いわねー、お姉さんが奢ってあげるわー」


 ぱっと肩を掴まれ、ぐいぐいと前に進む。


「え、ちょ、沙月さ」


 腕は細いのに、力は強い。


 どうやら梶田に、拒否権は無いらしい。


 追い立てられるように、梶田は沙月と夜の街に足を進める。




 おでん屋台のカウンターにて。


「いや〜。仕事終わりの酒は沁みるね」


 と、沙月は2杯目のグラスを空けた。


「ここ穴場ですよね。何頼んでも美味しいし」


「ね。あ、そうだ。渡すの忘れてた。はい、お土産」


 と、沙月が小さな紙袋を差し出した。


 梶田はそれを受け取り、中身を確認する。


「縁結び……」


 縁結びと銘打った飴玉が、入っていた。


「必要でしょ?」


 にまにまと笑う沙月。


 日本酒二杯で酔う先輩ではないので、完全にシラフだろう。


 他に、客はいない。


 店主は黙々と、熱燗をこしらえている。


 梶田は少し口を尖らせて、礼を言う。


「面白がってません? ありがたく、いただきますけども」


 飴を鞄にしまっていると、沙月の前に徳利とおちょこがスッと置かれた。


「あ、注ぎます」


「いいのよ、自分のペースでやるのがいいの」


 やってきた熱燗を手酌で注ぎながら、沙月は言う。


「いやー、焚き付けた人間の役割として、経過報告は聞いときたいと思ってね。どうよ、その後」


「順調に仲を深めてます」


「おっ、告白のひとつもしたの?」


「いいえぇ」


 人がずっと踏み出せない一歩を、そんなに簡単に言わないでほしいと思う、梶田である。


「じゃあ何」


「俺」


「うん」


「俺って言うようになりました、梨花さんの前で」


「中学生かよ」


 沙月のツッコミに、ぐうの音も出ない。


「だってね? 梨花さん、俺のばあちゃんとも仲良いんですよ」


「おっ、いいじゃん、おばあちゃん公認」


「告白なんてして、そんなつもりはなかったとか言われて気まずくなったら、俺が立ち直れないだけじゃなく、ばあちゃんまで梨花さんに会えなくなって悲しむじゃないですか……」


「何で玉砕前提なのよ。おばあちゃんに梨花ちゃんの花嫁姿を見せてあげたら良いじゃない」


「簡単にいいますけどね……! 梨花さんの鈍さ、わかってます……?!」


「突然のディス」


「もちろん、そこも可愛いポイントですけどね?!」


「かと思ったら、のろけかよ」



 ……………………

 ………………

 …………



「わかった。結局は、自信がないのよね」


 沙月のお悩み相談。

 その手に握られた彼女の相棒は、熱燗からウイスキーに移行していた。


「似たもの同士なのよ、あんたら」


 さっきからチェイサー用に頼んだ水ばかり飲んでいるくせに、沙月よりもよっぽど酔っぱらった顔をした梶田が、カウンターに突っ伏して言った。


「俺だって、前向きに考えているんです。『一生懸命に自分にできることをやっていれば、明日はきっと素晴らしいものになる』って、梨花さんもこの間言っていたしーー」


「良い事言うじゃない、さすが私の梨花ちゃん」


「沙月さんのじゃないですからね?!」


「そこはツッコむのね」


「俺のでもないですけどね……。とりあえず地道に美味しい食べ物で釣り……誘い出します」


「釣りって言ったわね、いま」


「たとえですよ、たとえ……そして徐々に距離を詰めて、大切につかまえます」


 そう言って梶田は、すうすうという穏やかな寝息しか発しなくなった。


「梨花ちゃんは希少生物か何かかしら? ーーあぁ、梶田君、お酒弱かったわね……忘れてたわ」


「タクシー呼びますかい?」


 大将が、ちらりと梶田を見て言った。


「ごめんね、大将。迷惑かけるわね。私、まだ飲み足りないのよ。もうちょっと飲んで食べてからね」


「他にお客さんもいません、構いませんよ」


「ありがとう。よし、熱燗に戻ろうかな。あと、がんもどき、大根とたまごもちょうだい!」


「はいよ」



          ◇



「いってぇ〜……」


 飲みすぎた。 


 久しぶりにやってしまった。


 洗面所の棚から頭痛薬を取り出し、飲む。


 顔を洗って、歯を磨いたら、少しさっぱりとした。


 さて、昨晩はどうやって帰ってきたのか、記憶もない。


 こんな事は久しぶりだ。


 会社の飲み会では、喋りで盛り上げる事により、飲むことをなるべく回避していたから。


 おかげでずいぶんと長い間、梶田は賑やかな場を盛り上げるのが好きなのだと、まわりから勘違いをされているけれど。


 梶田は、圧倒的にひとりの時間が好きだ。


 恋人が出来ても四六時中一緒にいたいと思ったことはなかったし、あれこれ詮索されるのが面倒ですらあった。


 でも皆それを、うまく折り合いをつけてやっている。


 それが下手な自分が悪い。そう思っていた。


 でも、違うかったようだ。


 ひとりの時間と同じような自然さで、時間を共有できる人がいる。


 ひとりの時間が物足りなくなる寂しさを、教えてくれた人がいる。


 そんな相手に、出会っていなかっただけなのだ。


 そして、今の自分はというと。


 出会ってしまった。


 彼女と出会う前の自分には、もう戻れない。


 あなたの隣にいたいのだと、伝えたとして。


 その結果、またひとりに戻るのだとしても。


 その結果、新しい関係が、始まるとしても。


 どんな形にせよ、変わっていく。


 どう転ぶとて、そこには覚悟が必要だ。




 コーヒーでも淹れて飲もうか。


 ダイニングに移動すると、机の上には沙月からのお土産が置いてあった。


 白い薄紙をはがして、黄金色の飴を取り出し、口に含む。


「あっま……」


 電気ケトルがポコポコと音を立てる。


 コーヒー豆の匂い。

 

 窓の外からは、学校へ向かう近所の子供たちの声が聞こえる。


 いつもの日常。


 いつもと違う、甘い味。


 いつもと違う感情は、日常に変わっていく。


 梶田の中に、彼女はもう住み着いてしまったのだ。

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