第48話
「なぁ、まかないだ。蕎麦でも食ってけ」
梨花に、みなまで言わせないつもりだろうか。
コハクはおもむろに鍋を出して、湯を沸かしはじめた。
どこからともなく出した蕎麦の束を、さっと湯に入れる。
茹でている間に、別の鍋でつゆの準備をしてーー具材の準備をしてーー。
たこ焼きをぐしゃぐしゃにしたのと、本当に同一人物だろうか。
疑わしいくらい、手際が良い。
茹で上がった蕎麦をちゃっちゃと湯切りして、漆塗りの麺鉢に入れる。
沸騰する直前でとめたつゆを、その上からなみなみと注ぎ、細かく刻み炒めた白ネギと薄切り肉の具材を、そっとのせる。
最後に、具材の真ん中にくぼみを作って、卵黄をぽとりとのせた。
そして、箸を乗せて、梨花に差し出した。
梨花は、そおっと、両手で受け取る。
ああ、美味しい出汁の匂い。
あったかい湯気が、鼻腔をくすぐる。
「……いただきます」
まずは、ひとくち。
こくりと、つゆを飲んだ。
美味しい。
かつおのダシが、とても好みだ。
ほんのり甘い、つゆの味。
そして、主役のお蕎麦。コシのあるお蕎麦だ。
そば粉のかおりが、強い。
具材もつゆに合っていて、美味しい。
とろりと溶けた卵黄がまた、蕎麦に絡んで、まろやかなうまみを演出してくれる。
働いた後の一杯は、最高だな。
そして、懐かしい味がする。
この味を、梨花は知っていた。
梨花が幸せな気分でまかないを味わっていると、ふと、コハクと目が合った。
「人間の生は短い」
と、コハクは笑った。
少し、寂しそうな笑顔だった。
「シホは、いったか」
静かなコハクの問いに、梨花は箸を置いて頷いた。
「うん」
(やっぱり、おばあちゃんのことだったんだ)
「シホは、うちの常連だったよ。もう何回前の祭りだか覚えていないが、あの年、初めて、たまには一緒に祭りを回ろうと声をかけてくれた。バカなことを話しながら、ふたりで過ごした。ーー楽しかったよ」
その思い出を、とても大事に思ってくれているのだな、と梨花は思った。
遠くを見つめながら話すコハクが、とても穏やかな表情をしていたから。
「あれが、最後だった」
コハクは梨花に向き直って、にかっと笑った。
「あんたもさ、その短い生を終えたとき、シホのところへ帰る道の途中に、寄ってくれよ。待ってるからさ。そんで、シホへの手土産を頼まれてくれ」
梨花も笑い返した。
「うん。必ず」
「ほら、のびる前に食え食え!」
◇
「コハク、美味しかったよ。ごちそうさま」
「ああ。リカ、その時まで、元気でいろよ」
コハクが言うと同時だった。
梨花の目の前に、ぬいぐるみサイズの白い獣が、ふわりと現れた。
白い毛に混じって、虎のような黒い横縞の模様がある。獣は飼い主にするような仕草で梨花に駆け寄り、梨花のまわりをくるくるとまわる。
(かっ、可愛い……っ!)
その愛らしさに耐えきれず、手を伸ばす梨花。
ふわふわとした頭を遠慮がちにそろっと撫でると、獣は梨花の足首に一度だけ頬ずりをして、そして消えた。
(ああ、消えちゃった……)
残念に思う一方で、なんだか懐にあたたかいものが入り込んだような感覚を覚えた。
コハクを見ると、不敵な顔でにやりと笑っていた。
「俺の加護をつけてやったから、感謝しろ」
加護。お守りのようなものだろうか。さっきの獣が、そうなのだろうか。
目には見えなくても、あの子が常にそばにいてくれるようなものだと考えたら、なんだか嬉しい。
「ありがーーひゃあっ」
突然、梨花の肩越しに何かが、にゅっと現れた。
のけぞって、よく見るとーー
(黄色い……ダチョウ?)
この色は、もしや。
ピィ!
梨花のひらめきに答えるように、ダチョウの向こうから声がした。
「あっ、大家さん!」
ダチョウは木でできた荷車をひいていて、その中にはたくさんの荷物と一緒に、大家さんがちょこんと乗っていた。
大家さんも、随分と、お祭りを満喫したようだ。
「ああ、ちょうどきたな」
と、コハク。
「行け、元気でな」
手を振るコハクに手を振りかえして、梨花は大家さんに手招きされるまま、荷車の空いたスペースに乗り込んだ。
「ありがとう、コハクも。ーーまたね」
(大家さんと私じゃ、体重が違うと思うのだけれど、ダチョウさん、大丈夫かしら)
梨花が座ると、ゆっくりとダチョウが歩き出す。
荷車の車輪が、ギシギシと音を立てて回った。
一抹の不安はあったものの、きっと人間にはわからない力で動いているのだろうなと、梨花は考える事をやめた。
それよりも、今この瞬間に思い出した事を、伝え忘れていた大事なことを、コハクに伝えなければ。
次会えるのは、きっと、だいぶ先だから。
「ねぇ! おばあちゃん、お蕎麦も大好きだった」
走り出した荷車の上から、声を張りあげる。
「夜に食べたらあったかくて、贅沢にお肉が入ってて。
今日のお月さまみたいな、卵をおとしたやつ!
それを食べる時は、おばあちゃん、いつも月を見上げていたよ!」
梨花が言い終わると、顔をくしゃくしゃにして笑って、コハクが手を振った。
「ああ、俺もだ! ーーリカ、またな!」