第40話
夕暮れが近づいたせいか、厚くなった雲のせいか、少しだけ薄暗くなった街並みの中。
小さな川をまたぐ、石造りの小さな橋を渡る。
昼と夜の間。中途半端な時間だから、閉まっている店もたくさんある。
その中で、営業中の看板の出た喫茶店は目を引いた。
のれんの奥から、ぼんやりと蛍光灯の光が漏れている。
煉瓦造りの壁、レトロな二階建ての建物の、一階。
ガラスの扉のとなりには、昔懐かしい食品サンプルの並ぶショーケース。
その下に並んだ鉢植えの花や、店前に止められた自転車。
どれひとつとっても、ノスタルジーを感じる風景だった。
「お土産に、買いたいものがあって」
そう梶田にことわって、梨花は店の扉を開けた。
奥に長い店内には、先客がひとり。
食後だろうか。中年の男性が新聞を読みながら、コーヒーを飲んでいる。
正面奥の天井近くに備え付けられたテレビ画面からは、関西弁のタレントの出ているバラエティが流れる。
カウンターの奥に座ってそれを見ていたエプロン姿の女将が、梨花たちに気づいて腰を上げた。
「いらっしゃい」
「お持ち帰り、お願いできますか?」
「はいはい、こちらのメニューになります」
と、テイクアウト用のメニューを見せてくれた。
「海老カツサンドを2人前と、カツサンド2人前……あとこっちのハーフの……」
梨花が注文している間、梶田は入り口の近くの席に腰掛けて、店内を見回していた。
このあたりは花街も近い。壁には、白地に赤字で舞妓さんや芸妓さんの名前が書いたうちわが、所狭しと飾ってあった。
「あ、こっちは別の袋でお願いします」
「はぁい。お座りになって、少々お待ちくださいねーー」
女将がカウンターの中に戻っていく。
梨花は梶田のもとに戻った。
「ありがとうございます。近くに住んでる友人に……お土産にしようと思って」
「うんうん。こういうお店、俺も好き。お腹すいてたら、ゆっくり食べたかったね」
本当は、シェアハウスのメンバーへのお土産を兼ねた、晩ごはんの足しなのだけれど。
(いつか、嘘のない関係になれたら良いなぁ……)
シェアハウスの話は、梨花だけの問題ではない。
そこまでさらけ出すには、梨花たちの関係は深くない。
それが、現実。
「俺も何か買って行こうかなー……」
「あ、よかったら」
と、梨花は言う。
「カツサンドと海老カツサンドのハーフ&ハーフ、梶田さん用にも頼んだので。晩ごはんにどうぞ」
「え、まじ? ありがとう!」
「軽くトースターで温め直してくださいね」
「了解! 楽しみだな〜」
……………………
………………
…………
旅は、帰りのほうが早く感じる。
いつもそうだ。
でも今日は、とくに早く感じた。
とりとめのない会話も、おすすめの本の話も、何時間だってしていられそうだったのに。
新幹線を降りて、在来線に乗り換える。
窓の外は、とっぷりと暮れた景色。
人工的な光ばかりが、つみかさなるように混じり合う。
窓に映る自分の顔に、別れが惜しいと、思う気持ちが浮かんでいた。
「じゃ、また」
お互いの乗り換えの駅で、互いに手を振る。
「はい。月曜日に」
しごく健全なやりとり。
なんだか、門限のある学生みたいだ。
いや、むしろ学生の時のほうが、ためらわずに飛び込めた。
大人になるにつれ、受け入れてもらえなかったらという恐怖を、覚えてしまっているのだろうか。
あるいは梶田の存在が、梨花にとって、いままでになく大切なものになっているのかもしれなかった。
◇
「ふぅ〜……」
いつものように、百階段の上で深呼吸する。
荷物を落とさぬようしっかりと持って、あたりを見回す。
(よし、今なら誰も見ていないーー)
目をつぶって両足に力を入れて、百階段のてっぺんから、思いきりジャンプする。
すぐに体を包む浮遊感に、ふっと身をゆだねる。
異世界に飛び込むことには、少しずつ慣れてきたのに。
「ただいま」
玄関に入ると、キョーコの明るい声が飛んできた。
「あー! おかえりぃ!」
パタパタと近づくスリッパの音。
「ちょうどいまスープが出来たよー! 作ったの私じゃなくて、五味ちゃんだけど」
「おかえりなさい」
キョーコの後ろから、五味の声と美味しそうな匂いが追いかけてくる。
「ありがとうございます! あ、これ、言ってたお土産です。サンドイッチ」
手に下げた紙袋をキョーコに渡す。
「わーい♡」
「荷物置いたら、サラダだけちゃちゃっと作っちゃいますねーー」
ピィ!
「あ、大家さん! ただいま戻りました」
ちょこちょこと愛らしい姿を現した大家さんに、梨花はしゃがんで帰宅の挨拶をする。
ピィ。
どこからともなく、うっすらと光るさくらの花びらが、大家さんの頭の上にひらひらと落ちてーーすうっと消えた。
「あっ」
にっこりと、大家さんが笑ったように見えた。
笑って、梨花に手をーー小さな翼を、あげてみせた。
わかっているよ、というふうに。
さくらからの、何かの便りなのだろうか。
(あ、そうだーー)
荷物を置きに部屋に戻り、ふと思い出す。
あの、さくらの絵だ。
鞄から取り出した手が、止まる。
梨花は懐かしさに、ふふっと笑った。
そういえば、と、最後に聞こえた声を思い出す。
ーー私の代わりに、あの子をかいておいたわーー
(さくら、さん。そういうことかぁーー)
小さなキャンバスの中には幼い少女の姿はどこにもなく、懐かしさを感じる年配の女性の後ろ姿があった。
満開の桜と、それを見上げるーー
(おばあちゃん)
梨花は絵をそっと胸に抱いた。
(ありがとう、さくら、さん)
おばあちゃんの思い出を、またひとつ集められたよ。
小さな宝物を机の上にそっと置いて、梨花はエプロンをつけながら自室を後にした。
◇
「で、どうだったの。多少は進展なかったの」
煙草を片手にそう聞くのは、沙月だ。
社内の喫煙室。
人影はふたつだけ。
梶田は煙草も吸わずにしゃがみ込んで、手で頬を覆った。
「ぶっちゃけ、相手に甘い空気を出されたら、あとは阿吽の呼吸みたいな感じで、とんとん拍子に付き合ってきたんですよ。今までは」
「あ〜、ぽいね。腹立つわ〜」
「すいませんて。いや、俺なりに誠実には交際してましたよ?! 付き合いはじめがそうってだけで」
「うん」
「……梨花さんは、過去の誰とも違くて。こんな言い方したらあれですけど、あの手この手で水を向けても、ぜんっぜん響いてないどころか、友達としての信頼をむけてくれて、そんなやり方で近づこうとした自分が浅はかに思えて。いや気持ちは100%真剣真面目なんですよ?! ただ、俺は他にやり方を知らないし、難しくて」
たたみかけるように吐き出して、突然黙る梶田。
頭を抱えて、はぁ〜〜、と、長いため息をついた。
「要するに、高校生みたいにジタバタしてます」
ぶふっ、と、沙月が煙を吹き出す。
「あっはっは。いや〜ごめん、馬鹿にしてるわけじゃないよ。青春ね。楽しいね」
「青春って年じゃないですよ、もう」
「まだまだね、梶田くん。青春なんて、何歳とか関係ないのよ。うまくいかないことを、努力することを、存分に楽しみなさい。もがけるうちが花よ。もがいても繋がっていたいって熱量を持てる相手に出会えたことが、まず奇跡よ。その先にある喜びは、計り知れないわよ」
「姐御……!」
「誰がアネゴだ」
梶田は立ち上がり、すっと、ビニール袋を差し出した。
「道の駅で買った、この昆布ふりかけ、海藻のほかにエビとかホタテとか、海の幸がめっちゃ入ってて、めちゃくちゃ美味かったです……! 炊き立てご飯のお供に最高でございます……! お納めください。そんでまたアドバイスください」
沙月は笑って、それを受け取った。
「くるしゅうない」
前回の更新後、評価やブクマなど嬉しい反応をいただき、とっても励みになりました。
ありがとうございます!
第40話、いったんの章区切りとなります。
また次の章も、ゆっくりですが更新していきたいなと構想を練っているところです。
引き続き、楽しんでいただけたら幸いです。
どうぞ、よろしくお願いいたします。




