第36話
高速道路を下りて、最初に見つけたコンビニの駐車場。
梨花と梶田は、缶コーヒーで乾杯した。
梶田はそのまま、カーナビの画面をいじっている。
その横顔に、梨花はお礼の言葉をかける。
「運転お疲れ様でした。ありがとうございます」
「どういたしまして。運転好きだから、気にしないでね。本当に、お家のあった場所には行かなくてもいいの?」
梶田の気遣いに、にこりと笑う。強がりでも遠慮でもなく。
「はい。いまはもう、家もないし。他のお家が建っているかもしれないし。ーーそれよりも、おばあちゃんが好きだった場所に行きたいです」
その方が、おばあちゃんを近くに感じられる気がして。
「了解! えっと……この展望台か。ケーブルカーで上がるんですよね。じゃあこのあたりで駐車場を探すか……。ん。ナビ入れます」
「よろしくお願いします」
そういうことになった。
……………………
………………
ケーブルカーをおりて、少し歩くと、展望台にたどり着いた。
「おー! 絶景っ!」
梶田の嬉しそうな声。
たしかに、今日は雲ひとつない晴天に、海の青と樹々の緑がくっきりと映えて美しい。
小さな梨花もよく連れてきてもらった、おばあちゃんの好きだった場所。
広い展望台のまわりには、桜の木がたくさんあった。
しかしどれも、未だ花は咲かず、つぼみのまま。
気温の差、なのだろうか。
やはりこちらは、市街地よりも少し寒い。
梨花はパーカーの前を閉じた。
「まだ、こっちは桜咲いてないんですね」
つぼみは、たくさんあるけれど。
「そうだねぇ。咲いたら綺麗だろうなぁ」
と、梶田。
「あ、天橋立って、歩けるんだよね?」
梶田が示したのは、陸と陸をつなぐ砂嘴、天橋立。
梨花は頷く。
「歩けますよー。往復だとかなり時間がかかるから、半分くらいがちょうどいいかも」
「あとで行こう!」
「はいっ」
(あれ?)
梨花は、天橋立のちょうど真ん中あたりをじっと見て、目を細めた。
きらきらと空気中に輝く、粒子のようなものが見えたーー気がしたのだった。
(ダイヤモンドダスト?)
な、わけないか。もう暖かいのに。
(見間違いかなーー)
……………………
………………
ケーブルカーで下に降りて、天橋立を散歩する。
松並木と、穏やかな海。
向こうから走ってきた自転車と、すれ違った。
風が気持ちよさそうだなぁと、梨花が自転車を眺めていると、
「そっか、レンタサイクルもあるんだね」
と、梶田が言った。
はた、と立ち止まり、梨花の顔をじっと見てくる。
「な、なんですか?」
「梨花さん、自転車乗れるの?」
「のれますよー! こう見えて中高自転車通学ですっ」
「ははは、ごめんごめん」
「よく言われますけどぉ」
そんなに、どんくさそうなのだろうか。
思わずジト目で見てしまう梨花だった。
「あ」
松の間から、白い観光船が見えた。
デッキに観光客の姿も。
「そうだ、観光船! あっちまで歩いて、帰りは観光船で戻るのもアリですーーね……」
と、梶田の方を向いたつもりが、そこには誰もいなくなっていた。
「あれ? 梶田さん?」
梶田だけではない。あちこちに歩いていたはずの、観光客の姿も。
さっき通り過ぎていった、自転車も。
長い松並木の道に、立っているのは梨花ひとり。
ふわりと、視界に霧がかかる。
「わっ、わぁ」
ふわりと、体が宙に浮かんだ。
高所恐怖症ではないけれど、自分の下に何もないのに宙に浮いている感覚が、不安で仕方ない。
松の上まで浮かび上がり、そして止まる。
すると背後から、しっとりとした女性の声がした。
「ねぇ、彼はあなたのもの?」
ばっと振り返る。
声の主は、長い黒髪の美人だった。
腰までの髪はツヤツヤまっすぐで、色白の肌に深緑色の着物をまとっている。
目に見えない何かにしなだれかかる様が、気だるげで怪しくてーー美しい。
なんだか怖いしでも綺麗で見惚れてしまうし、その発言の破壊力もなかなかだし。
どうしたものか。
梨花は混乱しながらも、言葉を探す。
(私のもの、というと、語弊があるよねーー)
「い、いえ」
美女は悪気もなさそうに首を傾げた。
「じゃあ、もらっても良い?」
「えっ」
「だって、あなたのじゃないんでしょお? じゃあいいじゃなーい♪ 最近はたくさん人が来ても誰も遊んでくれないから、まつだけでひとりぼっち。まつだけは寂しいのだもの。あの男の子、可愛いし」
(もらってって、そんなーー)
「だ、だめ……です」
「ん? なぁに? 聞こえないのだけど」
(梶田さんはーー私にとって大切な友人でーー)
そう思ったはずなのに、口をついて出たのは違う言葉だった。
「わっ、私の、ですっ!」
自分の言葉に、その声の大きさに、自分で驚き、恥ずかしさから口を手で塞ぐ。
「まぁ」
驚いたような顔で、こちらを見る美女。
(わわわ私は、何を言ってーー)
「はいはい、そこまでーー」
また別の声がした。
美女と梨花の間に突然割って入った、桜色の影。
桜色のワンピースを着た、おかっぱの幼女だった。
「ごめんね、リカ」
くるりと振り向き、申し訳なさそうに言う。
その顔に見覚えはないのだけれど、ないはずなのだけれど、どこかで見たような気もする。
混乱で言葉を返せずにいる梨花に、にこっと笑う。
「ここまで運んでくれてありがとう」
「さくら」
と、美女は幼女のことを呼んだ。
「まつ。もう、ニンゲンをからかっちゃダメでしょう」
幼女ーーさくらは、見た目に似つかわしくない口調で諭すように言う。
「ごめんごめん。だって、さくらが遅いのだもの」
「ひとのせいにしないっ」
少女は振り返って、梨花に手を振った。
「じゃ、こいつの相手は私だから」
「えっ? あっ、はいっ」
またふわりと体が浮く感覚があって、梨花は目を瞑る。
「ニンゲンはニンゲン同士。君たちも仲良くね。ーーあ、私の代わりに、あの子をかいておいたわーー」
そう、耳元で、さくらの声が聞こえた。