第35話
しばらく歩くと、レンタカーの看板が見えてきた。
梶田は店舗を指差して、梨花に振り向く。
「じゃあ、そこのレンタカー屋で車の受け取りしてくるんでーー梨花さん、その間に飲み物とか、ガムとか、あっちのコンビニで調達お願いできますか?」
ぱちぱちと瞬きをしてから、一拍遅れて梶田の意図を悟る。
「え、私もレンタカーのお金払いますよ」
梨花がコンビニに行っている間に、レンタカーの支払いを済ませようとしているのだ、きっと。
そういうわけにはいかない。だって、もともとは梨花の都合による旅なのに。
しかし、屈託なく笑う梶田の意思は固そうで。
「大丈夫です。いつも弁当作ってもらってんだもん」
「え? だって材料費もいただいてーー」
なぜだか、梶田の眉尻が下がる。
何かおかしな事を言っただろうか。
真面目な口調で、梶田は諭すように言う。
「知ってますか? 市販のお弁当の値段には設備費とか人件費とかかかってるんです」
「? それはーー」
(当然、知っているけども。だって売り物じゃないしーー)
「梨花さんの手間賃、いつも払ってないし。受け取ってくれないし。というか、僕の気が済むように、普通にお礼させてください」
「……ありがとうございます」
これ以上固辞するのは失礼かな。と、梨花は気持ちを改めた。
ありがたく、梶田の気持ちをいただこう。
だったら、こちらは……。
「来週のお弁当のおかず、豪華にしますね」
「やった」
少年のようにガッツポーズする梶田に、思わず笑ってしまった。
◇
「飲み物オッケー、おやつオッケー、眠気覚ましのガムオッケー。あ、このチョコ美味いよね。梨花さん、良いチョイス!」
「ですよねっ! あ、アプリのマップも設定オッケーですっ」
「じゃあ、いきますか!」
梶田の掛け声で、車はゆっくりと走り出す。
……………………
………………
市街地から高速道路に入り、一時間ほど走っただろうか。
FMに設定したオーディオから、梨花の好きなアーティストの曲が流れてきた。
「このバンド、学生の時から好きなんです」
「いいよねー! 初期の曲も知ってるよ」
「ほんとに!」
「あのアルバム好きだったなぁ。ボーカルのひとがジャケットの絵を描いてるやつ」
「tiny tail」
「そう! ……そっかー。一緒の聴いてたかー。あの当時の梨花さんにも会ってみたかったな」
「どこかですれ違ってたかもですね」
そんな他愛もない話をしたり、時々は口を閉じて、流れる音楽に間をゆだねたり。
そんなふうに穏やかに時が過ぎて、話題に困ったなぁとか、居心地が悪いなぁと思う瞬間が、驚くほど無かった。
聴き入っていた曲が終わり、CMが流れる。
「この道ができて、だいぶアクセスが良くなったみたいだね」
と、待っていたように口を開く梶田。
「たしかに。子供の頃はすごーく遠く感じて、いつも途中で寝ちゃってました」
目を覚ましたら、もうおばあちゃんの家の布団の上だったりとか。
「あ」
どんどん後ろに流れる景色に、PAの文字が見えた。
梨花はスマホを取り出し、マップアプリを確認する。
「次のパーキングエリアはショップもあるみたい。寄りましょう」
「了解!」
パーキングに車を停めて、車を降りる。
「わ、黒豆ソフト!」
風にはためくのぼりを見つけて、梨花は声をあげた。
車の鍵をかけて、梶田も後に続く。
「ご当地感、いいね〜! 僕、京都のこういうところは一回しかきたことなくて。海の方ね。福井とか石川とかは、日本海側によく行ったんだけどな」
「東尋坊! 行ってみたいんですよね〜。あと美術館も!」
うんうん、と頷く梶田。
「いつか行きましょう」
さらっとそんな事を言うものだから、梨花はとっさの反応に困る。
築地とは違う。完全な旅行だ。
いや、今だって旅行なのだけれど。でも。
つい、逃げ癖が発動するのは、いい年をしてどうかと思うけれど、性格なのだから仕方がない。
やっぱり笑って話題を逸らしてしまった。
「あ、お昼、どうします? 梶田さん、まだお腹空いてませんよね」
「さすがにね。完全に海側に出るまであと1時間くらいだし、あっちに着いてから海鮮丼を食べたいな」
「うんうん、いいプラン」
「とりあえずソフトは別腹?」
にやりと笑う梶田に、笑い返す。
「ですねっ!」
大袈裟に飛び跳ねたり、考えすぎて縮こまったりする、梨花の胸の中のドタバタが、梶田に伝わっていませんようにと、思いながら。