第33話
「うーん」
まったく、悩ましい問題である。
昨日買った鰆も、美味しそうだったよなぁ。
でも西京焼きも大好きだし……。
「ひとくち交換しますか?」
「……いいんですか?」
あまりに悩みすぎて、呆れられただろうか。
しかし梶田の心優しい提案に、正直なところ、心が躍る梨花である。
くすくすと笑う梶田。
まったく嫌味がないから、不思議なものだ。
「どっちが食べたいです?」
「梶田さんは?」
「うーん。どちらか決めるなら、たけのこと鰆、かなぁ」
「じゃあ私、西京焼きにします!」
清々しい気分で注文を済ませ、お漬物を取りに席を立つ。
ショーケースの扉を開け、そこでまた迷える羊に逆戻り。
「お漬物も、種類がありますねぇ〜」
とても眩しい漬物たちなのに、なかなか手が出ない梨花。
どれかひとつが、選べないのだ。
(どうしよう。私って、こんなに優柔不断だったっけ)
でもでもだって、春キャベツの浅漬けは間違いなく美味しそうだし、しば漬けも大好きだ。鷹の爪の輪切りが入った、壬生菜の漬物も、わたしは美味しいよと梨花を呼んでいる気がする。
悩んでいるうちに、新しい客が店に入ってきた。
あまり長考するとご迷惑だ。どうしよう。焦る。
だから、梶田の出してくれた提案は、神がかった響きで梨花の耳に届いた。
「そうだなぁ。3つもらって、それを二人ではんぶんこ。どうですか? 梨花さん、好きなの選んでください」
「いいと思います!」
あ、また食い気味に言ってしまった。
少し恥ずかしいけれど、こういう時の梶田はとても楽しそうに笑ってくれるので、梨花も安心して食いしん坊の一面を出せるのだ。
「うわ、春キャベツの浅漬け、うまっ」
梶田は本当に美味しそうに食べる。梨花もつい、にこにことしてしまう。
「あまりスーパーとかじゃ見ませんよね」
「うんうん。浅漬けなら、日々自分でもできるかなぁ。でも微妙な味付けが難しいかなぁ」
「自分の好みに寄せられるメリットはありますけどね。何回かの失敗はご愛嬌ってことで」
「先生! 今度教えてください」
「ふふ。承りました」
「お待たせしましたぁ。ご飯と……お味噌汁と、おばんざいですーー」
ぴかぴかの白米と、おあげと大根のお味噌汁が並べられる。
「おばんざいは、向かって右からーーきんぴらと、しめじと水菜のおろしあんかけと、万願寺とうがらしの揚げ浸しですーー。おかずもすぐにお持ちいたしますねぇ」
「美味しそう〜!」
「や、モーニングのレベルちゃいますよ」
「梶田さん、関西弁になってる」
「なりますよ、こりゃ」
「はぁい、おかずこちらに置かせていただきますね。ごゆっくりどうぞーー」
梶田の前に置かれた『たけのこと鰆の炊いたん』は、深めの皿に、煮汁に浸かった鰆とたけのこ。そして控えめに彩りを添える、山椒の新芽。
梨花の前に置かれた『銀ひらすの西京焼き』は、もう匂いからして美味しい。食べる前から、すでに美味しいなんて、困ったものだ。
「横に添えてあるのは、こちらも万願寺とうがらしでーー軽く味噌に漬けた後、やいてありますの。食べ比べ、してみてくださいねぇ」
「はいーー!」
「どれも美味しい!」
と、梨花。
「本当。体が喜んでる気がする」
と、梶田。
「西京焼きはご飯との相性ぴったりすぎるし、鰆とたけのこも味が染みてて、でもしつこくなくてーー」
「梨花さん、珍しく早口になってる」
「や。興奮しすぎました」
「もうちょっと、いかがですか?」
と、鰆の器を寄越してくれる。梶田は営業の星ではなく、神の御使いか何かではないのだろうか。と、梨花は思う。
優しさがすぎるのだ。
「いいんですかーー! あ、銀ひらすもどうぞ!」
「いい朝ですねぇ〜」
と、湯呑みを両手で持ってほっこりする梨花。
ふたりとも、頼んだのは煎茶だった。とても上品な美味しさで、1日の始まりをさらに充実させてくれる。
梶田も煎茶をすすって、一息つく。
「やっぱり食事って、パワーの源なんだなって思いますよね。ひとりじゃ適当に終わらせがちだけど、誰かと食べると違うなぁ」
梨花は深く頷いた。
「うん。それ、思います。ひとりじゃ料理も味気ないけど、シェアハウスのメンバーがいると楽しいですもん」
いまではもう、一人暮らしには戻れない気さえする。
「じゃあいまは、ちょっと寂しいですね」
梶田がそう言うので、はたと気まずくなって、しどろもどろになってしまった。
「え、あ、そう……ですね」
危ない。そうだった、シェアハウスは過去の話という設定なのだった。
「梨花さん。よかったら、またこうして朝ごはんを食べましょう。旅行とかじゃ、なくても」
「いいんですか?! モーニング巡りしたかったんですー! そういう同士っていなかったから! 私、築地とかも行ってみたくてーー」
「ーーぷはっ」
「梶田さん?」
「いや、梨花さんらしいなって。ばかにとかしてないですよ?! いい意味です! 築地良いですね! 前に同期と行った店、よかったですよ! 休みの日に思いっきり早起きしてーー」
(? まぁ、いいか)
梶田おすすめのお店の話を聞きながら、美味しい朝ごはんを噛みしめる。
旅が終わっても、またこんな楽しい時間を過ごせるのかと思うと、嬉しくなった。
こんなモーニング、原価いくらやねん。ってツッコミは自分でもしていたのですが。
※この物語はフィクションです。
という事で押し切ろうと思います。