第26話
「お待たせしました。ティーアフォガードです。紅茶は、お好みの量を注いでお召し上がりくださいね。ごゆっくりどうぞ!」
ふたりの前に並ぶのは、バニラアイスと、小さなカップに入った濃い色の紅茶のセット。
「美味しそう♡」
「私、紅茶バージョン初めてです〜」
「さ、食べよう食べよう!」
ゆっくりと紅茶をアイスに注ぎながら、キョーコはしみじみと言う。
「一期一会って、あるよねぇ」
顔を上げた梨花だけれど、彼女と視線は絡まない。
キョーコは、表面が少し溶けて紅茶と混じるバニラアイスを、じっと見ていた。
うつむいたまつ毛が、とても長くて綺麗な影を落としていた。
「桜って、タネから実生で育てるのは難しいって言われるでしょう?」
と、キョーコ。
確かーーと、梨花は記憶の棚を探った。
「増やすときは、接ぎ木か、挿し木をするんですよね」
「そ。それってさ、すごく人間社会ぽくない?」
「人間社会?」
「うん。親がいて、子が増えて、まわりの人がそれを支えて、それが続いていく感じ」
「なるほど。言われてみれば」
「だから桜を見ると、家族とか、大事な人を思い出すんだぁ」
「いいですね。私、好きです。そういう考え方」
梨花が真面目な顔で言うと、キョーコは照れたように笑う。
(あ、目が合った)
「へへ。あ、あとね、私の師匠がさ、人生は桜みたいだって言ってたの。その話も好きでさ」
「人生、ですか」
師匠とは、お仕事の、だろうか。
キョーコは芸術に携わる仕事をしていると、話には聞いていたけれど。
「そ。育つごとに、いくつもの枝が生えて分かれるけどさ、どの枝にーーどの道に進んだって、そこで花はまた咲くんだって。若葉の時期も落葉の季節も、桜はずっと生きていて、春がきたら花を咲かせて花を散らせて。ただただそれの繰り返し」
「ーー……」
(どの道に、進んだって)
梨花はじっくりと、キョーコの言葉を反芻した。
言葉って、いいなと思うのはこういう瞬間だ。
本にも、言えることなのだけれど。
会ったこともない知らない人の言葉を、誰かが届けてくれる時。
その言葉が、すっと胸に沈み込む時。
この世に言葉があってよかったなと、そう思うのだ。
「だから、私たちはさ、今を楽しもうねっ!」
「ふふ。そうですね。今も、楽しいです」
「私も♡」
いっせーので、紅茶をまとったバニラアイスをスプーンですくって口に運ぶ。
「ん〜〜♡」
「濃厚さとまろやかさと……!」
「ヤバいねっ! あ、そーだ」
急にキョーコの笑顔の種類が変わった、ように見えた。いたずらっ子のような、まるで、そう。
「アフォガードって、溺れるって意味なんでしょ? 溺れちゃうくらいハマれる相手って、なかなか出会えないから。もし出会えたら、飛び込んでみるのも一興かなと思うわけですよ〜。これは私の持論だけど〜」
いくら鈍い梨花だって、梶田の事を言っているのだとわかる。
「溺れたいのかどうかは、まだわかりません……」
そう言うのが精一杯だった。
「ははっ。だよね。からかってごめん。いや、真剣なんだけどね」
「まだわからないけど、そう思えたときは、頑張ります」
「うん。いいと思うよ」
アフォガードを食べ終わった後、温かいコーヒーをお供にひと息つく。
メニューブックをパラパラと見ていたキョーコが、声を上げた。
「あ、ねぇ、ここってさ、ギャラリーも兼ねてるんだって! 気に入った絵があったら買えるみたいよ」
「へぇ!」
瞬時に浮かんだのは、階段をのぼりきったところにかけてあった小さな絵だった。あたたかい色使いに、梨花は一目で心を奪われたのだ。絵が欲しいと思ったのは、人生で初めてだった。
その事に、何か意味がある気がして。
(あの、桜と幼い女の子の絵)
「……買おうかな。手の届くお値段だったら」
「お、いーじゃーん! 気に入ったのあった?」
「はい。ーー一期一会、です」
「いつ、すき焼きが出てくんねん」って。
思うてはるでしょうか……。
ご安心ください、そろそろです。たぶん。
京都の夜に、続きます。