第13話
「お茶、どうぞ」
コナが出てきた扉の向こうは、小さなキッチンのついたダイニングスペースになっていた。
チェリー材のような色合いの小ぶりなテーブルセットに、梨花とキョーコは案内された。
「あ、ありがとうございます」
「いただきます」
キョーコが部屋の中を見渡す。
「ここは、お店なのかな?」
「うん。下で修理屋をやってる。ここは休憩室。直せるものなら何でも治すよ」
コナは空っぽのプラ容器を振った。
「これ、勝手に食べちゃってごめんね。そっちの食べ物は美味しいものばかりだから、我慢できなかった」
「いえ、さしあげるように置いたものなので。お口にあったならよかったです」
幽霊と勘違いしたことは黙っておこう。
「日本語、お上手ですね」
「私が話してるのはポリ語だよ。前もそうだった。勝手に翻訳されてるみたい」
「さっきもおっしゃってた、前にも日本人が来たことがあるって」
「うん。女性だったよ。優しくて、面白い人だった。ねぇ、さっそくで悪いんだけどさ、あなたたちにお願いがあるんだ」
梨花とキョーコはきょとんと顔を見合わせた。
「何でしょう」
「白くて、とろりとした食べ物を、作ってくれないかな」
「白くて、とろり」
「うーん、それだけじゃ何かわからないわね」
キョーコが宙をにらみながら考える。
「甘い?」
コナは首を振った。
「甘くない、野菜とかお肉とかが入ってて。スープみたいな」
しょんぼりと俯いて、コナは言う。
「ユキが、好きな食べ物なんだ。仲直りのきっかけがほしい」
家族だろうか、お友達だろうか。大事な誰かなのだと言うことは、コナの表情から見てとれた。
「シチューかな」
「私もそう思いました。ホワイトシチュー」
「カヨ……昔ここにきた日本人が、作ってくれたんだ。ニホンの食べ物だって言ってた。三人で食べた。美味しくて、幸せな思い出なんだ。カヨが来れなくなったから、もうずっと食べられなかった」
そう言って、頭を下げるコナ。
心なしか、耳もとろんと垂れている。
「こんなお願い、突然で申し訳ないけど」
「いいです! 大丈夫! 私も、シチュー大好きですから。たくさん作りますね。えっと、具のリクエストはありますか?」
ぱっとあげた顔が、輝いていた。
こんな顔をしてもらえるなら、作りがいもあるというものだ。
「ありがとう! 鶏肉と、野菜がいい。あと、ピンクっぽいオレンジっぽい魚」
「サーモンですね」
「そうなのかな。名前はわからないけど、美味しかった……。お礼はする。といっても、私にできるのは何かを直すことくらいだけど」
お礼など、と言おうとして、すんでのところで飲み込む。梨花もそうだけれど、他人に何かしてもらったことに対価を払わないと落ちつかない人間はいるものだ。
一方的に申し訳ない気持ちを残すよりも、素直に対価を受け取った方が良いだろう。
「わかりました。じゃあ、何を直していただくのか、考えておきますね」
階段を降りると、無事もとの部屋に着いた。
シェアハウスの住人はまだ、誰も帰ってきていなかった。
居間に戻ると、キョーコはソファに倒れ込んだ。
「はー、びっくりしたわねぇ」
「キョーコさん、普通通りに見えました」
「顔に出ないのよ、私。良いんだか悪いんだか……」
そう言って、むにむにと頬を触るキョーコ。
「よかったの? お願い、受けちゃって。明日は月曜でしょう? 梨花ちゃん、仕事は?」
「あ、大丈夫です。いいかげん有給消化しろって総務から言われてるので、お休みとってて。特に用事もなかったから、常備菜の作り置きでもしようと思ってたところで」
それに、と、梨花はキッチンに入り、エプロンをつけながら言った。
「仲直りは、できるうちにしたほうが良いんです」
「そうだね。大人になると、わかるね、それ」
「美味しいご飯は、人の絆もあたためてくれますから」
にんじんの皮を剥きながら、梨花は思う。
子供の頃、引っ越してしまう友人との別れは辛かった。
でもその分、存分に別れのための準備ができた。
ありがとうの気持ちを伝えて、泣きながら手紙を書いた。
大人になってからは、どうだろう。
「じゃあまたね」のひとことが、最後になって何年もたつ。そんな相手が、もう何人いただろう。
古い友人、知人の顔を思い出す。……思い出せたら、まだ良い方だ。
会おうと思えば、いつでも会える。
そう思っている関係ほど、切れてしまえばあっけない。
どうしても仲直りしたい人がいる。少しの勇気を出せば手が届く。
その事がどれだけ素晴らしい事か、梨花は知っているから。
旅立つ友人を見送った、子供の頃のようなあの気持ちを、思い出して眩しくなる。
手助けができるなら、してあげたいと思った。
「私にできることなら、喜んでしようと思います」




