第12話
ドアの開く音に、玄関までダッシュする。
夜まで飼い主を待ち侘びる犬って、こんな気持ち?
「キョーコさぁん」
「ただいま、どうしたの?」
「今日に限って大家さんもお出かけだし、心細かったです」
キョーコの顔を見るなり、とびついてしまった。
強がっても、苦手なものは苦手だ。
「えっと、かくかくしかじかという怪奇現象がですね……」
「ふむふむ。じゃあ、一緒に見てみようか。あ、ついでに懐中電灯の場所教えるね」
キョーコが居間に置かれたチェストの引き出しから、懐中電灯を取り出した。ライトのまわりは銀色で、持ち手部分はレトロな山吹色。懐かしいタイプの懐中電灯だ。
「この世界でも停電や地震が起こるのかは、わからないけど。私は私のいる間のことしか知らないけど、いままでは起こったことはないかな。あっちで揺れたらしい時も、こっちでは揺れなかったし。
停電は……そもそも電気代とか払ってないもんね……。電気じゃないのかな? これ。それとも、大家さんのツテなのかしら……」
居間のシーリングライトを見上げて、キョーコは首を捻った。
「お〜。階段だねぇ」
襖を開けると、キョーコが感心したような声を出した。
「そうなんです、おばあちゃんちの隠し階段にそっくりで」
「おばあちゃんちがどんなのか気になるところだけど、とりあえずこっちだね。のぼってみようか」
ちらちらと、懐中電灯で階段を仰ぐように照らすキョーコ。
階段の上は、行き止まりではなさそうだった。
「からっぽだ」
階段を登り切った先をぐるりと見渡して、梨花はそうこぼした。
「え?」
「おばあちゃんちの隠し二階には、いろんなものが詰まってて」
「そうなのね。たしかに、物はないみたいね」
「でもあの明かり取りは、一緒です」
「ねぇ、今って夕方よね……?」
爽やかな朝のような眩しい白い光が、細く差し込んでいる。ほこりの粒が、光を受けてきらきらと輝いていた。
キョーコは人気ゲームキャラクターの描かれた爪で、かちりと懐中電灯のスイッチを切った。
梨花とキョーコは顔を見合わせる。
一歩一歩、床が抜けないか確かめるように、木の床を歩み進む。
ギシギシと音は鳴るけれど、しっかりとした床だった。
明かり取りは腰高の位置にあった。
横に長く、透明のガラスがはまっている。
記憶の中のそれより、もっと新しく綺麗に見えるのは掃除が行き届いているからだろうか。
それとも、「出来たて」だからだろうか。
ふたりならんで、そうろと覗くと、そこは……
「え、ええぇ」
窓の下から、川が流れていた。橋の上からの景色のようだ。
左右の川岸には煉瓦造りの建物がずらりと並ぷ。飲食店と思しき建物のテラス席や、桟橋近くの露店はどこも客で賑わう。
それは見渡す限りに続いていた。ゆるく右に曲がる川の、先が見えなくなるところまで。
川面には、たくさんのゴンドラが浮かんでいる。
「ベネツィアみたいね」
「ベネツィア?!」
「あ、ちょっと違うか。川とかゴンドラの感じは似ているけど。ベネツィアよりもう少し、牧歌的かな。建物とか」
「ふわぁ」
梨花はイタリアには行った事もなくて、どのくらい似ているのか想像してみるけれど、写真や映像でみた水の都の風景は、ぼんやりとしか思い出せない。
ただ、言われてみれば、レンガでできた建物たちは高くても二階建てだし、造りもなんというか、あっさりとしている。川にいるゴンドラは全て人力で漕ぐ小さいもの。他に大きな船や観光船のようなものはなかった。
「と、いうか……、ねぇ、あれ、本物……?」
「猫……でしょうか」
キョーコが指差した先には、いままさに橋の下から現れて、悠々と川を行くゴンドラ。の、漕ぎ手の青年。
「尻尾、動いているわねぇ」
「動いていますねぇ」
獣人、というのだろうか。アニメに出てきそうな猫耳に猫尻尾。
バランスをとるようにゆらゆらと動く様が、偽物には見えなかった。
「異世界をくぐりぬけたら、また異世界だった、って事なのでしょうか」
「可能性は否定できないわね」
「誰かいるのか?」
少女のような声がして、梨花の頭の中でカチリと音が鳴る。
そうだ、忘れていた。
階段に置いたはずの、お供え物。無くなっていたーー。
声の方を向くと、扉があった。
おばあちゃんちのそれは、壁だったはずのところ。
扉から恐る恐るというふうに覗き込むのは、やっぱり猫耳のついた少女だった。
耳と尻尾はふわふわした茶色の毛に覆われ、それ以外の顔などは人間のような肌だった。
髪の毛も茶色で、肩までの髪が外向きにはねている。
服装はシャツにカーゴパンツ。腰には革でできた道具入れのようなもの。なんというか、動きやすそうな機能的な格好でーー。
(あっ)
手には、空っぽのプラ容器。
日本の豆大福は、お口にあっただろうか。
「これ」
梨花の視線に気づいたのか、プラ容器を持ち上げてみせる。
「日本語だよな?」
ニホンゴ。
たしかにそう言った。
梨花はこくこくと頷く。
シールに印字された「豆大福」の文字。
「昔、同じようにここにきた人がいた。その人に少しだけ教えてもらったんだ。……私の言葉、わかる?」
「あ、わかります! ごめんなさい、驚いて」
「私はキョーコ。はじめまして」
「梨花です!」
「……私は、コナ」
おばあちゃんが生きていたら、なんと言っただろう。
「押入れの中の階段を登ったら、水の都のような異世界につながっていて、そこは猫のような人たちが生きている世界だったよ」だなんて。