第10話
「火、ちょーだい」
そう、沙月が声をかける。
狭い喫煙スペースの先客は、梶田だけだった。
「どうぞ」
梶田がスーツのポケットから出したジッポを、沙月に渡す。
タバコに火をつけて、一服する。煙を吐き出して、沙月は言う。
「梶田くん、梨花ちゃんの前でだけぶりっ子になるわよね」
ゲホッーーむせて涙目になりながら、梶田は沙月をまじまじと見た。
「俺、そんな態度に出てます?」
「出てる出てる。梶田ファンクラブのおばちゃんたちだって、最近では生温かく見守ってる。
気づいてないの、梨花ちゃんだけだから。僕と俺が入れ替わってたって、なんならあの子、気づかないわよ」
あー。と、喉の奥から声が漏れた。
「あり得そうで凹むんで、やめてください」
彼女の前では、少しでも優しい男に見えるように、言葉遣いや態度に気をつけていた。
「でもね、例えば食欲がなかったり、上の空だったりしたらすぐ気づく子だからね」
「知ってます。うん」
「ちなみに今回の悩み相談は、私がしてあげてって言ったからね。大先輩のファインプレーを敬うように。あ、内容までは聞いてないわよ。元気がないから話きいてあげてって言っただけよ」
一石二鳥だったでしょう? と、いたずらっぽく言う沙月に、両手を上げて降参の意を示す。
「あ〜。自意識過剰ですね、俺。てっきり、少しは好意からしていただいたのかと……」
「あらぁ。さすが、モテ男。選び放題の恋ばかりしてきた人は違うわねぇ」
「そんな事……」
過去の恋愛経験が脳裏をよぎり、梶田は黙った。
(ありますけど)
そもそもあれは恋だったのだろうかと、梶田は思う。
彼女たちのことが、嫌いではなかった。でも別れようと言われた時に感じたのは、ひとりに戻ることへの寂しさだけだった。
お構いなしに、沙月が言う。
「見える……見えるわ……何か向こうからグイグイ押されたし、そういう感じになったし、とりあえず付き合ったけど、しばらくしたら面倒なこと言われて、それもなあなあにしてたら、いつのまにか冷たいって言って振られてるのよ……」
「俺の過去を見てきたように言うのやめてください。反省はしてるんで、意地悪言わないでください。若かったんです」
空恐ろしくなって、梶田は身震いしながら言った。
沙月は吹き出して笑う。
「ぶっ。やめてよ、急に正直になるの。面白いじゃない。
まぁね、あの子は難しいわよ……。自分のことには鈍感だから……。というか、自信の無さが目を曇らせているのよね。いいこなのに。
でも食には目がないからね。将を射んと欲すれば先ず胃袋から、かしらね。
がんばれ、若人!
何度も言うけど、いい子だからね。誠実に、付き合いなさいよ」
「言われなくても、頑張りますよ。いいかげんになんか、する余裕ありません」
桜色のスカートを思い出す。あれを彼女に送った男は、本当にただの友人なのだろうか。
「……とられたく、ないんで」
「何かいいことあったな?」
キョーコが、にやにやとしながら問うてくる。
「豪華じゃない♡」
食卓の上には、梨花が腕によりをかけた料理たちが並んでいた。
ばらちらしの具は鮪の漬けにサーモン、焼き穴子、蒸しえび。さやえんどう、錦糸卵と、椎茸の甘辛煮に酢蓮根。
そのまわりにはさわらの西京やき、菜の花のおひたしが並ぶ。
はまぐりのお吸い物も、キッチンで出されるのを待っている。
そして、食後の椿餅。
「ほら、おひなまつりも近いですしね。ちょっと豪華にしてみました」
梨花はお吸い物の味見をしながら、平静を装って答える。
「本当にそれだけかしら」
そんな事をいいながらも、キョーコは邪魔しない程度に留めておこうと、ひとり思う。
(面白いけど、あんまりからかうと良くないからね)
これくらいにしておこう。
「そろそろ帰ってくるかな〜」
そう言いながら、お箸を並べる。
無事キョーコの興味が逸れた事に安堵して、梨花は思う。
どう説明したら良いのか、自分でもわからないのだ。
梶田のあの言葉の真意を、わかる日がくるのだろうか。
(……まさかね)
あまりにも優しい顔をしていたから、勘違いしそうになってしまった。モテる人は罪だなと梨花は思う。いや、梶田は底抜けに優しいだけで、彼本人が悪くはないのだけれど。
(お刺身抜きのバラちらしを、明日お弁当に持って行こう)
考えてもわからないなら、いったん寝かせて置いてしまおう。
気持ちを切り替えて、梨花はよけておいた具を冷蔵庫にしまう。
梶田は喜んでくれるだろうか。想像すると、楽しみだった。
「ただいまっす」
「おー、お出汁のいい匂い」
玄関の方から、五味と仙道の声が聞こえた。
「あ、ふたりとも帰ってきたっぽい。お皿運ぶね〜」
「ありがとうございます!」
パタパタと忙しく動くスリッパの音。
夕寝をしていた大家さんが、ソファからむくりと起き上がる。
椿の花が、ころんと床に転がり落ちた。
桜餅(もとい椿餅)の回は、これにておしまいです。
また別の食べ物の回を不定期で更新したいと思っています。
よろしくお願いいたします!




