92.戦闘科女子の葛藤
放課後の自主訓練の時間、珍しくアガサからイアンに模擬戦を申し込んできた。
特に相手のいなかったイアンは快諾し、アガサと対峙する。
アガサの剣は以前決闘した時に比べて、細く、短いものになっていた。
剣を変えたことで耐久力の低下や攻撃範囲の狭小化といった懸念はあるはずだが、アガサは取り回しの良さを優先させたようだ。
「いくぞ!」
アガサはイアンとの距離を一気に詰め、顔面に向けて突きを放った。
目の前に迫る切っ先をイアンは首を傾けて躱し、反撃を試みる。
しかし、イアンが剣を振る前に、すでにアガサはイアンの間合いから外れ、体勢を整え直していた。
今度はイアンの側面から仕掛け、アガサが横薙ぎに剣を振るう。
イアンはその攻撃を受け止め、接近戦に持ち込もうと剣を押し込んだ。
しかし、その反動を利用して、アガサは再びイアンから距離を取る。
アガサはイアンに対して、一撃離脱を徹底していた。
その利点は、常に相手の間合いの外にいるため、安全圏から機を窺うことができることだろう。
自身が仕掛ける時には危険が伴うが、相手の攻撃を予測できる分、対応しやすい。
さらに、アガサの速さならば、反撃される前に離脱することも可能だ。
決定的な一撃は与えられていないものの、イアンを攻めあぐねさせている時点で有効な策といえる。
ただ、イアンも防戦一方のままで終わらせるつもりはない。
そこで流れを変えるために、イアンは抜剣の構えを取った。
(何が狙いだ?慎重に攻めるべきか…?いや、迷うな。彼が何をしようと、私の方が速い!)
アガサは一瞬浮かんだ疑念を振り払い、全速力で駆け出した。
対するイアンは呼吸を整え、アガサを待ち受ける。
そして、飛び込んでくるアガサに合わせて、イアンは剣を抜いた。
だが、その剣撃はアガサの服をかすめるのみに終わる。
アガサがイアンの間合いを見切り、その寸前で足を止めたのだ。
無防備になったイアンに、勝ちを確信したアガサは渾身の一振りを放つ。
しかし、剣が当たる直前、アガサの視界からイアンが消え、剣は空を斬った。
想定外の事態を脳が処理する前に、強烈な衝撃がアガサの腹部に叩き込まれ、身体が浮き上がる。
地面に倒れ込んだアガサは激しく嘔吐き、身体を起こすこともままならない。
もはや模擬戦は続行不可能と思われたが、なおもイアンは追撃の態勢に入ろうとした。
「そこまでです」
セシリアが間に割って入り、イアンを制止する。
「この模擬戦はイアンの勝ちとしますわ。これ以上の追撃は認めません」
セシリアが決着を宣言したため、イアンは剣を下ろす。
アガサの性格からして再び立ち向かってくるだろうとイアンは考えていたが、今回は本当に動けないようだった。
セシリアはアガサの傍に寄り添い、その背を擦りながら身体を気遣う。
「大丈夫ですか?」
「も、申し訳ありません。セシリア様の手を煩わせるなど…うっ」
アガサは吐き気を催し、苦しそうに口に手を当てる。
その様子に、セシリアはイアンへ非難の目を向けた。
「イアン、これは度が過ぎているのではありませんか?」
「悪い。手加減し損ねた」
「手加減だと…?」
アガサが血の気の失せた顔で、イアンを睨みつける。
「手加減などされて、私が喜ぶとでも思ったか!?私を侮るのも大概にしろ!うっ…おぇぇ…」
無理に声を荒げたことで、アガサは我慢の限界に至り、胃の内容物をすべて吐き出してしまう。
さすがに少しばかり罪悪感が湧き、イアンはアガサに回復魔法をかけてやった。
アガサの顔色が良くなったことを確認して、イアンは土魔法で吐瀉物の処理を始める。
その間にセシリアは魔法で水を生成し、アガサに口をすすがせ、服の汚れを洗い流してやっていた。
「申し訳ありません…」
「いいのですよ。これくらい、大したことではありませんわ」
消え入りそうなアガサの謝罪に、セシリアは柔和な口調で応える。
それを横目に、イアンは汚れた土をまとめ、近くの林に埋めに行った。
処理を終えてイアンが戻ってくると、顔に影を落としたアガサがイアンの前に立つ。
「……いい?」
「ん?何だ?」
アガサが何かを呟いたが聞き取れず、イアンは問い返す。
すると突然、アガサは鬼気迫る表情でイアンの襟首を掴んだ。
「私はどうすればいい!?どうすればお前に勝てる!?私は一日も欠かさず鍛錬を積んできた!なのに、お前との差は縮まるどころか開くばかりだ!いったい、私に何が足りないというんだ!?」
イアンの頭には、アガサの問いへの答えがすぐに思い浮かんだ。
ただ、それを伝えるべきかの判断に迷い、セシリアに視線で尋ねる。
セシリアが促すように頷いたので、イアンは口を開いた。
「…前にも言ったが、アガサに剣の才能はない」
何の含みもなく、淡々と告げられた事実に、アガサはビクリと身体を震わせる。
「毎日剣を振っているだけあって、それなりの形にはなっている。だが、それがアガサの限界だ。本当は自分でも分かっているんだろう?だから、速さで補おうとした。違うか?」
アガサは何も答えなかったが、それは肯定したも同じだろう。
イアンは構わず、話を続ける。
「確かにアガサが速いのは認める。だが、その速さも中途半端だ。俺が反応できる程度の速さである以上、アガサが俺に勝てる可能性はない」
厳しい言葉に、アガサは呆然としてイアンから手を放し、拳を握り込んで俯く。
「…だが、手っ取り早く強くなる方法ならある。何も難しいことじゃない。強化魔法を使え」
アガサは顔を上げて目を瞬かせるが、すぐに表情を歪ませた。
「…魔法だけはダメだ」
「どうしてだ?魔法を使えないわけじゃないだろ?」
「魔法は使える。使えるが…」
アガサは言い淀み、唇を噛みしめる。
「わたくしも悪くない提案だと思いますわ。強化魔法による身体への負担はありますが、回復魔法で治せるものです。残存魔力の管理を怠らなければ、十分可能性のある戦い方ではないでしょうか?」
セシリアの問いかけに、アガサは躊躇いながら口を開く。
「…私が目指すものは騎士です。魔法などに頼るわけには…」
「何でそんなに魔法を毛嫌いするんだ?騎士が魔法を使うことに何か問題があるか?」
「いや、そこを否定しているわけではないが…」
「それなら、魔法を使えばいい。俺に勝つつもりはないのか?」
「うるさい!何があろうと、私は魔法を使うわけにはいかないんだ!」
アガサは大声で叫び、興奮で息を荒くしていた。
ただ、セシリアがいることを思い出し、深々と頭を下げる。
「申し訳ありませんでした。失礼します」
アガサは険しい表情をして、修練場を早足で去っていった。




