9.魔法学
イアンは大きく深呼吸すると、体内の魔力の制御を始める。
腹の辺りに魔力を集め、しっかりと練り上げた。
そのまま魔法を発動させると、空中に拳大の火球が形成され、ゆらゆらと燃える。
すると、イアンの後ろからパチパチと拍手する音が聞こえた。
「すばらしいですね~。練度、精度、持続力はどれも理想的です~。基礎魔法のミニファイアは非常に良い感じではないでしょうか~。初級魔法に挑戦してもいいかもしれませんね~」
魔法学担当のパティ・ヘストンがおっとりした声でイアンを褒める。
「ありがとうございます。ただ、魔力の制御開始から魔法の発動までが遅いと感じているのですが、なぜでしょうか?」
「そうですね~。見たところ、イアン君は魔力の練り上げに時間がかかっているようですね~」
「やっぱりそうですか。意識はしていますが上手くいかないんです。何かコツなどはありますか?」
「コツですか~?ちょっと待って下さいね~」
そう言うと、パティはおもむろに手を前に出し、火球を出した。
その発動速度はイアンと比べて圧倒的に速い。
ただ、火球の大きさはイアンのものと同じくらいだった。
「分かりましたか~?」
「すみません。今のだけでは何とも…」
「まず、魔力の練り上げの速さは魔力の量と循環速度に依存します~。魔力量に関しては言わずとも理解できますよね~?」
「そうですね。それは試したことがあるので分かります」
「それでは、魔力循環についてお話ししましょう~。魔力は常に体内を循環していることは、先週教えましたね〜?魔力を練り上げるときには、その流れの中に魔力渦というものが発生します〜。魔力渦の回転を速くすると、魔力の練り上げも速くなります〜。そして、魔力渦の回転速さは魔力の循環速度に比例するのです〜」
「つまり、魔力循環が速いほど、魔力の練り上げも速くなるということですか?」
「その通りです~。そして、魔力循環速度は身体の部位によって異なります~。実は身体の中心よりも末端の方が速いんですよ~。多くの人は魔力の集まりやすい腹部で魔力を練り上げるので、時間がかかってしまうのです~」
「なるほど」
「ただ、手元での魔力の練り上げが難しいと感じる人も多くいるようですが、イアン君はどうでしょうか〜?」
パティに問いかけられ、イアンは試しに手元で魔力を練り上げてみる。
すると、これまでよりも速く練り上げることができた。
そのままミニファイアを発動させると、先程とさほど質の変わらない火球が生成される。
「パティ先生、できました」
「さすがですね~」
パティは小さく拍手をした。
「せっかくなので、もう一つアドバイスをしてあげます~。今、イアン君が練り上げた魔力はミニファイアを発動するには少々多いですね~」
「もっと少ない魔力でいいんですか?」
「はい~。イアン君の練り上げた魔力量だと初級魔法でも余裕を持って発動できます~。ミニファイアの発動に必要な魔力は、その半分で十分でしょう~」
「それだけですか?でも、それだと効果が落ちると思いますが」
「確かに籠める魔力量が多い程魔法の効果も増大します~。しかし、魔法の発動に時間がかかる上、魔力の運用効率も悪いですからね~」
「効果を低下させずに使用する魔力を減らす方法があるんですか?」
「もちろんありますよ~。そこで重要となるのが魔力の練り上げです~。少ない魔力でも練り上げをきちんと行えば、高い効果の魔法を放てますよ~」
パティはそう言うと、イアンに向かって唐突に魔法をかけた。
イアンは咄嗟に腕で顔を覆うが、特に何も起こった様子はない。
パティに目を向けると、パティの体内を青く透明な液体が巡っていた。
「魔力を可視化する魔法ですよ~。私の魔力の流れが見えていますか~?」
「はい、確かに見えます」
「では、実験してみましょうか~。右手は魔力が少ないですが練り上げをしっかり行った状態、左手は魔力が多いけれど練り上げはそこそこの状態にします~」
パティはそれぞれの手に魔力を集め、練り上げを行う。
準備ができたときには、パティの右手と左手で倍くらい魔力量に差があった。
「これでミニファイアを発動してみます~」
パティはミニファイアを発動させる。
驚くことに左右の火球の大きさにほぼ違いはなかった。
「魔力の練り上げの大切さは分かりましたか~?」
「はい。よく分かりました」
「それはよかったです~。それでは、続きを頑張って下さいね~」
パティはにっこりと微笑み、のんびりとした足取りでどこかへ行った。
「なかなか興味深い話だったね」
「レイ、いたのか?」
「パティ先生の話を聞ける機会は少ないからね。このチャンスを逃しはしないよ」
魔法学の講義は基本的に実技なのだが、パティは生徒を見て回るだけのことが多く、指導することはめったにない。
パティは気まぐれに魔法を見せることがあり、生徒たちは見逃すまいとその動向に常に注意している。
だが、同じ教室内だというのに、なぜか見失ってしまう者は多い。
一方で、イアンは比較的パティに声をかけられるため、レイはよくイアンの傍にいるのだった。
「で、レイはどうなんだ?」
「うーん、魔力の練り上げの感覚がいまいち掴めないんだよね。イアンはどうやっているんだい?」
「俺は、雪を固めるイメージを持てばいいと教えてもらった」
「雪か…ちょっと試してみるよ」
レイは目を閉じて、魔力を練り上げ始める。
イアンはその間、魔力量を抑えて魔法を発動する練習をしていた。
練り上げを何度か試した後、レイが口を開く。
「…うん。何となく分かってきた気がする。ありがとう。助かったよ」
「おう、力になれてよかった」
「パティ先生がこれを教えてくれたのかい?」
「いや、俺の師匠だ」
「へぇ、君の師匠がこれを…どんな人か聞いても?」
「きれいな魔法を使う、優しい人だった」
「だった、ってことはその人はもう…」
「いや、死んだわけじゃないぞ。ただ、ちょっといろいろあってな…」
イアンは何かを思い出したのか、少し悲しそうに笑みを浮かべた。
「ごめん。余計なことを聞いたね」
「いや、気にしないでいい。さあ、まだ講義中だ。練習を続けるぞ」
イアンは自分の練習を再開した。