89.馬術大会②
障害馬術の予選後、間を空けず競争馬術の予選が始まる。
その頃になると観客席は満席となり、通路も立ち見客で溢れかえっていた。
また、障害馬術の時とは異なり、耳を塞ぎたくなるような歓声と野次が飛び交う。
リンダの話によると、競争馬術は賭けの対象となっており、少なくない数の人間が金をつぎ込んでいるらしい。
一応王国主導の賭博であるため、賭け金の額に上限が設けられ、取り締まりも厳しく行われているという。
しかし、監視の目を掻い潜る者は必ずおり、裏では非正規の賭博が横行しているそうだ。
このように競争馬術において賭け事が盛んな一因として、その競技性にあるだろう。
勝敗は単純明快であり、一周1500mのコースを最も速く駆け抜けた者が勝者となる。
その一方、そこに至るまでの幾度となく行われる駆け引き、状況をひっくり返す偶然などといった、いくつもの要素が勝負を複雑化し、観客を熱中させるのだ。
ちなみに、イアンたちは賭けには参加せず、どの馬が一番速いかを予想し合う程度に留めている。
ただ、三人の知恵を集めても外れてばかりだったので、イアンは金を賭ける人間が正気とは思えなかった。
ますます盛り上がりを見せる予選の中、第七レースにノルンが出走する。
ノルンは後続に大差を付けて余裕の勝利を飾り、本選への進出を決めていた。
「いや、圧倒的だったね。あれは学園の馬だよね?」
「そうだ。俺も時々乗ってる馬で、ノルンって名前だ」
「へえ、あんなに速い馬を学園が所有しているのね」
「まあ、確かにノルンは速いが…本気の走りはもっと速いぞ」
「え、あれで本気じゃないんだ?」
「ああ、見た感じだと、七割くらいの力しか出してないみたいだな」
ノルンに跨がっているのは六年生の先輩だ。
どうやら完全にはノルンを制御できておらず、レースが終わってもなお走り続けるノルンを止めようと躍起になっていた。
おそらく先程の走りは本選に向けての温存というわけではなく、ノルンの気まぐれだったのだろう。
それでも勝てるのだから、ノルンという馬がいかに速いかが分かる。
競争馬術の予選は大して時間もかからず終わり、会場は歓喜と悲壮に包まれていた。
すると突然、盛大にラッパの音が鳴り響く。
周囲を見渡すと、観客たちの視線が上級貴族たちが座る貴賓席に集中していた。
最上段に空席の椅子が二つあったが、そこへサイラスとディアナが姿を現し、席の前に立つ。
そして、サイラスが手を挙げると、爆発的に歓声が湧き起こった。
王族を称える声があちこちから聞こえ、中には万歳三唱をする者もいる。
観客が落ち着きを取り戻すまでに十分以上はかかったが、その間サイラスとディアナは笑顔を絶やさず、ずっと手を振っていた。
少しばかりディアナの素顔を知るイアンは、その様子にディアナが曲がりなりにも姫なのだと改めて認識する。
王族の来訪による興奮が収まった後、障害馬術の本選が始まった。
予選では五つだった障害物が倍の数に増え、それに合わせて走る距離も伸びている。
最初の組が簡単な紹介と共に入場し、演技を開始した。
静まりかえった会場において、一人と一頭に注目が集まるのは当然であり、選手には並々でない重圧がかかることだろう。
ただ、本選に出場しているのは、クレアを除けば、騎士や軍人といった本職の人間ばかりだ。
この程度のことに緊張するまでもないのか、どの選手も涼しい顔をして馬を駆っていた。
しかし、クレアにとってはこれが初めての大舞台であるとなるため、さすがのイアンもだんだんと不安が募っていく。
他の選手が高い水準で演技を行っていく中、遂にクレアの出番が回ってきた。
『イフリート王立学園所属、クレア・ローウェル。演技を開始して下さい』
開始地点に着いたクレアは意外と落ち着いているようで、スピルナの首筋を一撫でして軽やかに発進する。
最初の障害物である高跳びを綺麗に跳び越えると、次のスラロームを小気味よく抜けた。
シーソーを迅速かつ慎重に渡り、二つ目の高跳びもひらりと越える。
袋小路では身体を入れると即座にバックして抜け、平均台を渡る足取りも危なげない。
三つ目の高跳びを跳び、ほとんど水しぶきを上げずに水場を駆ける。
間隔の狭まった二つ目のスラロームを流れるように通り抜けると、最後の障害物に向けて加速した。
四つ目の高跳びは今までのものより一段と高いものだったが、スピルナは空中を走るかのように大跳躍をする。
着地を決めると、その勢いのまま終了地点を駆け抜けた。
ほぼ完璧に近い演技に、自然に観客から拍手が起こる。
時間だけを見れば、クレアは全体二位であり、かなりの好成績だ。
ただ、姿勢の点数が判明していないため、総合は何位であるかは分からない。
クレアがスピルナを駆る姿にはイアンも目を奪われたくらいだ。
決して悪くはない点数ではあるだろう。
クレアが最後の演技者だったが、結果は表彰式の際に発表されるとのことだ。
もどかしい思いはあるが、イアンはノルンの応援へと切り替える。
競争競技の本選になると、再び会場は喧噪に包まれた。
賭け金が上がっているのか、予選よりも大声量の応援が轟く。
本選はコースを二周するようで、一周を過ぎた時点でノルンは五番手を走っていた。
ただ、どうもノルンは気乗りしないのか、促されても速度を上げようとしない。
結局、ノルンの順位は変動することなく終わり、騎手は肩を落としていた。
それから間もなくして、本選に出場した選手たちが自分の馬を連れて入場し、表彰式が執り行われる。
すでに結果が判明している競争馬術の表彰が先に行われた後、障害馬術の結果発表へと移った。
『それでは、障害馬術競技の順位を発表をいたします。第三位、ビル・カーク。第二位、サム・アガター』
二位も三位もクレアの名前は出なかった。
となると、優勝か表彰圏外かのどちらかしかない。
『第一位…』
すぐ傍ではリンダが両手を握りしめて祈り、レイも固唾を呑んで見守る。
周囲が静かなせいか、イアンは自分の心臓の音がやけに大きく聞こえた。
『クレア・ローウェル』
その名前が聞こえた瞬間、イアンたちは立ち上がって歓喜の声を上げた。
一方のクレアはしばらく呆然とした表情を見せるが、両手で口元を覆い、感極まって涙を流し始める。
クレアを気遣ったのかスピルナが優しく寄り添うと、クレアは涙を拭き、スピルナを強く抱きしめた。
その後、表彰台に上がったクレアは大きなトロフィーを贈呈され、優勝者として観客席の前をスピルナに乗って歩く。
緊張しつつも満面の笑顔を振り撒くクレアを誇らしく思い、イアンは大きな拍手を送るのだった。




