88.馬術大会①
馬術大会当日の朝。
イアンはレイとリンダを連れて、王都郊外に設営された会場へ足を運んだ。
閑散とした観客席の一方、競技場では大会に出場する選手たちが調整のために馬を走らせている。
「結構な数がいるね。クレア嬢はどこだろう?」
「これだけ馬がいると見分けがつかないわね。イアン、貴方なら分かるんじゃない?」
「確か白毛の馬だったと思うが…」
イアンは競技場を見渡し、スピルナを探す。
ただ、白い馬は何頭かいたが、それらしき馬は見当たらなかった。
「…ここにはいないな」
「じゃあ、控え室かな?」
「いや、クレアのことだ。馬の傍にいると思う」
「少しの時間なら会えるかしら?一言くらいかけてあげたいのだけれど」
「それなら、探しに行ってみようか」
近くを歩いていた係員を捕まえて場所を尋ねると、どうやら会場外に簡易の馬場があるらしい。
イアンたちがそこへ向かうと、スピルナのブラシ掛けをするクレアを見つけた。
「クレア、応援に来てあげたわよ」
「リンダ!それに、レイ君とイアン君も!」
クレアは手を止めて、イアンたちに駆け寄る。
普段と異なり長い髪をまとめ上げたクレアは、白と黒で統一された馬術用の服を身に纏っていた。
「やあ、クレア嬢。今日は凜々しい姿をしているね」
「馬術部伝統の衣装なんだ。どう?似合ってるかな?」
クレアはその場で一回転し、両手を広げる。
すると、不意にリンダがイアンの脇を小突いた。
何事かとイアンが視線を送ると、リンダがくいと顎で指し示す。
それでイアンはようやくその意図に気付き、口を開いた。
「…ああ、よく似合ってるぞ」
「ありがとう。そう言ってもらえて嬉しい」
クレアは頬を染めて、笑顔を浮かべる。
その様子にレイとリンダは温かい目を向けていた。
「忙しい時にごめんなさいね。私たちはもう行くわ。頑張ってね」
「クレア嬢の演技、楽しみにしているよ」
「二人ともありがとう。私、頑張るね」
「じゃあ、俺も…」
「イアン、僕たちは先に戻るよ」
「ええ、ゆっくり話をしていくといいわ」
事前に示し合わせていたのか、レイとリンダは早足に会場に戻っていった。
その場に残されたイアンは数秒逡巡して、クレアに声をかける。
「…スピルナの調子はどうだ?」
「今日は気分が乗ってるみたいだし、かなりいい感じだと思うよ」
「そうか。本番上手くいくといいな」
「うん…」
会話が途切れ、二人とも黙ったまま時間が過ぎる。
少々気まずい雰囲気の中、、クレアが小さく声を上げた。
「…イアン君。この前と同じこと、またお願いしていい?」
「この前?ああ、あれか」
イアンは選抜の朝のことを思い出し、手を差し出した。
その手をクレアは両手で包み込み、祈るように目を閉じる。
クレアの手は冷たく、わずかに震え、以前よりもずっと力が籠もっていた。
その心境を察したイアンは空いていたもう片方の手を添える。
クレアはピクリと身体を震わせたが、そのまま手を握り続けていた。
「…ねえ、イアン君。私、上手くできるかな?」
クレアが囁くように問いかけてきた。
それに対し、イアンは間髪入れず、芯の通った声で答える。
「大丈夫だ。誰よりも努力してきたんだ。クレアならきっとできる」
イアンの言葉にクレアは顔を上げ、イアンを視界に入れた。
二人の目と目が合い、お互い見つめ合う。
その時間は永遠に続くかのようだったが、放置されっぱなしで痺れを切らしたスピルナの嘶きにより中断された。
我に返ったクレアはぱっと手を放し、気を紛らわすかのように髪型や服装を整え始める。
「えっと…スピルナが呼んでるから、もう行くね」
クレアはそう言って、スピルナのもとへ駆け出す。
ただ、途中で足を止め、イアンの方に振り返って声を上げた。
「イアン君!私の演技、ちゃんと見ててね!」
「ああ、もちろんだ!」
イアンの返答に満面の笑みを浮かべ、クレアは背を向けた。
イアンが観客席に戻ると、席の半分近くが埋まっていた。
その中からレイとリンダを見つけ、イアンは二人の隣に座る。
イアンが来たことに気付いた二人は様子を窺うように視線を送ってきた。
「クレア嬢と話はできた?」
「まあ、言いたいことは言えたと思う」
「あの子、少し緊張していたみたいだったけど、大丈夫かしら?」
「クレアは心が強い奴だ。心配いらないだろ」
イアンのきっぱりとした物言いに、不思議にも二人は納得させられるのだった。
三人で話し込んでいると、盛大なファンファーレが鳴り響き、馬術大会の開会式が執り行われる。
大会は障害馬術の予選から始まるようで、競技場には五つの障害物が配置された。
障害馬術は採点方式であり、踏破した障害物の数・使用した時間・馬を駆る姿勢の三つの項目で点数が付けられる。
ただ、障害物の難度はそれ程高いものではなく、通常その踏破数については差がほとんど出ない。
今大会においても出場者の大半は当然の如く、障害物を全攻略していた。
つまり、高得点を狙うには、時間と姿勢でいかに点を稼ぐかが鍵となる。
しかし、だからといって焦りは禁物。
現に、ある選手が時間を縮めようと無理に攻めた結果、障害物の手前で馬が急停止し、身体を投げ出されるという事故が起きた。
馬との呼吸を合わせることが求められる障害馬術において、馬の意を無視した行動はあってはならないのだ。
そして、残り数組となったところで、いよいよクレアの順番が回ってくる。
開始位置に現れたクレアは若干の緊張はあるようだが、背筋をしっかりと伸ばし、前を見据えていた。
合図があると、スピルナは勢いよく駆け出し、最初の障害物を楽々と飛び越える。
クレアたちが二つ三つと障害物を突破する様子を、レイとリンダはハラハラとしながら見守っていた。
一方のイアンは、クレアから言われた通り、その勇姿をしかと目に焼き付ける。
すべての障害物を踏破し、クレアたちは終了地点を通過した。
目立ったミスはなく、他の選手と比べても遜色ない演技だっただろう。
最後の選手が演技を終えた後、間もなく予選の結果発表が始まった。
『障害馬術の予選通過者を発表します。4番、サム・アガター。11番、…』
48組の出場者に対し、予選では十組に絞られるという。
だが、クレアの番号が近付くまでに出場枠が残り一つとなってしまった。
さすがのイアンも息を呑み、司会者の声に耳を傾ける。
『…45番、クレア・ローウェル。以上の十組を本選出場とします』
淡々と読み上げられる通過者の中に、確かにクレアの名前があった。
聞こえた瞬間、レイとリンダは声を上げて喜び、イアンはぐっと拳を握り込んだ。




