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85.研究室

イアンはとある扉の前に立ち、軽くノックする。

数秒後、バタバタと中から音がしたかと思うと、勢いよく扉が開き、ネルが顔を出した。

「なんだ、イアンか」

「おい、あからさまにがっかりした顔をやめろ。お前が呼びつけたんだろうが」

「そうだっけ?」

ネルはとぼけたように首を傾げる。

イアンの言う通り、ここを訪れたのは、研究室に来てほしいとネルから手紙が届いたからだ。

ただ、当の本人はすっかり忘れていたらしい。

「ネル、とりあえず中に入ってもらったら?」

「ああ、そうだな。ほら、入っていいぞ」

「なんでそんなに偉そうなんだよ…」

イアンは呆れながら部屋に入る。

研究室内はイアンの予想とは違い、器具や書物などはきれいに整理整頓されていた。

「どうぞ、こちらにおかけ下さい」

見覚えのある眼鏡の女子生徒がイアンに席を勧める。

イアンが腰を下ろすと、すぐにその女子生徒が飲み物と菓子を運んできた。

「ありがとう。確か、ネルの友だちだったよな?」

「はい、ナタリー・マクラウドです。ネルと仲良くさせてもらっています」

ナタリーの受け答えはまるで友人の父親に対するような態度だ。

イアンがネルの保護者のような立場であることもあるが、やはりイアンを警戒しているのだろう。

おそらく例の現場に鉢合わせたであろうし、イアンと直接会話したこともないので、仕方がないことだとイアンは割り切る。

すると、紙の束を持ったネルがイアンの正面に座り、ナタリーもその隣に腰掛けた。

ネルはイアンの前に書類を並べると口を開く。

「早速だけど、イアンにはあたしたちの研究を手伝ってほしいんだ」

「手伝うといっても、俺に何かできると思わないが?」

「そんな難しいことじゃないよ。あたしのギフトの検証のために、怪我をしてもらうだけだね」

「つまり、俺に実験台になれということか?普段はどうしてるんだ?」

「リビーから患者を分けてもらうか、自分たちで傷作ってやってる」

「お前らも身体張ってるな。それだと足りないのか?」

「うん。治療に来るのは軽傷の人ばっかだし、あたしたちもあんまり無理できないから、必要なデータはあんまり取れないんだよ」

「それで俺に頼んできたと?」

「イアンなら痛みに強そうだし、何だかんだやってくれそうだから…」

ネルは顔の前で手の平を合わせる。

「頼む!この通り!」

「私からもお願いします」

ナタリーも深々と頭を下げた。

「…俺のできる範囲であれば、構わないぞ」

「本当か!?ありがとう!」

ネルはイアンの手を取り、ブンブンと振る。

「で、何をすればいい?」

「詳細はこの資料に書いてるけど、切創・刺創・火傷・骨折・切断…」

「ちょっと待て。切断って腕でも切り落とすのか?」

「そのつもりだよ。まあ、治る保証は…ない」

「おいおい、大丈夫か、それ?」

「あたしたちも切断については慎重にやらなくちゃと思ってる。あと傷の治療以外だと、病気や毒とか…」

イアンは資料をじっと読み込む。

書面には実験の内容・方法が詳しく記載されており、安全性についても多少は考慮はされているようだった。

書類のすべてに目を通し、イアンは口を開く。

「実験の詳細は分かった。ただ、その前に伝えておくことがある」

「何だ?やっぱり協力はできないのか?」

「いや、そういうことじゃない。俺の体質についてだ」

イアンはナイフを取り出すと、軽く自分の腕に切り傷を付ける。

「え?いきなり何してんだよ?」

「まあ、少し見てろ」

イアンの腕の傷からは血が溢れていた。

だが、十秒もすると傷が塞がり始め、一分後には傷は消えてなくなる。

ネルもナタリーもその過程を、息を呑んで見ていた。

「なんだこれ…?」

「見ての通り、俺の身体は異常に治りが早いらしい」

「それは、ギフトではないのですか?」

「さあ、どうだろうな?ギフトにしては効果が微妙だし、仮にそうだとしても判別する方法もないからな。まあ、俺が言いたいのは、この体質が実験に影響するかもしれないということだ」

イアンの伝えた事実に、ネルとナタリーは顔を突き合わせて、相談を始める。

「どうする?」

「実験に影響する要素を含めるのはよくない気がする。でも、イアン先輩以上に適任な被検体はいないし…」

「せっかく何でもやってくれそうな実験台だからな」

目の前に本人がいるというのに、二人の会話に一切の遠慮がない。

イアンは実験動物として見られているような気がしてならなかった。

「…とりあえず、同意だけもらっといて、リビーに相談するか」

「そうだね。それがいいかも。もしかしたら、リビー先生も実験台になってくれるかもしれないし」

その会話にこの二人は意外と似たもの同士なのかもしれないとイアンは感じた。

ナタリーとの相談を終えたネルはイアンに向き直ると、書類を差し出す。

「イアンの体質のことは考えておくよ。この同意書に署名だけしてくれ」

何も思うことがないわけではなかったが、イアンはさっさと同意書に署名をした。

それをナタリーが受け取り、丁寧にファイルに保管する。

「それじゃあ、実験の日程が決まったら連絡するよ」

「ああ、分かった。しかし、お前も随分まともになったな。昔と比べたら雲泥の差だ」

「は?そこまでじゃないだろ?」

「いや、結構酷かったぞ?読み書きはできない、俺に反抗する、終いには学園を辞めたいだ。これだけでも相当な問題児だったろ」

「馬鹿、やめろ!」

ネルはイアンの口を塞ごうと立ち上がる。

「だが、こうしてちゃんとやってると分かって安心したよ」

「何だよ、急に…」

イアンの柔らかい声に、ネルの勢いは急激に萎み、ゆっくりと元の位置に戻る。

「…イアンやクレア姉ちゃんたちがあたしを見捨てなかったおかげだよ。それに、今はナタリーが傍にいるし…」

「うん、私もネルがいてくれるから、毎日が楽しいよ」

「ナタリー…」

笑顔で語りかけるナタリーにネルは目を潤ませる。

その光景にイアンの頬も自然に緩んだ。

「いい友だちができたな。ナタリー、これからもネルを頼む」

「はい、任せて下さい」

「さて、今日はこれで終わりか?」

「うん、伝えたいことはこれで全部だけど…」

ネルは語尾を曖昧にさせ、何やら言い淀む。

すると、ナタリーが口を開く。

「ネルはイアン先輩ともう少し話したいそうですよ」

「は!?ナタリー、何言って…!」

「ほら、カレンダーにも印を付けて楽しみにしてたんでしょ?」

ナタリーの指差したカレンダーには、今日の日付に目立つ印が付けられていた。

「へえ、お前も可愛いところがあるな」

ネルは顔を赤くして、ナタリーの肩を叩くのであった。

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