77.来訪者
トマスの顔面狙いの蹴りに、イアンは身体を仰け反らせる。
「ほれ、立て直しが遅いぞい」
そう指摘しつつ、まだ体勢が整っていないイアンをトマスが投げた。
イアンは受け身を取り、即座に起き上がるが、そこにトマスの拳が飛んでくる。
その拳を受け止めた瞬間、トマスに腕と足を取られ、地面に転がされた。
どうやら今の拳は囮だったらしい。
その後もトマスの攻撃の手は止まらず、鍛錬が終わる頃にはイアンはボロボロになっていた。
「今日はこれくらいにしておこうかの」
「ありがとうございました…」
過呼吸気味なイアンに対し、トマスは息一つ乱していない。
イアンと同程度の運動量であったことを考えると、いかにトマスの動きに無駄がないことが分かる。
トマスがその場から立ち去り、イアンが休憩していると、ダリルが声をかけてきた。
「休日だというのに精が出るな、戦友よ」
「他にやることもないし、まだまだ鍛え足りないからな」
「いい心構えだ。しかし、今日は珍しく防戦一方だったようだが?」
「さっきのは俺からの攻撃が禁止されてたんだ。防御を通して、攻撃を見極める目を養うんだと」
「なるほど。それは面白い試みだな。僕もやってみたい。相手を頼む」
そうして小一時間ほどダリルと模擬戦を行った後、イアンは泥で汚れた服を着替えようと寮に足を向ける。
その道中、背後から駆け寄ってきた教官に呼び止められた。
「イアン、ここにいたか。緊急の用件だ。今すぐ私と来てくれ」
その教官は焦った様子でイアンを応接室に連れて行く。
応接室に入ると、中央のソファに防衛部門の部門長が座っていた。
そして、その正面では白い制服に身を包んだ壮年の男が優雅に紅茶をすすっている。
男の後ろには同じく白い制服の若い男が立ったまま控えていた。
「部門長、イアンを連れて参りました」
「ご苦労。君は下がって構わないぞ」
イアンを案内した教官が出て行き、一人残されたイアンに注目が集まる。
すると、部門長が眉間にシワを寄せ、口を開いた。
「おい、何故そんなに汚れている?」
「先程まで訓練をしていましたので…」
「まったく、着替えくらいしてこないか」
部門長は手を額に当て、ため息を吐いた。
イアンだって着替えたかったが、そんな暇もなく連れて来られたので仕方がない。
「…失礼。ランドルフ様、彼がイアンです」
「ほお、彼が例の…」
ランドルフは腰を上げ、イアンの前に立つ。
「王室近衛兵団副団長を務めるランドルフ・ソーウェルだ。よろしく」
「イアンです」
イアンが差し出された手を取ると、ランドルフはぐっと手に力を込め、顔をにじり寄せる。
柔和な顔立ちの割に、その圧迫感は凄まじい。
ただ、イアンにはこの程度のことは慣れたものだった。
「…ふむ、一切動じる様子がないか。いい鍛え方をしているな」
ランドルフはイアンの肩を叩き、再びソファに座る。
「さて、今日こうして学園に足を運んだのは、君に協力を依頼したいからだ」
「協力ですか?」
「“カラス”という名を聞いたことはあるだろう?」
聞いたも何も、これまで三度対峙した相手だ。
素顔こそ見たことはないが、その実力はよく知っている。
「その“カラス”が王国の秘宝である“精霊の瞳”を狙っているという情報が入ってね。その対策を講じる上で、“カラス”と実際に会った君の話を参考にしたい」
「分かりました。俺が知っている範囲であれば…」
イアンは一呼吸おいて、“カラス”と遭遇した経験を事細かに話し出す。
イアンの話に、科長と青年は時々驚いた表情を見せていたが、ランドルフは興味深そうに聞いていた。
「…なるほど。つまり、“カラス”の特徴をまとめると、不要な殺しはしない。変装が得意。逃げの算段を持っている。そして、魔導師であるということだね」
「はい。ただ、魔導師といっても、近接戦闘に長けた魔導師です」
「それは厄介だな。ただの魔導師ならば、間合いを詰めれば制圧は容易なのだが。それに変装されるのも面倒だ。使用人にでも紛れ込まれたら判別のしようがない。君は“カラス”の変装をどうやって見破ったんだ?」
「…勘、としか言いようがないです」
「そうか…」
ランドルフはしばらく考え込んだ後、指を鳴らした。
「よし。イアン、君を近衛兵団へ入団させるとしよう」
ランドルフの発言にその場にいた全員が目を見開く。
「お、お待ち下さい。彼はまだ学園生の身で…」
「なに、入団させるといっても一時のことだ。我々には“カラス”と直接対峙した者はいない。彼がいれば心強い味方になるだろう。それに“カラス”は不要な殺しはしないということならば、身の危険は少ないはず。何も問題はないと思うが?」
ランドルフの圧のある説得に、部門長は首を縦に振りかける。
「待って下さい。僕は反対です」
それまで黙っていた青年が口を挟んだ。
「ニール、何故そう思う?」
「彼に経験があるのは認めます。しかし、近衛兵となるには些か実力が不足しているのではないでしょうか?」
「ならば、自分の目で確かめるといい。部門長殿、修練場を貸してくれるか?」
「は、はい。どうぞ…」
科長の許可もあり、修練場に移動したイアンはニールと対峙する。
「学園生であろうと、手加減はしない」
「はい。お願いします」
「では…始め」
ランドルフの合図で、ニールが先手を取って斬りかかってくる。
さすがは現役の近衛兵。
その一太刀は、決して学園生が反応できるものではなかっただろう。
ただし、それはイアンでなければの話だ。
ギルバートやダンの剣速を体感してきたイアンには、ニールの剣が随分ゆっくりに見えていた。
ニールの初撃をイアンは捌き、そこから激しい剣撃の応酬が繰り広げられる。
両者一歩も譲らないまま時間が過ぎ、想定外の長期戦はニールの剣を僅かに鈍らせた。
その一瞬の隙を突き、イアンは腕と足を取ってニールを投げる。
トマスほど完璧な投げではなかったが、ニールの背を地面に叩きつけた。
「そこまで。すばらしい戦い振りだった。最後の投げは誰に教わったのだ?」
「トマスじ…先生です」
「トマス?もしやトマス老のことか?」
「知ってるんですか?」
「トマス老は先々代の近衛隊隊長だ。剣よりも体術が得意な御仁だったと聞く」
只の老人ではないとは思っていたが、その経歴を聞いて腑に落ちた。
「さて…ニール」
ランドルフがニールに鋭い視線を向ける。
「何故負けたかは理解しているな?我々は王を守護する近衛兵だ。己の利を求め、本分を見失ってはならない」
「はい…」
ニールは悔しげに歯を噛みしめる。
「では、イアン。“カラス”の件、頼むぞ」
ランドルフはイアンの肩を叩くと、ニールを連れて修練場を後にした。




