76.巡回
「おい、遅いぞ。キビキビ歩け」
前を歩くアガサが振り返り、厳しい口調でイアンに叱咤する。
「なあ、もう少し気楽にやっていいんじゃないか?」
「これは私たちに与えられた責務であり、確実に完遂しなければならないことだ。そんな腑抜けた心構えでどうする?」
そう言い放ち、アガサは再び歩き出した。
イアンは小さくため息をつき、その後ろを付いていく。
今日は精霊祭なのだが、防衛部門の生徒には巡回警備の任務が与えられていた。
巡回は二人一組で行われ、くじ引きの結果、イアンはアガサと組むことになった。
主な仕事としては、交通整理やトラブル対応、犯罪抑制などだ。
万が一に備え、武器の所持も許可されており、イアンとアガサも腰に剣を携えている。
ただ、巡回といっても、学園生はあくまで衛兵の補助に過ぎない。
そのため、それ程気を張る必要もなく、巡回の傍ら精霊祭を楽しんでいる者も少なくない。
しかし、アガサは任務に一切手を抜かず、いい香りを漂わせる屋台に目もくれなかった。
おかげで、イアンは腹を空かせた状態のまま、街中を歩き回っていた。
しばらく巡回を続けていたところ、レイとオルガにばったり出会う。
「お、イアンやん。アガサも久しぶりやな」
「イアンとアガサ嬢が一緒なのは珍しいね」
レイが少し驚いた表情を浮かべた。
「これが任務だからです。好き好んで共に行動しているわけではありません」
「ああ、そうか。防衛部門だとそういう仕事もあるんだね…イアン、もしよければ食べるかい?」
「助かる」
イアンがひもじくしているのを察したレイが串焼きを差し出してくれたので、イアンは遠慮なく受け取った。
串焼きにがっつくイアンにアガサは良い表情をしていなかったが、気にすることなく胃に入れてしまう。
「レイとオルガは二人で精霊祭を回っているのか?」
「せやで。同じ研究室のよしみで、引っ張り出してきたったわ」
「強引に連れ出したのか?大丈夫か、レイ?」
「まあ、最近ちょっと根を詰め過ぎてたから、オルガ嬢が誘ってくれて良かったかな」
そう言うレイの目には濃い隈ができていた。
「オルガ様も研究部門だったのですか。てっきり政務部門を選ぶと思いましたが…」
「確かにうちの父様がエレドナ自治区の長やから、その選択肢はあったで?でも、せっかく学園におるわけやし、好きなことせな損やん?」
「俺もその考えには賛成だな。にしても、随分饒舌になったな」
「むしろこれが本来のうちや。うちのしゃべりはなかなか評判ええねんで」
オルガは自慢げに胸を張った。
「じゃあ、そろそろ行こうかな。巡回頑張って」
「ああ。レイも無理するなよ」
「うん、ありがとう」
「ほなまた。お、あれ何やろ?レイ、行くで!」
オルガはレイの腕を取って走り去る。
その勢いの良さにイアンはレイのことが心配になった。
「私たちも任務に戻るぞ。あと、口の周りを拭いておけ」
確認すると、先程の串焼きのたれが口元に付いていた。
イアンが汚れを拭き取っていると、突然何かが割れる音と怒号が響く。
「おい、行くぞ!」
そう言って、アガサは先に駆けていってしまう。
後を追いかけたイアンが現場に到着すると、男二人の喧嘩をアガサが仲裁しようとしていた。
「このような往来で喧嘩など迷惑だ。速やかにここから立ち去れ」
「うるせえよ!男同士の喧嘩に女が出しゃばるんじゃねえ!」
「そうだ!お前が失せろ!」
「な、何だと!私は治安を守る立場だ!見過ごせるはずがないだろ!」
男二人の喧嘩だったはずが、アガサと男二人の言い争いになり、イアンは頭を押さえた。
正義感の強いアガサは喧嘩を止めることこそが正しいことだと思ったらしい。
しかし、今回の場合、両者の力は同程度であり、一方的な喧嘩ではない。
となると、まず周囲の人々を遠ざけ、安全確保を優先するべきだった。
男たちは喧嘩を続けるだろうが、少なくとも怒りの矛先がこちらに向くことはない。
適度に怒りを発散させた後で介入した方が、当事者が痣を作る程度の被害で済んでいただろう。
ただ、アガサが先急いで介入してしまったため、もうその手段は使えない。
イアンはアガサと男二人の間に割って入る。
「お邪魔して、すみません。とりあえず、皆さん落ち着いてもらえますか?」
「はあ!?落ち着けだと!?舐めてんのか!?」
「忠告しておきますが、俺たちはこの場であなたたちを斬る権限があります」
イアンは腰に下げた剣を少し抜いてみせる。
それを見た途端、男二人の威勢は急激に失われた。
「衛兵を呼んできてくれ。俺は事情を聞いておく」
「…分かった」
アガサは唇を噛み、衛兵を探しに向かう。
その間、イアンは喧嘩の経緯を聞くと、実にくだらない理由だった。
男二人を衛兵に引き渡した後、巡回を再会するが、アガサの足取りは随分重い。
「…すまない。迷惑をかけた」
「そういうこともある。気にするな」
イアンの後ろをトボトボとついてくるアガサをどうするかと悩んでいると、精霊祭を楽しむネルたちの姿が目に入った。
「あ、イアンだ」
ネルがイアンに気付いて駆け寄り、一緒に付いてきたリンダがアガサを見て眉をひそめる。
「奇遇ね。二人で何をしているの?」
「巡回の仕事中だ。そっちは三人で廻ってたんだな」
そこにはクレアもいたが、なぜか一歩離れた位置で固まっていた。
「ネルのお父さんの工房に行ってきたのよ。とても腕のいい職人だったから、うちとの取引をお願いしたわ」
「そうなのか。よかったな、ネル」
「うん、やっぱり親父はすごい人だったよ」
ネルは嬉しそうに笑みを浮かべた。
「そういえば、お前勉強はどうなんだ?」
「心配しなくても大丈夫。この前の小テストで満点取ったんだ」
「おお、やるな。四年生からはどうするか決まっているのか?」
「なんか、リビーが新しく研究室を作るみたいで、そこに行くことになったよ」
「それは…少し不安だな…」
レイかオルガにネルのことを頼んでおこうかとイアンが考えていると、それまで黙っていたクレアが口を開く。
「あ、あの…イアン君とアガサさんは恋人なの?」
「は?」
クレアの質問にイアンは思考停止した。
そこにアガサが声を荒げて口を挟む。
「そ、そんなわけないだろ!こんな奴を好きになるなど、天地がひっくり返ってもありえない!」
「じゃあ、付き合っていないんですね!」
息を巻いて否定するアガサに対し、クレアは安堵した表情を浮かべる。
「…っ、私はもう行くぞ!」
アガサは肩を怒らせて歩き出す。
イアンは全力の拒絶に何も感じないことはなかったが、ひとまずアガサの調子が戻ったので良しとするのだった。




