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75.オールダム一家

ある休みの日。

イアンが朝食を食べて寮に戻ってくると、カルヴィンが扉の前で待ち構えていた。

ただ、その姿はいつものラフな格好ではなく、よそ行きの服を着込んでいる。

「イアン。お前、今日暇か?」

「予定はないですけど…」

「よし。なら、もうちょっとマシな服に着替えてこい。出掛けるぞ」

よく分からなかったが、促されるがままにイアンは支度を始める。

ただ、マシな服と言われても、イアンの持つ私服はどれも今身に着けているものと大して代わり映えしない。

考えた末にイアンは制服を着ることにした。

「おいおい、制服かよ。他になかったのか?」

カルヴィンは呆れ顔を見せる。

「これが一番まともな服なので」

「まあいいか。時間もないし、行くぞ」

カルヴィンがとっとと歩き出し、イアンはそれを追いかけた。




学園を出てからというもの、カルヴィンにしては珍しく、一言も喋らずに進んでいく。

見慣れた大通りや王城の前も通り過ぎ、20分は歩いただろう。

イアンたちの目の前に荘厳な教会が見えてきた。

エッジタウンにあった教会は小さく質素だったが、王都の教会は巨大であり、柱や壁に彫刻がなされ、それだけでも芸術作品のようだ。

ただ、カルヴィンがさっさと中へ入っていったので、その美しい外観を眺める間もなく、イアンは教会に足を踏み入れる。

教会の中には多くの長椅子が並べられており、それらがほぼ満席になるほどの人が集まっていた。

その大半が平民のようだが、誰も彼も小洒落た格好をしている。

イアンは座る場所を探すが、空きがほとんど見当たらない。

「おい、こっちだ」

カルヴィンはそう言って、どんどん前の方に向かっていく。

一番前の長椅子まで来ると、そこには男女二人だけが座っていた。

女の方がカルヴィンに気が付き、顔を綻ばせる。

「お兄様!来ていただけたのですね!」

「あれだけ手紙を送られたら、無視するわけにはいかないだろ」

「…元気にしていたか?」

「ええ、まあ…」

それらのやり取りから、二人がカルヴィンの家族であると分かる。

妹との関係は悪くなさそうだが、父親とのやり取りは少々ぎこちなかった。

「ところで、そちらの殿方はどなたですか?」

「ああ、こいつはイアン。俺の同室の後輩だ」

「まあ!では、彼が例の“狂犬”さんなのですか?」

妹の方は目を瞬かせ、父親は眉をピクリと動かした。

「イアン、紹介する。俺の父と妹だ」

「ウェズリー・オールダム男爵だ」

「ミリアム・オールダムです。兄がお世話になってます」

「イアンです。こちらこそ、カルヴィン先輩にはいろいろと良くしてもらっています」

自己紹介が済むと、ミリアムがイアンの顔をじっと見つめた。

「…何だか、想像していた“狂犬”さんとは随分違いますね。学園だと、牙や角が生えた化け物のような方だと噂されていたので…」

どんな噂だと思わずツッコミたくなったが、イアンはぐっと堪えた。

「俺も最初はそう思った。でも、話してみれば、言うほど悪い奴じゃないぞ」

「それならぜひ、私もお話してみたいです。今度、お茶会でも…」

「お前たち、そろそろ時間だ。座って静かにしなさい」

ウェズリーの言葉により、イアンたちは椅子に腰を下ろした。

一番前の席なので、正面にあるピアノとステンドグラスがよく見える。

ステンドグラスには女神の姿が描かれており、陽光により神々しく光っていた。

以前にレイから聞いた話だが、王国には女神信仰と精霊信仰がある。

前者は世界的に主流の信仰である一方、後者は王国土着のもので、建国以来王族は精霊信仰なのだそうだ。

ちなみに、女神に誓う行為というのはほぼ呪いに等しく、約束を違えると必ず天罰が下るらしいのだが、そんなことイアンには知る由もなかった。

定刻の鐘が鳴ると、司教が壇上に立ち、挨拶を述べ始める。

「皆様、本日はようこそお越し下さいました。これより、マルヴィナ・オールダム様、イライアス・オールダム様による美しい音楽を女神様に捧げさせていただきます。どうか皆様、ご静聴の程、よろしくお願いいたします」

すると、舞台の袖からマルヴィナとイライアスが現れる。

マルヴィナが観客の方を向いて立ち、イライアスがピアノの前に座った。

そして、静かにピアノの前奏が始まる。

その演奏だけでも心を動かすには十分だっただろう。

だが、マルヴィナが歌い始めると、それどころでは済まなかった。

教会中を優しく包み込む歌声は、人々の心を鷲掴みにし、釘付けにさせる。

誰もがその旋律に聴き入り、イアンも例外ではない。

イアンはこのような心の奥底まで届くような音楽を聴くのは初めての経験だった。

小一時間ほどの演奏が終わり、二人が礼をすると、観客からは割れんばかりの拍手が起こり、イアンも釣られて自然に手を大きく叩いていた。

演奏会の後、教会の一室でイアンは改めてカルヴィンの家族に紹介される。

「母のマルヴィナ・オールダムです。息子がお世話になります」

「兄のイライアス・オールダムだ。カルヴィンは学園でちゃんとやっているのかな?」

マルヴィナは超の付く美人であり、年齢を感じさせない見た目をしていた。

また、イライアスはカルヴィンと似ているが、物腰柔らかな印象だ。

カルヴィンに関する質問に答えていると、不意に視線を感じた。

それはウェズリーとミリアムからのものだった。

「ふむ、題材としてはなかなか良いな」

「はい、いい構想が浮かんできそうです」

何やら不穏な会話だったが、イアンは聞こえないふりをする。

だが、ウェズリーがイアンの肩を叩いた。

「イアン君、服を脱いでくれないか?」

「は?」

突然の頼み事にイアンは唖然とする。

「君の肉体をモチーフにして創作したい。身体をよく見せてほしい」

「ちょっと待って下さい。突然そんなことを言われても…」

「私からもお願いします。これは芸術のためなのです」

まさかのミリアムからの援護射撃にイアンはたじろいでしまう。

「なんで俺なんですか?筋肉を描きたいなら、騎士団とかにでもいるでしょう?」

「私たちが求めているのは、若く健康的で均整の取れた肉体だ。そのすべてに当てはまっている君の身体は最高の題材なんだよ」

興奮気味のウェズリーの言葉に、ミリアムは大きく首を縦に振って賛同する。

イアンはカルヴィンに助けを求めようと視線を送る。

だが、カルヴィンはさっと目を逸らした。

そこでイアンは気付く。

自分は生け贄にされたのだと。

暴走した芸術家たちを止めることは誰にもできず、イアンが解放されたのは日がとっぷりと暮れた頃だった。

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