62.引っ越し
イアンは自分の荷物が入った箱を104号室の扉の前に置いた。
そして、軽く汗を拭ってから扉をノックする。
すると、ドタドタと中から音がし、勢いよく扉が開いた。
「よう!よく来たな!」
部屋の住人である男子生徒が笑顔でイアンを出迎えた。
王立学園では四年生から専攻が別れるのに伴い、寮が変わる。
引っ越しの時期は旧六年生たちが卒業した後であり、必然的に夏季休暇の最中となる。
そのため、新四年生たちが大荷物を抱えて移動する光景は、入学試験と共に王立学園の風物詩といえるだろう。
新しい寮でも基本的に一人一部屋を与えられることになっているが、防衛部門戦闘科においてのみ、その方針は異なる。
防衛部門戦闘科の場合、一人部屋ではなく、同じ科に所属する四・五・六年生が一名ずつ同室に割り当てられる。
つまり、これから先輩・後輩での共同生活が始まるということだ。
「俺は戦闘科五年のカルヴィン。オールダム男爵の次男坊だ。よろしくな」
「イアンです。よろしくお願いします」
カルヴィンはイアンの手を握り、ブンブンと振る。
その軽薄そうな見た目や言動の割には、カルヴィンの手の皮は厚かった。
「それじゃあ、次はデューク先輩の紹介を…って、あれ?デューク先輩?」
「うるさい。静かに行動できないのか?」
「うおうっ!」
いつの間にかイアンたちのすぐ傍に男子生徒がいた。
背は低く、オルガより少し大きい程度だ。
しかし、小柄な体格を加味しても、これだけ近寄られてまったく気配を察知できなかったことに、イアンは驚きを隠せなかった。
「先輩、気配消して近付かくのはやめてほしいっす。心臓に悪いっすよ」
「そいつが新しい同室の奴か?」
「はい、イアンっていうらしいっす」
「イアン?あの“狂犬”か?」
「え?“狂犬”って去年話題になった奴っすよね?こいつがそうなんすか?」
「どうなんだ?」
二人から視線を向けられ、イアンは観念して口を開く。
「一応そうらしいです。自分で名乗った覚えはないですが…」
「ほー、聞いていた印象と随分違うな。まあいい。六年のデューク・ハイドンだ」
「あ、イアンです。お願いし…」
突然の自己紹介にイアンは慌てて挨拶するが、最後まで聞くことなくデュークはさっさと部屋を出ていこうとする。
「先輩、どこ行くんすか?」
「訓練だ。お前はそいつにいろいろと教えとけ」
「了解っす」
デュークは振り向きもせず、出かけていった。
デュークを見送った後、カルヴィンはイアンの方に向き直る。
「デューク先輩は初対面の相手に対してはあんな感じなんだよ。でも、慣れたら案外面白い人だって分かると思うぜ」
「はあ…」
「じゃあ、部屋の案内をするから入ってくれ」
カルヴィンは部屋の中へとイアンを招き入れた。
104号室は角部屋であり、二つの窓から光が差し込んでいる。
左手の窓の傍にベッドが一つ、その反対の壁には二段ベッド、正面の窓の前には机が三つ並べてあった。
意外にも机の上やベッドはしっかり整理整頓されており、床に埃の欠片も落ちていない。
「お前の寝床は二段ベッドの下な。机は右端のを使ってくれ。荷物は表にあるやつだけか?」
「はい、そうです」
「それなら、そこの棚で足りそうだな」
カルヴィンはベッドの脇を指差した。
小さめの棚だが、イアンの荷物の量には十分だろう。
「んで、これが部屋の鍵と棚の鍵だ。失くさないようにな」
「分かりました」
カルヴィンは二つの鍵をイアンに渡す。
「いいか?特に部屋の鍵は絶対に失くすなよ。ブチ切れたデューク先輩は恐ろしいぞ」
前科があるようでカルヴィンはイアンに念押しする。
「よし、最後にこの部屋のルールを教えておく」
カルヴィンは指を立てる。
「一つ、自分のことは自分でやれ。他の部屋だと、先輩が後輩をこき使うようなことがあるらしいが、うちは違う。先輩だろうが後輩だろうがてめえの世話はてめえでやれ、ってのがデューク先輩の方針だ。初めてそれを聞いた時はかなりの衝撃だったぜ」
カルヴィンは当時のことを思い出すかのように、うんうんと頷いた。
「二つ、部屋を散らかすな。机の上に物を置きっ放しにしない、シーツのしわは伸ばす、掃除はこまめにする。時々デューク先輩が姑のようなチェックを抜き打ちでやるから、普段から整理整頓はやっておけよ」
どうりで男所帯にしては部屋がこんなにもキレイなのだと、イアンは納得する。
「三つ、パフォーマンスの維持や体調の管理は怠るな。早寝早起きを心がけろ。夜更かししてたら強制的にデューク先輩に眠らされるぞ。ちなみに、俺はこれまでに五回は締め落とされた」
何故かカルヴィンは得意気に語る。
カルヴィンの口振りからして、部屋のルールはすべてデュークが決めたようだった。
ただ、どのルールも理に適ったものであり、イアンも従うことに異論はない。
「とりあえず、部屋のルールはこんなもんだ。ああ、そうそう。念のため言っとくが、デューク先輩には逆らわない方がいいぜ」
「何か経験でもあるんですか?」
「俺自身はないな。ただ、聞いた話だと、卒業した先輩の中でデューク先輩の逆鱗に触れた奴がいて、徹底的に叩きのめされたらしい。俺が前に見た時は、その先輩がデューク先輩の舎弟みたいに頭を下げてたぜ。この間卒業した同室の先輩もデューク先輩にはかなりビビってたな」
「その先輩は気の毒でしたね。でも、カルヴィン先輩はデューク先輩に物怖じしていないように思えましたが?」
「俺はデューク先輩のことを尊敬しているからな。あの人は身体は小さいけど、強いし、器がすげえでかいんだ。デューク先輩には何回も助けられてるよ」
カルヴィンの表情からするに本心で言っているようだった。
とりあえず、デュークとの付き合いは慎重に進めなければならないとだけ覚えた。
「よし。それじゃあ、荷物を片付けたらメシ食いに行くぞ。ついでに、施設も案内してやる」
「今までとは違うんですか?」
「四年生からは各科の専用のとこがあって、訓練場とか食堂とか全部違うぞ。まあ、他を使ったらダメということはないけどな」
「そうなんですね。じゃあ、急いで片付けます」
「いや、急がなくていい。時間掛けてもいいから、きっちり片付けろ。散らかった部屋をデューク先輩に見られる方がやばい」
「…分かりました」
イアンは自分の荷物を可能な限り丁寧かつ手早く片付ける。
その後、カルヴィンに連れられて防衛部門の施設を見て回り、その充実した設備に期待が膨らむのだった。




