52.冬の一日
イアンが中級火魔法のファイアサークルを発動すると、周囲の雪が湯気を立てて蒸発する。
「おーい!こっちの雪も頼む!」
「今、行きます!」
イアンは呼ばれた先に向かう。
冬期休暇にローウェル男爵領を訪れたイアンは街道の除雪作業を手伝っていた。
今年も雪は腰の高さまで積もり、道を完全に埋めている。
イアンたちが教えた魔方陣も活用されているそうだが、主要な施設に設置するだけに留まるとのこと。
それ以外の場所では雪が積もる度に人力で対応しているらしく、今日の除雪作業もかなりの人数が動員されていた。
ただ、イアンがいる今は、魔法によって通常より何倍も速く作業が進んでいる。
目的地の村がすぐそこに見えた頃、除雪の終わった道をクレアが馬で駆けてきた。
「おお、クレア様だ」
「相変わらず活発な子だな」
「かわいい…」
「罵られたい…」
一部の怪しい発言を除けば、領民たちのクレアへの反応は好意的なものばかりだ。
作業中の人々の傍まで来ると馬を止め、クレアはヒラリと飛び降りる。
「皆さん、お疲れ様です。差し入れを持ってきましたよ」
クレアは馬に乗せた荷物から差し入れを取り出し、領民たちに配り始める。
その間にイアンは村までの残りの雪を解かし、道を開通させた。
「お疲れ様。はい、これイアン君の分」
クレアはイアンにカップを手渡す。
中身は温かいスープで、一口飲むと冷えた身体に染み渡った。
「それにしても、もう開通できたんだね。魔法なしだったら、三日以上かかる重労働なんだよ」
「ここに魔法を使える奴はいないのか?」
「いるにはいるんだけど、雪を解かすほどの火力を出すのは厳しいんだって」
「ああ、それが普通だったな」
この世界において、魔法を使える人間は少数派であり、魔法を満足に扱える者となればさらに数は減る。
学園では魔法に熟達している人間が周りにいくらでもいるので、感覚が狂うのも無理はなかった。
「そうだ。イアン君、これから一緒にお出かけしない?連れて行きたい場所があるの」
「いや、まだ雪掻きの仕事が…」
「よし!今日のノルマは達成だ!よって、今日はここで解散!」
イアンが断ろうとすると、後ろから作業終了の声が聞こえる。
言葉の途中で固まったイアンを、クレアはニヤニヤして見ていた。
イアンは気を紛らわすように頭を掻く。
「…俺はここには働きに来てるのであって、遊びに来てるわけじゃないぞ?」
「じゃあ、私たちの護衛ってことならいい?」
「まあ、それなら…」
「決まりだね。それじゃあ、私は先に戻るね。イアン君は慌てないでいいから」
クレアは馬にまたがると、颯爽と駆けていった。
イアンが屋敷に戻ると、準備万端のクレアたちが待っており、すぐに出発となる。
ミックは妻のコリンナを前に乗せ、クレア・イアン・メイドのアンはそれぞれ一人で馬の手綱を握った。
アンが先導し、薄く雪が積もった林の中をゆったりと進んでいく。
生き物の気配はほとんどない静寂の中、馬が雪を踏む音が鮮明に耳に届く。
「イアン君、ロドナの乗り心地はどう?」
「ロドナ?」
「その子の名前だよ」
クレアはイアンがまたがる馬を指す。
「ああ。乗り心地はかなりいいな。乗っていてほとんど負担がない」
「ロドナは気遣い屋さんだからね。でも、イアン君の乗馬が上手くなったのもあると思うよ」
「そうか?自分じゃよく分からないが…」
「前は動かそうとしてたけど、今は動きに合わせてるって感じだね。だから、ロドナも気持ちよさそうに歩いてるんだよ」
クレアがそう言うと、ロドナは肯定するように鼻を鳴らした。
「そうそう、イアン君に相談があるんだけどいいかな?」
「別に構わないぞ」
「えっと、一年生の時にイアン君が大会での優勝を目指したらどうかって言ってくれたよね?でも、あんまり上手くいってなくて、今年も代表になれなかったんだ…」
声が尻すぼみに小さくなり、クレアは肩を落とした。
クレアは毎日馬術部に顔を出すほど熱心に取り組んでいる。
にもかかわらず、代表落ちするというのがイアンには不思議に思えてならなかった。
「クレアは競争と障害のどっちで出てるんだ?」
「私は競争だよ。学園にいる子は速いから優勝を狙えると思うんだけど…」
「…否定するようで悪いが、競争だとクレアの強みが活かせないんじゃないか?」
「え、どういうこと?」
「クレアは馬と息を合わせるのが上手いだろ?馬の能力に左右される競争より、馬との信頼が物を言う障害の方がクレアには向いてる気がするぞ」
イアンの意見にクレアは目をパチクリとさせた。
「考えたことなかったかも…うん、一回障害をやってみるよ。ありがとう。イアン君に相談してよかった〜」
気持ちが軽くなったのか、クレアは晴れ晴れとした表情を見せた。
すると、目の前の景色が開け、一面に氷が張った湖が現れる。
日光が氷で乱反射し、キラキラと輝いていた。
その幻想的な光景にイアンはつい声を漏らす。
「きれいな景色だ」
「でしょ?私のお気に入りの場所なんだ」
クレアは自慢げに頬を緩めた。
湖の傍でお茶をする手筈となり、アンがテキパキと支度を始める。
クレアとコリンナが手伝いをする一方、イアンはミックに散歩に誘われた。
クレアたちに声が聞こえない距離まで来ると、前を歩くミックから声がかかった。
「さて、イアン君。君はクレアのことをどう思っている?」
イアンにはミックの質問の意図がよく分からなかったが、ミックはそのまま話を続ける。
「知っての通り、ローウェル家の跡取りはクレア一人だ。よって、婿を迎えなければならない」
ミックはイアンに振り向く。
「そこで、君にクレアと結婚してもらいたいと考えている」
「は?」
イアンは予想もしていなかった話に呆気にとられた。
「いやいやいや、俺は平民ですよ?貴族と結婚できるわけがないでしょう?」
「君には騎士団か魔導師団に入れる実力があるはずだ。入団すれば、一代限りではあるが騎士爵は得られる」
「…クレアの気持ちはどうなんですか?」
「父親としては非常に複雑だが、クレアは君のことを少なからず好いているらしい。それに、コリンナも何故か乗り気でな。私としても君の人間性や能力に問題はないと思うが…どうだろうか?」
ミックに尋ねられ、イアンは黙り込んだ。
あまりにも長い沈黙に、ミックが先に口を開く。
「もしや、君には想い人がいるのかな?」
その質問にイアンは小さく頷いた。
「そうか。突然悪かったな。今の話は忘れてくれ」
それだけ言い残して、ミックは先に戻っていく。
残されたイアンは蘇る思い出に胸が締め付けられた。




