5.別れ
弾かれた剣が宙を舞った。
そして、モーリスの喉元に剣が突きつけられる。
「この一本は俺の勝ちでいいな?」
剣の握ったイアンがモーリスに問いかける。
「…ああ、参った。俺の負けだ」
モーリスは観念したように両手を挙げた。
すると、二人の模擬戦を周囲で観戦していた守備隊の面々から歓声が上がった。
「イアンが隊長に勝ちやがった!」
「すげえぞ、イアン!」
「よくやった!」
称賛と共にイアンに惜しみなく声援が送られた。
イアンはそれに手を挙げて応える。
「まさか、こんなに早くお前に負ける日が来るとはな。もう五年はかかると思ったんだが」
「俺からすれば、まだまだだよ。これまで散々やってきて、ようやく父さんから一本取れただけだ」
淡々と話すイアンの表情はまだ満足していないといった様子だ。
(強くなったな、イアン)
口には出さないが、モーリスは凜と立つ息子に言葉をかけた。
すると、イアンはモーリスに向き直り、じっとその目を見る。
「ところで、約束は覚えてるか?」
「ああ、もちろん。この俺から一本取ったんだ。約束通り、王都に行けばいい」
「ありがとう、父さん」
イアンは笑みを浮かべると、そのまま演習場を去った。
その後ろ姿に目を向けながら、モーリスの元に部下たちが集まってくる。
「隊長、随分嬉しそうですね」
「馬鹿野郎。子どもの成長を喜ばない親がどこにいる?」
部下の含みのある口ぶりに、モーリスは軽く小突く。
「しかし、まだ11とは思えない落ち着きようだよな」
「確かに、精神面は俺たち以上に大人かもしれん」
「いやいや、そもそもこの面子はガキみたいな奴ばっかりだろ」
隊員の一人が言った軽口にドッと笑いが起こる。
「隊長、王都というとイアンは王立学園に入るんですか?」
「そうだ。二年前に約束させられたんだよ。俺から一本取れれば、無条件で行かせてくれってな」
「それはまた大きく出ましたね」
「隊長から一本取るって、そう簡単じゃねえよ?」
「俺はできる気がしないな」
隊員たちから口々にイアンへの感心の声が上がる。
「というか二年前というと、“血塗れ事件”の時じゃないか?」
「“血塗れ事件”って何ですか?」
新兵が初めて聞く単語に対して、質問を投げかける。
「そうか。お前はまだ居なかったから知らないか。二年前、このエッジタウンに野盗の大規模襲撃があったのは覚えているか?」
「はい、それは覚えていますが…」
「その時のことだ。10人以上の野盗をイアンが倒したんだよ」
「え?二年前ならイアンは九歳ですよね?」
「そうだ。だが、紛れもない事実だ。全身に野盗の血を浴びたイアンを見たときは戦慄したよ。まあ、すぐに箝口令を出したから守備隊の中でしか知られていないがな」
「そんなことが…」
新兵は絶句した。
「おい、そこ!いつまで喋っている!整列しろ!訓練を再開するぞ!」
「やべっ」
モーリスの声により、会話が中断された。
整列に向かう途中、先輩が思い出したかのように新兵へ振り返る。
「一応釘を刺しておくが、“血塗れ事件”のことは外部には漏らすなよ。除隊処分になるぞ」
「わ、分かりました」
新兵は固く口を閉ざすことを決めた。
演習場を出た後、イアンはマーサの家を訪れた。
二年前のことがあったというのに、何故かマーサは同じ家に住み続けていた。
イアンはその扉を叩く。
「マーサ姉ちゃん居るか?」
家の中に人の気配はする。
しかし、返答は一向に帰ってこない。
イアンは拳をギュッと握り、唇を噛みしめる。
実は二年前からイアンはマーサと一度も言葉を交わしていない。
こうして家に来ても返事はなく、偶然街で会っても逃げられてしまう。
マーサがイアンを避けていることは周囲から見ても明らかだった。
「…やっぱり俺とは話してくれないんだな。でも、今日はマーサ姉ちゃんに言いたいことがあるんだ。聞くだけ聞いてほしい」
イアンは息を大きく吸って、扉の奥に居るはずのマーサに語りかける。
「俺、王都に行くよ。王立学園に入るんだ。父さんからようやく剣で一本取って、認めてもらえたよ。マーサ姉ちゃんから教えてもらった魔法も毎日欠かさず練習してる。今ならマーサ姉ちゃんと同じくらいできるかもな。それから…」
イアンはこれまでマーサに言いたかったことをすべて吐き出す。
マーサが聞いているかはイアンには分からない。
それでもマーサに伝えたいことがたくさんあった。
一通り言い尽くした後、イアンは一息つき、再び口を開く。
「…最後に、出発は明後日。マーサ姉ちゃんの家に来られるのも今日で最後だと思う。ここにいつ戻って来られるかは分からない。だから、ちゃんとお別れを言いたい」
「…イアン、ごめんなさい」
細々とした声が不意にイアンの耳に届く。
それは二年ぶりに聞くマーサの声だった。
「ごめんなさい、ってどういうことだ?」
「私、イアンのことが怖かったの」
マーサは途切れ途切れに声を発する。
「初めて会った時から、あなたは何かが違うと思ってた。魔法を教えるようになってから、その考えはさらに強まったわ。でも、確信に変わったのは二年前にイアンが私を助けてくれたとき…あなたは野盗たちを躊躇なく殺した。その時、あなたはどんな表情をしていたと思う?」
マーサは一瞬言い淀んだが、言葉を続けた。
「笑っていた…まるで殺しを楽しむかのように」
イアンは当時のことをはっきりと覚えていなかった。
それゆえ、マーサの口から出た真実に衝撃を受けずにはいられなかった。
「その表情を思い出すと、怖くて仕方なかったわ…だから、あなたと関わらないようにしたの」
マーサの本心を聞いて、イアンは何も言うことができなかった。
「イアンともう会えないかもしれないことは分かっているわ。でも、ごめんなさい…あなたと顔を合わせられない」
扉越しにマーサの咽び泣く声が聞こえてくる。
イアンはしばらく目を閉じて考え込んだ後、改めて扉の先に居るマーサに向き合った。
「…マーサ姉ちゃんの気持ちは分かった。ただ、これだけは言わせてほしい…俺の夢を応援してくれてありがとう。マーサ姉ちゃんが居なかったら、魔導騎士の夢も諦めていたかもしれない。だから、マーサ姉ちゃんに会えてよかった。言いたいことはそれだけだ。じゃあな、マーサ姉ちゃん」
そう言い残すと、イアンは背を向け、そのまま振り返ることはなくその場を去った。