48.リビーの謝罪
朝のホームルーム前、イアンたちの教室にネルが顔を覗かせた。
少しの間キョロキョロと見回していたが、ちょうど近くにいたクレアが気付いて声をかける。
「おはよう、ネルちゃん。どうしたの?」
「おはよ。イアンいる?」
「うん、いるよ。イアン君、ネルちゃんが来たよ」
「おう」
クレアに呼ばれて、イアンはネルのもとまで行く。
「何の用だ?」
「リビーが放課後に会いに来いだって」
「お前と二人でか?」
「うん、そう言ってたぞ」
「分かった。じゃあ、お前の教室まで迎えに行く」
「えー、バラバラに行けばいいじゃん」
イアンの提案にネルは嫌そうな表情を浮かべた。
「いいから待ってろ」
「…分かったよ。じゃあな」
ネルは渋々といった返事をして、自分の教室に帰っていく。
イアンが席に戻ると、隣でレイがにこやかに笑っていた。
「何だ、その顔?」
「いや、随分懐かれたなって思ってね」
「そうか?生意気なことに変わりないぞ」
「たぶん素直になりたいけどなれないってだけじゃないかな?まあ、イアンもイアンで過保護なところはあるけど」
「過保護?何の話だ?」
「え、無自覚なのかい?」
本人はまったくそのつもりはないのだが、時間を見つけてはネルの様子を見に行く姿は周りからすれば過保護そのものだった。
未だにピンときていないイアンにレイは呆れたように肩をすくめた。
放課後になり、イアンはネルの教室を訪れる。
教室の中を窺うと、ネルはちゃんと待っており、眼鏡をかけた女子生徒と何やら楽しげに話していた。
「おい、ネル」
イアンが教室に一歩入って声を発すると、それまで騒がしかった教室が一瞬で静まる。
ネルのクラスメイトに顔を見せるのは例の事件以来だったが、その余波はまだ残っているらしい。
実際、当事者であろう数人が鞄で身を隠して震えていた。
「もう来たのか。それじゃあ、またな」
「う、うん。また明日」
話していた相手に手を振り、ネルはイアンの背を押して教室を出た。
「なあ、ベリンダたちだが…」
「もう大丈夫だよ。今まで威張り散らしてたけど、イアンに半殺しにされてからすげえ大人しくなったんだ。あたしにも手を出してこなくなったよ」
「そうか。ところで、さっき話してたのは友だちか?」
「そうだよ。ナタリーはあたしの話を面白いって聞いてくれるんだ。それに、めちゃめちゃ頭が良いんだぞ」
「ここ最近の急成長はナタリーのおかげか?」
「まあ、いろいろ教えてもらってるからな」
「じゃあ、そろそろ俺はお役御免でよさそうだ」
「え?それは嫌…あ」
ネルは慌てて自分の口を塞いで、顔を赤くしていた。
その表情を見て先程レイから言われたことの意味が分かった気がした。
「…その顔やめろ。親父と同じ表情しやがって」
ネルはイアンの脇腹を小突いた。
とりあえず、このままだとネルが不機嫌になりそうだったので、イアンは話題を変えてやった。
それから、たわいのない話をしながら歩き、医務室に到着する。
「よく来てくれたね。さあ、座って」
リビーはイアンとネルを座らせ、お茶とお菓子を用意した。
そして、二人の前に座ると、いつになく真剣な表情を二人に向けた。
「今日君たちに来てもらったのは、ベリンダ・キルナーの件だ。ここだけの話、彼女のネル君への所業を学園側は把握していた」
「把握していたって…じゃあ、どうして止めなかったんですか?」
「当然、我々は介入するつもりだった。しかし、厄介なことにキルナー伯爵家は学園に多額の寄付をしていてね…」
「寄付金を絶たれたくない連中に邪魔されたんですね?」
「言い訳がましくなるが、そういうことだよ。まあ、彼らの説得に時間をかけている間にイアン君が力尽くで解決してしまったのだけど…」
すると、リビーはネルに身体を向け、深々と頭を下げた。
「ネル君。私たちの力不足のせいで、君には辛い思いをさせてしまった。私一人で申し訳ないが、謝罪させてほしい。すまなかった」
ネルは謝罪に対してどう返答すべきか迷っているようだ。
しかし、イアンが背中を押したことで、ネルの答えは決まった。
「…確かに辛かったけど、あたしはもう気にしてない。だから、リビーも気にしないでいい」
「その言葉を聞けて、嬉しいよ」
リビーは安堵したように微笑むと、イアンの方を向いた。
「イアン君。ネル君を助けてくれて感謝しているよ。ありがとう」
リビーからのあまりに素直な感謝の言葉に、ついイアンはその裏を疑ってしまった。
「でも、あれはやり過ぎ。君の退学阻止のためにどれだけ苦労したか。知ってる?社交界は君の噂で持ち切りだよ。貴族にも噛みつく“狂犬”がいるってね」
リビーの話を聞いて、先日ベンジャミンがこぼした言葉が腑に落ちた。
「まあ、この話はこれくらいにしておくとして、今日はもう一つ用件があるんだ」
「何ですか?」
「ネル君のギフトのことだ。そろそろ本格的に検証を始めたいと思ってね」
「…むしろ、今日はそっちが本題でしたよね?」
イアンが鋭く切り込むが、リビーは聞こえないふりをして、ナイフを取り出す。
すると、何のためらいもなく自分の腕をバッサリと切った。
その傷口からは大量に血が溢れる。
とんでもない光景にイアンもネルも唖然とした。
「…な、何してんだよ!?」
我に返ったネルがリビーの傷を大急ぎで治癒した。
傷はすぐに治り、リビーは確かめるように手を開いたり閉じたりする。
「うん、かなり深く切ったけど、完全に治っているね。貧血の症状もないと…」
リビーは冷静にメモを取っていた。
その胸倉をネルが掴む。
「おい!こういうことやるなら、先に言えよ!」
「精神状態がギフトの使用に影響を及ばすかを見てみたかったんだよ」
「馬鹿じゃねえの!?」
リビーはネルに揺すられるが、気にせずそのままイアンに声をかける。
「そうそう。イアン君に伝えておくことがあったんだった」
「また何か厄介ごとですか?」
「そうだね。この学園にも荒れた子たちが一定数いるんだけど、最近集団を作って勢力を拡大しているらしいんだ」
「それが俺と何の関係が?」
「噂だと、その集団は夜な夜な強い相手に喧嘩を吹っ掛けているそうだよ」
「俺のところにも来るかもしれないということですか?」
「そういうこと。まあ、君なら返り討ちできるかもしれないけど、用心はしておくべきだね」
「なあ、聞いてんのか!?」
また面倒に巻き込まれそうな予感にイアンはうんざりする。
ただ、ネルに揺すられ続けたことで顔を青くするリビーを見て、ほんの少し気が晴れた。




