45.ネル
あたしは王都の下町育ちのどこにでもいるような子どもだった。
物心ついたときには母親はいなくて、家族は親父一人だけ。
でも、友だちはたくさんいたし、近所のおっちゃん・おばちゃんにも可愛がられてたから寂しいなんてことはなかった。
親父は仕事馬鹿な鍛冶師で、ずっと鍛冶場に引きこもってるような人だ。
職人仲間のおっちゃんたちが言うには、親父の腕はかなりのものだけど、気難しい頑固オヤジらしい。
でも、あたしの前ではいつも笑ってて、あたしを大切に大切に育ててくれた。
男手一つで大変だったろうけど、苦労してる姿なんてあたしに見せたことがない。
あたしは親父の大きい手で頭を撫でてもらうのが何よりも好きだった。
そんな職人気質で優しい親父は、意外とドジでおっちょこちょいだ。
毎日どこかしら服を焦がしたり、怪我したり、たまに失敗してお客に頭を下げてる時もあった。
あたしはちょっと心配だったけど、親父は大したことなさそうにしてた。
でも、あたしが五歳くらいの時、親父が仕事中に突然叫んだことがあった。
滅多に声を上げる人じゃなかったから、入るなと言われていた鍛冶場に慌てて行ったら、親父が顔を押さえてうずくまっていた。
親父に駆け寄ると、顔の半分が焼けただれてて、息もまともにできてなかった。
正直ビビったけど、親父が死ぬかもしれないと思うとあたしはいてもたってもいられなかった。
親父の顔に触れて、一生懸命治れ治れってお願いした。
そしたら、親父の火傷が治って、目を覚ましたんだ。
あたしはあまりにも嬉しくて親父に抱きついて泣いた覚えがある。
その後、親父に何をしたか聞かれて説明したら、親父が一瞬険しい顔になった。
ちょっと怖かったけど、すぐに笑顔になってありがとうって言って頭を撫でてくれた。
それで、あたしの怪我を治す力について、親父は他の人の前で使っちゃダメだと言った。
誰にでも使える力らしいけど、あたしの年齢で使えるのは珍しいから人攫いに狙われるかもしれないんだって。
あたしは親父の言いつけを守って、誰にも使わなかったし、言わなかった。
まあ、しょっちゅう怪我するもんだから、親父にはよく使ってたけど…
何年か経って、あたしが十歳になった時だった。
うちに王立学園の先生が来た。
リビーって名前の美人な先生だったけど、どことなく怖い感じがした。
親父も突然来た先生を怪しんでたみたいで、あたしを外に出して二人で話をしていた。
それで、帰り際にリビーはあたしに飴玉をくれた。
その時食べた飴玉が、ほっぺたが落ちるかと思うほどとても甘くて美味しかったのは今でも覚えてる。
それから、リビーは何度もうちに来るようになった。
その度にあたしは追い出されてたから何を話しているのか分からなかったけど、時々親父の怒鳴り声が聞こえて只事じゃないとは分かった。
ただ、あたしは毎回飴玉をくれるリビーのことが好きだった。
リビーの十数回目の訪問時、あたしも一緒に話を聞くように言われた。
そこで初めて学園に入学するように伝えられた。
あたしは親父の手伝いをするつもりだったし、それに勉強したいとも思わなかった。
だから、学園に行く気なんてさらさらなかったんだけど、試験は名前を書くだけでいい、入学すればもっと親父の役に立てる、ってリビーから言われた。
それで親父が喜ぶのならと思って、あたしは試験を受けることにした。
試験の日。
受験票に書いてる会場に行けって指示されたけど、あたしは文字が読めないから迷子になった。
そこで会ったのがイアンだ。
目つきの悪い奴で、文字を読めないのか?と呆れたように聞かれた時はイラッときた。
でも、あいつが試験会場まであたしを連れて行ってくれたおかげで、試験開始に間に合って、名前を書くことはできた。
結果はリビーの言った通り、合格だった。
えらいぞと親父に頭を撫でられた時は素直に嬉しかった。
けど、学校が始まってすぐに入学したことを後悔した。
まあ、制服はきれいで、メシも美味いし、ベッドも柔らかくて、衣食住に関して文句はなかった。
ただ、学園の生活は最悪だった。
クラスは貴族ばっかりで全員平民のあたしを見下していた。
それに文字も読めないから、授業の内容も全然分からない。
そんな風だったから、学園を辞めてやろうと思ってたら、イアンがあたしの面倒を見ることになった。
初対面の印象も悪かったけど、あたしを男と間違えてたって聞いてマジでムカついた。
仕返しにイアンのことは雑に扱っていたけど、何故かあいつは休み時間や放課後にあたしの様子を必ず見に来てくれた。
結局、甘いものに釣られてあたしは学校に残ることにしたんだけど…
勉強は嫌いだったけどイアンが教えてくれるし、クレア姉ちゃんやリンダ姉ちゃんにも会えて、学校がちょっと楽しくなってきた。
あと、クレア姉ちゃんの真似して、髪を伸ばすことにしたんだ。
冬休みに入る前から突然いじめられるようになった。
相手は伯爵家のベリンダ。
最初はもちろん抵抗していた。
でも、ベリンダはあたしの親父やイアンに手を出すって言ってきた。
平民が貴族に逆らえるわけがなく、あたしにはどうしようもできなかった。
暴力を振るわれ、教科書を破られても、我慢するしかなかった。
それでも、イアンとの勉強会やクレア姉ちゃんたちとのお茶会だけは楽しくて、クレア姉ちゃんには髪飾りをもらえてめちゃくちゃ嬉しかった。
精霊祭が過ぎた後、初めてイアンにいじめの現場を見られた。
あいつはあたしを助けようとしてくれたけど、あいつを守りたかったから、手を振り払って、遠ざけようと酷いことも言った。
でも、イアンがあたしから離れた後、ベリンダのいじめがもっと酷くなって、初めて守られていたことに気付いた。
一ヶ月は耐えたけど、髪を切られて、髪飾りを壊されて、もう限界だった。
あたしはイアンに助けを求めた。
そしたら、あいつはすぐにベリンダのところに行った。
でも、まさか殺そうとするなんて…
ベリンダのことは憎い。
でも、死んでほしいとまでは思ってなかったから、必死で治した。
その後、イアンとベリンダは謹慎になったって聞いた。
イアンの報復が怖いみたいで、あたしへのいじめはなくなったし、今は少し遠巻きにされている。
だけど、その方が居心地はいい。
しばらくして、イアンにありがとうって直接言うのはなんか恥ずかしかったから手紙を書いた。
下手な字だったけど、ちゃんと読んでくれるといいな。




